58. 皇室の晩餐会
アリエルは晩餐会の当日、久しぶりに病床の王女になり、大きな唾にベールのついた帽子を深く被った。
そして時間になると、離宮まで迎えにきていた皇室の馬車に乗った。
「今日は、貴重な皇后との接触よ。皇后の立ち位置を掴めると良いのだけれど」
侍女として同伴を許されたエミリーは冷静に行った。
「まだ、何とも言えませんね……」
「……そうね……まあ、とにかく行きましょう」
アリエル達を乗せた皇室の馬車は、城へ続く橋を渡り門に中に消えた。
城に着くと、アリエルは晩餐会に通された。豪奢な造りの晩餐の間にはいくつもの大きな花瓶が置かれ、冬であるのに紫色の薔薇と柊が生けられていた。天井には華やかなシャンデリアがいくつも飾られている。
アリエルが部屋に入ると皇帝、皇后、ルイ、マティスはすでに着座していた。
「アリエル、良く来たな」と皇帝は声をかけた。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。ご尊顔を賜り恐悦至極にございます。本日はこのような貴重な機会にお招きいただき、心より感謝申し上げます」
とアリエルは膝を曲げ、頭を下げた。
「ああ、ゆっくりして行きなさい」
そう言うと、皇帝は口角を上げ、二、三咳払いをした。
アリエルは斜向かいに腰掛けていた皇后陛下に向かい直した。
「皇后陛下にご挨拶申し上げます。ご尊顔を賜り恐悦至極にございます。本日はご多忙の中このような機会を設けていただき、心より御礼申し上げます」
深く膝を曲げ、頭を下げた。
「アリエル、ご苦労だったわね。かけなさい」
そう言うと皇后は着席を促した。
アリエルはルイの横に並んで腰をかけた。アリエルの目の前にはマティスが座っている。
アリエルは気づかれないよう、俯いたまま目線をマティスに向けた。ふと目があったマティスの目は泳いでいた。
この人達、大丈夫かしら……とアリエルは先行きが不安になった。
「では、皇室の繁栄と栄光を祝して」
と皇帝がワイングラスを持ち上げ、乾杯が行われ、晩餐が始まった。
「アリエル、こちらにはもう慣れたか?」
と皇帝は穏やかに尋ねた。
「はい。ようやく勝手もわかって参りました。陛下をはじめ皆様の御力添えのおかげで、体調もだいぶん良くなっております」
アリエルは蚊が鳴くほどの小さな声でつぶやいた。
「そうか。ルイとは仲良くやっているか?」
皇帝は興味津々と言った目でアリエルとルイの方を見た。
「はい。ルイ殿下にはとてもよくしていただいており、時折離宮に見舞いの花を送ってくださいます」
アリエルは消え入りそうな声でそう答えた。
「ふむ。そうか」そう言った皇帝の表情から、感情は何も読み取れなかった。
しかし、その話を聞いていた皇后の目が哀れみを含み、引きつっていたのをアリエルは見ていた。
「……きっと、皇后の耳にも殿下と貴族令嬢の話は届いているはず。どういう反応するのかしら」とアリエルは皇后の心情が気になっていた。
しかし、それからの時間、食事中は当たり障りのない会話が交わされ、最近話題になっているはずのルイと貴族令嬢の話題は一切持ち出されることはなかった。
「ところで、マティス。お前もそろそろ十六になる。そこでだ。お前に補佐官をつけようと思う」
と皇帝は切り出し、マティスに顔を向けた。
その瞬間だった。
「お待ちくださいませ! 陛下!」
皇后から鋭い声が上がった。
「国政に携わる予定のないマティスに補佐官はまだ必要ないのではございませんか?」
と皇后は強い口調で言った。
「これまではそうだったとしても、マティスがこれから国政に携わらないとは限らんだろう。それに十六にもなれば、この国のこと、議会のこと、関わる貴族のことも知らないわけにもいくまい」
「……しかし……」
「マティス、お前はどうだ? もう少し国のことについて学ぶ気はあるか?」
皇帝は聞いた。
「はい。もし、父上が良いとおっしゃるのであれば、私も学んでみたいと思います」
「よし、では決まりだな。補佐官としてアレンとその部下であるハラスをつけよう。共に優秀な者達だ。彼らからしっかり学べ」
「ありがとうございます、父上」
マティスは嬉しそうな顔をしていた。皇后はそんなマティスを睨みつけている。
「皇后、過保護にしておくのも良いが、マティスとて皇位が全くないわけではない。少しくらいこの国のことを学ばせろ。それから、城にばかり籠っておっても知見は身に付かんだろう。しばらくこちらの護衛をつけるから補佐官と視察にでも行かせろ。良いな」
皇帝はそう言うと半ば強引話を押し切っていた。
「……承知いたしました」
