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64. 第二皇子の表敬訪問

 ルイが謁見の間に呼び出された次の日、マティスはルノー公爵の嫡男レオナールと、ハミルトン公爵、そしてアレン、ハラス達と共に騎士棟に出向いた。


 表向きはマティスにも皇位継承の可能性を示唆するため、表舞台に出る足がかりを作るための表敬訪問だったが、目的は騎士棟に保管されている記録だった。


 国防の最高指揮官である大将軍と副将が騎士棟を訪問すると、事前に前触れがあったため、騎士棟に作られた広い演習場には常駐している数百を超える騎士が集められていた。



 マティスが大将軍であるハミルトン公爵と副将のレオナールを伴って演習場に姿を現した時、騎士達は驚きを隠せない様子は明らかで、いつまでも場は騒然としていた。


 第二皇子の存在は知っているものの、これまでにその姿を見たことがある者はほどんどいなかった。そのため突然の第二皇子の表敬訪問に場は湧き立っていた。


「皆、よく集まってくれた」

 マティスは指揮台に立ち、広場にいる騎士達を前に声を出した。マティスの声に、騒然としていた現場は一気にしんと静まりかえった。


「第二皇子のマティスだ。皆の命をかけた働きにより、この国の安寧が保たれていることを父である皇帝に代わり心より礼を言う。若輩ながら、私はこの国のために命を捧げていくつもりだ。皆、これからどうか私たちに力を貸してくれ」


 マティスの腹から出る透き通った声と、柔和な顔立ちに似合わない強い眼差しを騎士達は好意的に捉えていたのだろう。マティスの演説に大きな拍手が送られた。


 そしてその拍手はマティスの姿が見えなくなるまで続いていた。


「マティス殿下、お見事でした」

 騎士棟に入ると、ハミルトン公爵はマティスに言った。レオナールもうんうんと頷いている。


「……私は人前に立つのはどうにも苦手だな……」

 とマティスは苦笑した。


 騎士棟には書庫があり、そこにこれまでの戦争の記録が収められている。平時は厳重に施錠されていて、ハミルトン公爵、レオナールの他に数名の限られた者だけが書庫の鍵を持っている。マティスにも書庫の鍵が渡されていた。


 マティスが思っていた以上に、戦時についての詳細を書き記した書物は膨大で、記録したものによって形式も異なるため、必要な書類を精査するだけでもかなりの時間を要しそうだった。


「しばらくの間、この書庫に通い詰めて篭りたいのだが、難しいだろうか?」

 マティスはアレンに尋ねた。


「マティス殿下がこちらの書庫に入り浸ることは、立場上難しいかと思います。必要な書類に目星をつけて、地下奥の会議室に運びこんではいかがでしょうか。殿下の居室とも直接行き来できるため、人目に触れる心配もございません」


「ふむ。そうだな、そうしよう」


「必要な書類をおっしゃっていただければ、こちらで準備できるかと」

 とハミルトン公爵は言った。レオナールも頷いている。


「では、よろしく頼む。私とアレン、ハラスで書類の精査にあたることにする。怪しい箇所、虚偽があれば報告する。その時には虚偽内容を調査してくれ」


「御意」

 ハミルトン公爵とレオナールは頷いた。



 マティスはそれ以来、時間を見つけては騎士棟の地下に籠ることになった。昼間は父から謁見の間に呼ばれる機会もあり、公での露出の場面が増えていた。


 マティスの公への露出と共に、皇太子であるルイと皇帝との間に諍いがあったという噂は瞬く間に帝都中を駆け巡っていた。


 ルイが謁見の間に呼び出されてから半月ほど経つ頃には、第二皇子であるマティスの皇位継承の可能性が示唆されていることは周知の事実となっていった。


 それと同時にハンプシャー公爵が完全に皇帝側についたとの見解が噂され、その噂は帝都中の貴族の間にあっという間に広まっていった。


 ルイとマティスは書類を挟んで騎士棟にある地下最奥の会議室に肩を並べていた。


 膨大な量の書類の中から、国防や防衛費の支出を調査するため、これまでに記録されている兵士の情報から死傷した兵から紛失した武器、使用した薬品、死傷した馬の数まで全て数え直し、実際の支出と照らし合わせる作業に時間を割いていた。


