69. 王女、本丸へ乗り込む
アリエルが離宮に戻り、二週間程が過ぎていた。
その間に皇帝は、三ヶ月後に第二皇子マティスの生誕祭を行うことを正式に発表した。
その発表に伴い、帝都では様々な憶測が飛び交い、人々の関心は皇太子と第二皇子の皇位継承権に注がれていた。
第二皇子のマティスが表に出てきたことにより、皇太子であるルイは婚約者との関係改善に躍起になっているという噂が流れている。それもアリエルの部下であるエル達が新聞記者に記事を書かせ、意図的に流した噂だった。
だからアリエルが離宮から城に居室を移すにはうってつけの理由になったのだった。
そして、これまで水面下で起こっていたハンブルグ侯爵家・スミス侯爵家とハンプシャー侯爵家の対立が表面化しつつあった。
離宮の執務室で、アリエルが部下たちが上げてきた報告書に目を通していると、ドアをノックする音が聞こえた。
「アリエル様、エド様がお越しです」
というエミリーの声が聞こえた。
「入ってもらってちょうだい。それからエミリーもお茶を用意して同席してもらえるかしら?」
「承知いたしました」
エミリーはそういうと、エドを執務室に通し、お茶の準備も済ませると、アリエルとエドが向かい合って座っているソファの隣に立った。
「エド、城の居室の進捗はどう?」
アリエルは尋ねた。
「はい、準備はほぼ完了しております。アリエル様はすでに婚約されておりますので、ルイ殿下が利用されている東棟にある皇太子妃の間を使用していただくことになっております。表向きには療養ということになっていますので、城にいる使用人や護衛の者は容易に近づくことのないよう、厳重な警備態勢を敷いております」
「ありがとう。そちらに行ったら、しばらくの間、私は騎士棟の地下にこもることにするわ。地下室でも寝食できるよう、手配をお願いできるかしら?」
「まさか、地下室で寝泊まりされるおつもりなのですか?」
エドは驚いたように言った。
「ええ、可能であれば。でも、そんな大袈裟なものじゃないわよ。仮眠が取れたり、軽食ができるくらいでいいの。いくらマティス殿下達が有能でも、資料の量が膨大すぎて今のペースじゃあ、きっと終わらないはずよ。城に居室を移したら、しばらくの間は、睡眠時以外は地下室に常駐して、防衛費の精査に集中したいのよ」
「……承知いたしました。あまり根を詰めすぎないようご注意くださいませ」
「わかっているわ。それと、使用人はこの離宮にいる者を連れて行っても問題ないかしら?」
「はい。東棟にアリエル様のために、皇太子妃付きとなる使用人のための部屋の準備も整えております。東棟には厨房から浴室まで全て備えがございますので、離宮にいた時と変わらない生活が送れるよう、準備を進めております。
今回、アリエル様の居室を城内に移すことについては「婚約」が形式的なものではないことを示す、ルイ殿下の対外的な意向があります。そのため、以前に比べると、ルイ殿下との意思疎通も取りやすくなるのではないかと」
「助かるわ。ようやく本丸に乗り込む機会を得たのだから、残り三ヶ月で私にできる限りのことをやるつもりよ。協力してくれるかしら?」
「御意」
エドはにっこりと笑った。
「ありがとう。では、早速明日からそちらに移ることにしましょう。くれぐれも私が病床の王女であることを忘れないように」
「承知いたしました」
「エミリーを私の侍女として連れて行くわ。当面の間、エミリーには城と離宮を行き来してもらおうと思っているの。私はあまり外部との接触は取れなくなる代わりにエミリーに動いてもらうつもりよ。いいかしら?」
そう言って、アリエルはエミリーとエドを見た。
二人は黙って頷いた。
*
翌日、アリエルは病弱な王女になり、アリエルを乗せた馬車は皇室からの護衛の騎士団に先導され、馬車三台分の荷物と共に、城にある居室に移ることとなった。
丁重に扱うようにとの前触れもあり、療養中ということになっているアリエルは、皇帝との謁見や顔見せといった形式的な行事は省略され、すぐに居室へと通されたのだった。
