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66. 側近の苦悩

 オリバーとシモンを乗せた馬車はハンブルグ家の玄関の前で止まった。


「オリバー様、参りましょう。私はオリバー様を屋敷の中までお送りしましたら、屋敷の中の目立たない場所に待機しております」

 とシモンは言った。


 オリバーは黙って頷くと、シモンと共に屋敷の中に入った。


 ハンブルグ家の執事は玄関のホールでオリバーの姿を見つけると、すぐに駆け寄り、オリバーを屋敷の奥へと案内した。


 この屋敷に来るのは舞踏会以来だったが、相変わらずの趣味の悪い豪奢な作りと調度品の数々にオリバーは気分が悪くなりそうだった。


「閣下、コートをお預かり致しますわ」

 とオリバーは後ろから女性に声をかけられた。どこかで聞いたことのある声だった。振り返ってその女性を見ると、使用人に扮したエミリーだった。


「ああ、頼む」

 そう言うとオリバーは両手を少し後ろに回して広げた。

 エミリーはオリバーの腕から素早くコートの袖を抜き取り、そっとコートを脱がせた。


「何かありましたら、右目を三回つぶって合図を送ってください。我々はいつでも控えております」

 とエミリーはそっと小声で告げた。オリバーは静かにうなずいた。


 晩餐会に呼ばれているのはオリバーと、スミス家、それからいくつかの伯爵家の夫婦だった。いずれにしても舞踏会で見たことのある顔ばかりだった。今日もどうやらハンプシャー家からは誰も招かれていないらしい。


 会食の時間までの間応接間に通され、歓談の時間が設けられていた。そこでもしきりに酒を勧められたが、オリバーはアリエルとの約束通り手をつけることはしなかった。


 ようやく晩餐が始まり、煌びやかなシャンデリアがいくつもある華やかな宴会場に通されると、大きなテーブルがあり、オリバーにはカレンの隣の席が用意されていた。


 カレンは特段美人というわけではないが、着飾ることによって、垢抜けて見える令嬢だった。今日も仕立ての良いワインレッドのイブニングドレスに身を包み、頭からつま先までこれ以上つけるところがないくらいに宝飾品で飾り立てられていた。


 オリバーの頭には「この宝石の総額は一体いくらになるんだろうな」と言うことが真っ先に浮かんでいた。


 オリバーは晩餐会に呼ばれた礼儀として、

「ご令嬢、先日の観劇以来だな」と社交辞令程度にカレンに声をかけた。


 するとカレンは

「オリバー閣下……私のことを覚えていてくださったのですね。感激の極みにございます」

 と甘ったるい猫撫で声を出した。


 ルイとアリエルがこの場に居合わせたら「何だ、あの声は。反吐が出るな」「女の気持ち悪いところを煮詰めたらああなるのね」と言うだろうことが目に浮かび、オリバーは思わず目を細めた。


 しかし、それが良くなかった。カレンはオリバーに微笑みかけられたと思ったのだろう。そこからのカレンのオリバーへの想いは酒と共に加速していった。


 そこに、その様子を見ていたハンブルグ侯爵夫人と正面に座っていた侯爵嫡男のイーサンも加わり、オリバーはうんざりするほど絡まれることとなった。


 オリバーの正面に座っていた侯爵嫡男のイーサンはオリバーに尋ねた。

「オリバー殿、今日のために良いワインを手に入れていたのですが、一杯いかがですか?」


「せっかくのご好意ですが、殿下が不在の席で私だけ酒を飲むことは憚られますので、今日のところは遠慮させていただきます」

 とオリバーは愛想笑いを返した。


「勤勉な方だ」

 そう言うとイーサンは皮肉っぽい顔で笑った。そしてそのまま続けた。


「オリバー殿はまだご結婚されていないと聞いておりますが、どなたか将来を約束された方はいらっしゃるのですかな?」


「まだ話はまとまってはおりませんが、縁談の話はいくつか来ております。私も縁があれば身を固めたいと思っているところです」

 とオリバーはこれまでに何千回と言うほど口にしたセリフを繰り返した。


「オリバー閣下ほど素敵な方でしたら、引く手あまたでしょうねぇ」

 ハンブルグ侯爵夫人も応戦する。


「結婚というものは縁ですから、残念ながら私の一存で何とかなるものではないようですね」

 とオリバーも作り笑いを浮かべた。


「ところで本日、ルイ殿下はいかがされておられるのでしょうか?」

 イーサンはいやらしい目をこちらに向けた。


「いかが、とはどう言った意味でしょうか?」

 オリバーは表情を変えることなく答えた。


「最近殿下の話題が帝都を賑わしていますでしょう。殿下の腹心でもおられるオリバー殿であれば、殿下のお気持ちやお考えをご存じなのではないかと思った次第です」

 と言い、にやりと笑った。


「殿下には殿下のお考えがあるのでしょう。私には到底思い至らないことでございます」


 そう言ったオリバーは辟易していた。それでも、表情を崩すようなことはしなかったし、聞かれた話題にはできるだけ真摯に答えていた。


 本来であれば、もっとハンプシャー家との関係にも切り込んでいきたかったのだが、孤立無援の状態ではそれは難しかった。エル達がこの屋敷にいてこっそりとこちらを見張っていてくれているということが、心底ありがたかった。


 そしてその後も、見栄の張り合いのような会話は晩餐が終わるまで続いていた。


 ようやく晩餐が終わった時だった。席を立ったオリバーにカレンは話しかけた。


「オリバー様、我が家は夜の庭園がとても綺麗なのです。よろしければご案内させていただけませんか?」


 カレンはかなり酔いが回っているようだった。酔いに任せてオリバーの腕に触れてくる。当然のことながら、目上の未婚男性に勝手に触れるなど、明らかに礼を欠く行為だった。


「カレン殿、あなたはまだ未婚の女性です。夜に男と二人で出歩くことがあってはなりません。ここまで大切に育ててくださったご両親がご心配なさるでしょう」

 そう言うとオリバーはそっとカレンの手を自分の腕から引き離した。


「はは。オリバー殿は全く生真面目でいらっしゃる。これから我々男性陣でブランデーと葉巻をやるんですが、オリバー殿もぜひご参加されませんかな?」

 ハンブルグ侯爵は機嫌良くオリバーを誘った。


「せっかくのお誘いではございますが、早朝からの公務がありますので。それに殿下のそばを離れている時には、酒や葉巻はしないことに決めておりますので」

 とオリバーは丁重に断った。


 それでも何度か食い下がられたが、明日も早いので何とか誘いを断りハンブルグ家を後にすることができた。


 帰りの馬車の中で、オリバーは珍しく眠気に襲われた。

 ルイとアリエルの歯に衣を着せぬ物言いが、今日ほど心地よいと思えたことはなかった。明日はようやくルイに会えるのかと思うと、何となく心が軽くなっていくのを感じて目を瞑った。


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