皇后はそれ以上抵抗はできないと判断したのだろう。渋々首を縦に振った。
あからさまに動揺する皇后の姿から、マティスが政治に関心を抱くことに深い懸念を抱いていることが手に取るようにわかった。
しかし、皇后の心とは裏腹に、これでマティスにも多少の自由が担保されると思うとアリエルは嬉しくなった。
おそらくこの場で、皇后だけが秘密裏に行っている調略について何も知らされていない。
彼女がアリエルに向けた哀れみの目には敵意はなさそうに見えた。部外者であるアリエルに対してさほど興味がないようにも見える。
そして、ルイが貴族令嬢と出歩いているであろうことはすでに知っていてもおかしくないのに、特にそれについて言及するわけでもなかった。
皇后がどれくらいハンプシャー家のやり方に関わっているのかは読み切れない。皇帝も、どれくらい彼女が関わっているのか測りきれてはいないのだろうと感じる。
皇后に一番近い存在であるマティスなら、本当の彼女の心情を理解できるのかもしれないとアリエルは思った。皇后とマティスの様子を静かにみていたアリエルは、マティスならば彼女の微細な心の揺らぎや心の内を紐解くことをきっとやるはずだと不思議と確信にも似た気持ちが湧いた。
アリエルは灰色の艶のない前髪の下からそっとマティスを見つめていた。こちらの視線に気づいたマティスとうっかり目が合ってしまった。
水を飲んでいたマティスは咄嗟にむせ返り、笑いを席で誤魔化し始めた。その様子をみていたルイも肩を震わせ始めた。
「なんだ、今日は皆調子が悪そうだな。アリエルも病み上がりだ。無理せぬよう、早めに切り上げることにしよう」
皇帝はそう言うとルイに目配せをした。
ルイは相変わらず無表情のまま
「……承知いたしました。では、アリエルは私が離宮までお送りすることにします」
と答えた。
晩餐の後、マティスは皇后の居室を訪ねた。
「母上、私です。少しお話したいのですが、よろしいでしょうか?」
ドアをノックし、訪いを入れた。
母は居室に一人でいた。
皇后である母は歳の割に若々しく見目麗しく、その見た目だけならマティスとそれほど年の頃も離れていないように見える。
「珍しいわね、マティス。私に何か用が?」
母は不思議そうに聞いた。
「……はい、その……母上にお伝えしたいことが」
「何かしら?」
「はい……母上……母上はこれまで私のことを思ってくださっていたのですね……」
母にそう伝えると、マティスの目に涙が溜まった。
「……急にどうしたのです、マティス?」
「……母上が、私に父上や兄上、それからこの国の政治から遠ざけようとしていることに、私はずっと納得できずにおりました。母上が母上なりのやり方で、私を守ってくださっていたということが、ようやく私にも理解できました」
「……マティス」
皇后はマティスを見つめた。
「しかし、私はこの国の皇子として生まれました。だからこそ、何も知らずに生きるという選択は私にはないのです。それをお伝えしたくて」
マティスは力強く言った。
「マティス……お前、最近こそこそ動いていると思っていたけれど、それが何か関係しているのね?」
母は顔色を変えた。
しばらくの間、沈黙が流れた。
そして、マティスは静かに言った。
「……はい。私はこの国で何が起きたのか、すでに存じております」
「……まさか……」
皇后の瞼がかすかに痙攣したことにマティスは気づいていた。それでもマティスは続けた。
「はい。前皇后の件も、母上のご実家やそれと繋がりのある貴族達が何をしているのかも全てです」
「……そうか、お前はすでに全てを知っているのですね……」
母は表情を変えることなくマティスを見た。
「……はい」
「お前はこれまで、私の意思に背くようなことを言うことなどなかった。だがお前が私のやり方に到底納得していないこともわかっていた。しかし、私には他にどうすることもできなかった。いつか、お前が全てを知り、私を憎む日が来ることも覚悟の上です」
「……そんな、憎むなどと、そんなことはあり得ません……」
マティスは声を荒らげた。
「……マティス、もう良い。これからのことは、お前の意思に任せることにします」
「……母上。どうか、私を信じてくださ……」
皇后は、マティスの声を遮り、静かに言った。
「……これ以上話すことはありません。下がりなさい」
マティスはそれでも諦めず、皇后を見つめていた。
「……はい。でも母上、これだけは言わせてください。私も父上も、母上のことを愛しているのです。それだけは、母上の胸に留めておいてください」
そう言うとマティスは静かに部屋を出た。