 マティスがこちらに通うようになってすぐのことだった。ルイも表立っては作業ができないため、夜の遅い時間からこっそりとマティスを手伝うためにこの部屋に通うようになっていた。そこにオリバーが交じる日もある。

 ルイと一緒に過ごせる夜のこの時間が、マティスの楽しみになっていた。


「それにしても、父上の牽制の効果は見事だったな。それに、演習場でのお前の演説も立派だったと聞いている」

 とルイは嬉しそうに言った。


「ありがとうございます……しかし、私は兄上の周囲からの評価や、兄上に対しての風当たり強くなることが心配です」

 とマティスは申し訳なさそうな顔をルイに向けた。


「なんだ、そんな事か。私への評価や風当たり一つでこの国が良い方向に変われるのであれば、そんな事など取るに足らんことだ。


 それに、人の見え方や気持ちなど簡単に変わる。それに父上やアリエル、お前達が真実をわかっていてくれるのであれば、私は何も気にはしていない。お前が気に病む必要はないぞ」

 とルイは意に介さない様子で笑いながら答えた。


 マティスは、自分とは違う寛容な器を持つ兄が好きだった。兄のような人間こそ、この国の後継者に相応しいと思う。父や兄を知れば知るほど、自分には皇帝という器ではないことを感じる。


 そしてマティスは自分が皇帝の座に着くことよりも、皇帝の座に就く兄の支えになり、共にこの国のために生きたいという思いを強く抱くようになっていた。


「それにしてもアリエルや部下達の調略の手腕には目を見張るものがあるな。私は彼らが味方でなかったらと考えるだけでゾッとする」

 とルイは呟いた。


「全くです……」とマティスも深く頷いた。


 実のところ、この噂が尾鰭をつけ瞬く間に広がっていったのは、アリエルの部下であるシモンとハラスの暗躍が大きかった。ハラスはアレンと共闘して城の役人の中でも口が軽そうな者を見つけては内情を漏らし、誇張した噂が広がるように仕向けた。


 そして、シモンはいつの間にか新聞記者を買収し、こちらの意図した通りに人々が心を動かすような記事を書かせていた。


 その甲斐があってか、これまで蜜月だったハンブルグ家・スミス家とハンプシャー家の間の亀裂が生じていることは明らかだった。ハンプシャー家が皇帝とマティスの側についた今、ハンブルグ家とスミス家は何としても皇帝と対立傾向にあるルイに取り入りろうと、躍起になることは明白だった。


「ところで兄上、今日はオリバーは来ないのですか?」


「あいつは今夜、ハンブルグ家の晩餐会に呼ばれているそうだ」


「例の未婚の次女ですか?」


「ああ、アリエルの差金だが、あいつは調略にもってこいの人材だそうだ」


「アリエル殿下らしいですね」


「そうだな。彼女みたいな人間を人たらしと呼ぶのだろうな。お前もそう思うだろう?」

 とルイはマティスに笑いかけた。


 マティスはそんなルイの嬉しそうな顔につられて、クシャっとした笑顔を見せた。


 二人は時に笑い合い、時に数字を前に議論を交わし、膨大な過去の記録を洗い出していった。


 ルイとマティスはこれまでの空白を埋めるかのように、様々な話をした。


 ルイは母である前皇后が他界してからというもの、初めて家族の絆に触れていた。

 そしてそれは何ものにも代え難いのだなと感じていた。おそらくマティスも同じように感じているということは、屈託のない笑顔から見て取れた。


 そんなことを考えていた時、ルイはふと無性にアリエルの顔が見たいと思った。ルイは半月ぶりに帝都の屋敷に行くことに決めた。

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