アリエルに用意された部屋は、ルイの居室とは少し離れた距離にあった。
アリエルの居室は、離宮の自室とは比べ物にならないくらい広く豪奢な部屋でもあった。大きな寝室とリビング、それに加えて執務用の大きな机がある書斎も用意されている。アリエルがその居室から出ることなく生活できるようになっていた。
アリエルが執務に集中できるようにとの配慮が、あちこちに感じられた。エミリーの部屋もアリエルの隣に用意されていた。
エドの言う通り、アリエルの居室がある東棟には厨房から浴室まで全ての機能が備え付けてあり、アリエルが外部と接触しないようにと隅々まで気を配られていることがわかる。
アリエルが用意された部屋を一通り見て回り、早速離宮から持参した普段使いのドレスに着替え、リビングでお茶を飲んでいた時だった。
トントンと、居室のドアをノックする音が聞こえた。
「誰かしら? 私はひとまず寝室のベッドで伏せっていることにするわ。適当に理由をつけて追い返してちょうだい」
アリエルはエミリーにそう伝えると、そそくさと寝室のベッドに潜り込んだ。
アリエルはそのまま広く寝心地の良いベッドに潜り込み、布団を被ると目を瞑った。
アリエルは、このところ部下達から上がってくる報告書の処理に追われていた。離宮を離れるまでに宝石密輸の主犯格から、この件に関係している貴族をまとめて検挙できるよう、できるだけ多くの証拠と綿密な裏付けが欲しかった。
どんな小さな動きも全て頭に入れておきたかったのだ。とにかく、今は時間が惜しい。だから、自分の多少の無理など厭わない。そう思っていた。
特にこの一週間は、睡眠が取れない日が続いていた。そのためか、目を瞑るとすぐに眠気に襲われた。
遠くでエミリーが誰かと話している声が聞こえる。しかぼんやりとした意識の中では、それが誰の声なのか、よくわからなかった。
「眠ってはいけない」と思えば思うほど、アリエルの意識は遠くなる。アリエルはそのまま眠りに落ちていった。
ふと、優しく髪の毛に触れられている感覚に気づき、アリエルは目を開けた。
「リー、体調はどうだ?」
そこには、ベッドに腰をかけ、心配そうにアリエルを見つめるルイがいた。
「……ルイ殿下?……」
「ああ。病床の婚約者の見舞いに来たんだ。リー、具合はどうだ?」
ルイはそう言うと、アリエルのおでこに手を当てた。
「……私、眠っていたの?」
「ああ、ほんの少しの間だけ。……最近ずっと無理をしていたんだろう? あまり顔色が良くない。 エミリーもあなたがちっとも休んでくれないと、心配しているぞ」
ルイは優しく諭した。
「ゆっくり休んでいる暇なんてないわ……まだまだやらなきゃいけないことが山積しているんだもの……」
アリエルは力の入らない手で悔しそうに布団を握りしめた。
「あなたはもう十二分に良くやってくれている。皆、あなたのことを心配しているのだ。時に休息も仕事だぞ。今は、ゆっくり休め。そうすれば、私もあなたを見舞う口実ができる」
ルイはそう言うと、アリエルの唇にキスをした。
「ダメです。せっかく久しぶりに殿下にお会いできたのだから、お伝えしたいことが山ほどあるのに……」
アリエルは眠気まなこで必死に食い下がった。
「リー、そんなに焦ることはない。これから毎日顔を合わせるのだから。今は何も考えずにゆっくり休め。あなたが眠るまで、しばらくここにいよう」
ルイはアリエルのおでこにキスをし、アリエルの髪を優しく撫でた。
アリエルは触れられた手が心地よくて、ゆっくりと目を閉じた。
アリエルが眠っている間、アリエルの居室にはルイから送られた見舞いの花が所狭しと飾られていった。
それによって、対外的にも『病弱な婚約者を見舞う皇太子』が演出されていた。
城内ではアリエルの気づかないところで、密かにその存在に注目が集まっていったのだった。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
ちょっと間が開きましたが、3章を書きはじめました。




