79. 間者
ムハンマドは、ポツリポツリと話し始めた。
「……まだ皇后陛下が結婚される前の話です。私は元々、旅の宝石商をやっておったのですが、ある時ルノー公爵家に外商として伺ったことがありました。
そこからが、皇后陛下とのご縁の始まりでした。私の旅の話を興味深く聞いてくださった皇后から、時々手紙で外の様子を知らせてほしいとの依頼を受けました。最初は、旅先見たこと、そこで起こっていたことをお伝えしておりました。
旅の合間に外商でルノー家に寄らせていただくと、皇后は他の貴族の情勢についてもお尋ねになりましたから、私にわかる範囲でお伝えさせていただくようになりました。その頃からです。私が情報をお伝えするようになったのは。私はその頃から報酬として、通常よりも高い料金で宝石をご購入いただくようになりました」
「つまり、あなたは母の間者だったということか」
ルイは驚いたように聞いた。
「それほど専門的なものではございませんが、私にわかる範囲の情報をお伝えしておりました。
皇后陛下が結婚されてからも、手紙でやり取りを続けておりました。ただ、検閲もありますので、私は貴族子女の名前で皇后陛下に詩を贈るふりをし、各地での様子をお伝えしておりました。元々、とんでもなく頭の切れる方でしたから、私の拙い詩でもご理解をいただいていたようです」
「亡くなった皇后の遺品の中には、そんな手紙は見つからなかったような気がするのだけれど」
とアリエルは言った。
「皇后陛下は、私からの手紙は一度読むと、その場で処分されておられたと聞いております。聡い方ですから、証拠など残されなかったのでしょう」
「……そうだったのね……」
「皇后陛下がお城に上られた後も、定期的にルノー家を訪問するように仰せつかっておりました。おそらく皇后は、ルノー公爵家の無事を確かめるために、私に密偵を頼んでいたのでしょう。ある時、ルノー家を訪問しましたら、公爵夫人より皇后陛下が私を城にお呼びになっておられるとのご伝言をいただきました。
その時、私は初めて帝都の城に宝石商として呼ばれたのです。
お城で久しぶりにお会いした皇后陛下は、既に病に倒れられておられました。とても美しかった皇后陛下は、衰弱された痛ましい姿になっておられ、とても心が痛みました」
そこまでいうと、ムハンマドの目に涙が浮かんでいた。ムハンマドはルイから手渡されたブルーサファイアのブローチを見つめて言った。
「……おそらくこのブルーサファイアのブローチは、皇后陛下が贈答されたでしょう」
「誰が母に贈ったのだ?」
「……現皇后陛下であるダイアナ様が、前皇后陛下に贈った品でございます」
「どういう事だ?!」
ルイは驚いた。
「はい。皇后陛下は私を城に居室にお呼びになった時、このブルーサファイアのブローチを二つ用意するようにと、命じられました。そして、一通の手紙をブルーサファイアと一緒に宝石箱に入れて現皇后陛下であるダイアナ様にお贈りするように依頼されたのです」
ムハンマドは静かに口を開いた。
「では、皇后陛下と現皇后陛下の間には、何かしらの接触があったということか?」
「はい、その通りでございます。私は、この皇后陛下からの命に沿って、ブルーサファイアのブローチを持って、ダイアナ皇后陛下の元をお訪ねいたしました。そして、皇后陛下からの命令通り、お預かりしておりました宝石箱をダイアナ現皇后陛下にお渡しいたしました。
ダイアナ様は、静かにお手紙をお読みになられておりました。そして、このブルーサファイアのブローチと同じものを『皇后陛下にお贈りするように』と、私にお命じになったのです……」
ムハンマドはそこまでを一息で話し切ると、大きく咳き込んだ。
「……私はすぐに、そのブルーサファイアのブローチを皇后陛下にお渡しに上がりました。……皇后陛下は、それは嬉しそうに、それを受け取っておられました。おそらく、そのブローチはその時ダイアナ様が皇后陛下にお贈りになられたものでしょう」
「……そうだったのね……これは、現皇后と前皇后を繋ぐ物だったのね……」
アリエルはブルーサファイアのブローチをまじまじと見つめた。
「……はい。ブルーサファイアのブローチをお渡してから一ヶ月後、皇后陛下は私を再び城に招かれました。……その時には、もう皇后は起き上がれない程に、衰弱されておられました……」
ムハンマドの目から涙が溢れた。
「その時に、皇后陛下は私に、一通の手紙とダイアモンドのネックレスを託されました。これを、現皇后陛下にお渡しするようにと……それが、皇后陛下の最後のご依頼でございます……私は皇后陛下からお預かりした手紙とネックレスを入れた宝石箱を、確かにダイアナ皇后にお渡し、役目を終えたのです……」
ムハンマドはそう言うと、しばらくの間、涙の溢れる目でルイを見つめていた。
「……大義であったな。母に代わり、礼を言う……」
ルイはそう言うと、ムハンマドの肩に触れた。
「……ありがとうございます。私は皇后陛下がダイアナ皇后陛下にお渡しした手紙の内容については、一切存じ上げません。ただ、皇后陛下は、この国で起っていることを正しくご理解されておられたのではないかと推測しております。ご自身が置かれている危うい立場だということさえも……それでも、私達のような下々の者にも、常に情けをかけ、その身を案じてくださっておりました……誠に、国のために生きておられた……高潔な方であられました……」
ムハンマドは涙ながらに、洗いざらい皇后との間柄について話した。
ムハンマドの身に危険が及ばないようにと、宝石商と間者を辞めた後、モンテッサの街に移住できるよう準備を整えてくれていたこと、一生涯困ることない蓄えを用意してくれていたことを、かいつまんで語った。
「……良く話してくれたな……」
ルイがムハンマドに向かって、ぽつりと言った。
「……私がお会いした際に、亡き皇后陛下はいつも、ルイ皇太子殿下のことを嬉しそうに話しておられました。あの子はきっと、この国の希望になるからと……殿下、良くぞこのようなおいぼれのところに、来てくださいました……」
ムハンマドは喉を詰まらせた。
「ああ、私も母の期待に応えられるよう、人事を尽くすことを誓おう。私が今日、ここまで来られたのは、全てここにいる婚約者であるアリエルのおかげだ。礼なら彼女に言ってくれ」
ルイは、ムハンマドの目を見て言った。
ムハンマドはルイの言葉を聞き、アリエルの方を見ると深く頭を下げた。
アリエルはムハンマドに近づき、膝を曲げ、ムハンマドの手に自分の手を重ねた。
「お話いただき、ありがとうございました。きっと、この国はこれから変わっていきます」
「……あなたは、若き日の皇后陛下に似ておられる……」
ムハンマドは嬉しそうに言った。
ルイとアリエルはムハンマドに礼を言うと、静かに部屋を出た。二人の姿を見かけると、部屋の外で待機していたムハンマドの妻が静かに頭を下げた。
家を出た二人を乗せた馬車は、ゆっくりと動き出し、再びルノー家へと向けて走り出した。
アリエルはムハンマドの家が見えなくなった後も、車窓からいつまでも景色を見つめていた。
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