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73. 亡き女王との約束

 前皇后が病に倒れた。


 その一報は、すぐに離宮にも舞い込んできた。


 ダイアナの胸はざわついていた。何か、とてつもなく悪い予感がしていた。


 これまで、ダイアナと皇后との間には接点らしき接点はなく、何が皇后の身に何が起こっているのか、詳しいことは誰も何も伝えてはくれなかった。


 ダイアナが詳細を知る方法は侍女からの情報と、使用人の噂からのみだった。


 皇后が倒れて以来、皇帝がダイアナの元に顔を出す機会はめっきりと減った。十日に一度だったのが、二十日に一度になり、一月に一度になり、三ヶ月程顔を見ない日が続いた。


 そんなある時、一度父であるハンプシャー侯爵が家臣と共に、ダイアナの元を訪ねて来た。


 居室にいた使用人を人払いをすると、父は言った。

「ダイアナ、お前は、何も心配しなくとも良い」


「……それは一体どういう意味でしょうか?」

 ダイアナは、怖くなって訪ねた。


 ハンプシャー侯爵は何の表情も浮かべずに言った。

「どういう意味も何も、お前が心配するようなことは何もない、と言っているのだ。そして、お前はいずれ、この国の皇后の座に就くことになる。そのことを心に留めておけ」


 ダイアナは、父が何か良くないことに関わっていることだけはわかった。だが、それが具体的に何かということまでは分からなかった。


 ダイアナは父から愛情らしい愛情を感じたことはほとんどなかった。


 そして側室なってからは、この男が自分を利用するためだけにここまで育てたのだということがありありと伝わり、肉親に対する情など自分とは無縁なのだと悟ったのだった。


 いつしか、ダイアナの中で、実の父よりも、自分を気にかけてくれる皇帝への情の方が強くなっていった。


 ダイアナにできることは、実の父がダイアナにかけた言葉を皇帝に伝えるということだけだった。だが、皇帝はダイアナを訪れる日はなかなかやって来なかった。


 *


 そんな折、離宮に見慣れない宝石商が、皇帝からの使いでやって来た。


 その宝石商は離宮のサロンに通されると、宝石商の付き人も離宮の使用人達も皆、部屋から退出させた。


 ダイアナと二人きりになった宝石商は、目の前に宝石箱を取り出した。


「こちら、皇后陛下よりお預かりしているお品にございます」

 その宝石商は確かにそう言った。そして、その宝石箱とその鍵をテーブルに置いた。


 驚いたダイアナは、宝石箱を手に取った。


 宝石箱の中にはブルーサファイアのブローチが一つと、手紙が入っていた。手紙は皇后の自筆のものだった。


 ダイアナはすぐに手紙を開封して読み始めた。

 皇后からの手紙は、面識のないダイアナを気遣う言葉で溢れていた。


 皇后は、この国の政治情勢の全てを理解していた。皇帝を傀儡にし、貴族が国の実権を握ろうとしていること、ダイアナの父であるハンプシャー侯爵もその計画の中枢にいること、そして今、皇后の身に起こっていること、その全てを知っていたから、ダイアナに手紙を送ったのだった。


 ダイアナは、皇后がこの国の政治の犠牲となり命の危機にありながらも、それでもなお、ダイアナのことを気にかけていることに、胸が締め付けられた。


 離宮に来て、孤立無縁だったダイアナのことを、心から想ってくれている人間に、皇帝以外で初めて出会えた気がした。


 それと同時に、何も知らずに父や貴族達の操り人形としてここにいる自分の愚かさに落胆した。


 そしてその時、何故皇帝が自分にただの一度も手を触れてこなかったのか、その理由がようやく理解できた。全てに、政治が絡んでいたからだ。



 手紙の最後にはこう記されていた。


『もし、私の言葉が理解できたのであれば、私が贈ったブローチと同じ物を私に贈り返してください。返信は不要です』


 ダイアナは、その宝石商に同じブローチを皇后に贈るようにと伝えた。


 宝石商は黙って頷き、静かに離宮を出た。


 *


 ダイアナが皇后にブルーサファイアのブローチを贈ってから、二ヶ月ほど過ぎた頃だった。

 再び宝石商がダイアナの元を訪ねてきた。


 宝石商は再び「皇后陛下からの贈り物です」と言って、宝石箱と鍵をダイアナに手渡した。


 宝石箱の中にはダイアモンドの首飾りと手紙が入っていた。手紙には皇后の封蝋が押されている。


 ダイアナは丁寧にその封筒を開き、手紙を取り出した。


 手紙は

『あなたにこの国の未来を託すことをお許しください』

 というダイアナへの謝罪から始まっていた。


 ダイアナはすぐに、これが皇后の遺書だということに気がついた。


 その手紙には、ダイアナが皇后になった後も困らないように、どのように立ち振る舞えば良いかという皇后からの助言が事細かく記されていた。ダイアナは思わず涙がこぼれた。


 これから先、ダイアナの命が危なくなるかもしれないことを、皇后は何よりも危惧していた。


 この国で、ダイアナが唯一信じるべき相手がいるとしたら、それが皇帝陛下であること。


 皇后の座に就いたとしても、絶対に政治に関わってはいけないということ、ダイアナに息子が生まれた時は、その息子にも政治に関わらせないこと。


 今後はハンプシャー家とはなるべく距離を取り、決して近づかないこと、自分が送った手紙について、決して誰にも他言しないこと等、ダイアナの身を守るべき方法が詳細に記されていた。


 そして、手紙の最後は

『皇帝の孤独はとても深くて暗いものです。私ができなかった分まで、どうか彼を愛して。この国の繁栄を願って』

 という言葉で締めくくられていた。


 ダイアナは何度もその手紙を読み返し、宝石箱に入れて鍵をかけた。


 宝石商は宝石箱をダイアナが受け取ったところを見届けると、静かに離宮を出た。

 その後、ダイアナの前に姿を現すことはなかった。


 それから程なくして、皇后陛下の崩御の知らせが国中に流れたのだった。



 ダイアナは皇后陛下の崩御から半年後、継室として正式に皇后として迎えられることになった。


 全ては仕組まれていたことであり、ダイアナの力では抗うことのできないことだった。


 前皇后が亡くなった後、ダイアナは心に決めたことが二つある。


 一つは、自分が死ぬ時まで、皇帝を愛するということ。皇帝がどれだけ前皇后を想っていようが、自分が形式上だけの皇后だろうが、彼を愛することを決めた。


 ダイアナは、自分が皇帝から愛されないことなど、わかっていた。たとえ子を成したとしても、それは勤めにしか過ぎないと言うことも。

 妻の命を奪った男の娘を、愛せるはずはないことは明白だった。


 それでもダイアナは、皇帝に自分の気持ちを悟られないよう、自分のやり方で亡き前皇后の分まで皇帝を愛するということを決めたのだ。


 もう一つは、この政治に決して関わらないことだった。

 前皇后の良心からの助言を汲み、自分はお飾りの皇后であり続けること、それから、貴族の政には一切関わらないことを決めた。


 そして、ダイアナは皇后になった時から、ハンプシャーの名前を捨てたのだった。

ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました^ ^


もしよろしければ次話もお付き合いいただけますと幸いです。

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