5. 夜中の密会
ルイはアリエルを部屋に送り届け、自室に戻った後も彼女のことを思い出していた。
ただ、父の友人の娘をエスコートしただけだ。大したことではないと、何度も頭からユーリを追い出そうと試みた。
ブランデーを飲みながら部屋の窓からぼんやりと庭園を見ていた。ふと、白い陰が見えた。見間違いかと思ったが、よく目をこらすと白い影が噴水の方に歩いているのが見える。
「あれは、まさかユーリか? いや、しかしどうやって城から出た? 滞在している部屋は二階だったはずだ。それに従者も付けず、夜中に一人で娘が出歩くのか?」
疑問はあったが、気になりだすといてもたってもいられなくなり、仕方なくルイは白い影を追って部屋を出た。
部屋の外には従者が待機していたが、少しだけ外すとだけ伝えた。普段ならば必ず同行させるが、なぜか今日は一人で行った方がいいと思った。
ルイが庭に出ると、白い影はすでになく、姿を見失ってしまっていた。それでも、と思い白い影が消えていった方へと急いで足を進めた。
真っ直ぐに進むと水の音が近づいて来た。おそらくアリエルは噴水の前に作られているサロンの方に向かったのだろうと思った。ルイも自然とそちらに足が向いた。
ルイはかつんかつんと歩き、サロンの前まで来て立ち止まって目を凝らそうとした。その時だった。
喉元にヒヤリと冷たいものが当たった。
刃物だった。まずいと思った時は、すでに遅かった。全く油断していた。素早く後ろ手を取られ、首に手を回されて刃物を突きつけられている。どうすべきか考えていると、背後から耳元にささやく声がした。
「抵抗すると、刺す」
誰の声かはわからないが、低い女の声だった。
「抵抗されてまずいのは、そちらではないかな」
そう答えながら、次の一手を考えていた。
その時だった。急に手が離され、首に当てられていた刃物もするりとなくなった。
「ルイ殿下?」
その瞬間、ルイは声の主がわかった。
「ユーリ、あなたなのか?」
暗がりで顔は良く見ないが、暗がりに集中すると、ぼんやりと白い服を着た女の佇まいが見える。
「はい。私でございます。ユーリでございます。不審者かと思い、つい刃物を向けてしまいました。皇太子殿下に刃を向けてしまいましたこと、許されることではないと承知してございます」
そう答えたアリエルの声は震えていた。
ルイは怒る気にはなれず、
「いや、いいんだ。抜かった私にも責任はある。しかし、不審者は私ではなく、あなただな」
と言った。
「はい、その通りでございます。本当に申し訳ございません」
目も暗がりに慣れ始め、声の方を見ると、怯えているアリエルと目が合った。
「はは。あなたは、わけがわからないな」
とルイは思わず笑った。
「刃物を向ける勇気があるかと思えば、叱られた子供のような反応をする」
「殿下。私には笑い事ではございません。今の私はこのまま処刑されてもおかしくない状況でございます」
「大丈夫だ。ここには私とあなたしかいない。いいか? あなたはここに来ていないし、私もここにはいなかった。そういうことにしよう」
「殿下の寛大な処置に、感謝申し上げます」
そう言うとアリエルは跪いた。
「ところでだ。あなたはこんな時間にここで何をしていた?」
急に尋ねられたアリエルはどきりとした様子だった。しかし、ここで嘘をつくのも得策とは思えないのだろう。渋々と正直に話し始めた。
「はい。ちょっと、その、夜の庭園を探検したいなと思いまして。できればその、噴水あたりでワインでもと……」
「なるほど。それは、楽しそうな企みだな。黙っておく代わりに、私も共犯になってよいだろうか」
ルイはにやりと笑った。
拍子抜けしたアリエルは驚いた顔をしていたが、にっこりと笑った。
「はい。もちろんでございます、殿下。共犯者ができるとは光栄にございます」
いたずらが好きそうな子供の顔だった。
サロンにあるガーデンテーブルの真ん中にろうそくを置くと、うっすらとお互いの顔が見えた。二人は初めて顔を合わせて笑った。
「あなたは、おてんばだな」
「返す言葉もありません」
「見事な護身術だった。全く気配を感じられなかった。相当に訓練しているのであろう?」
「一応、身を護れる程度には父から訓練を受けております。旅に危険はつきものですから」
とアリエルは何でもないことのように答えた。
アリエルは履いていた靴を投げ出し、裸足で椅子の上に両膝を立てて座っていた。それは夕食の時の優雅なマナーからは想像がつかない姿だった。もしかすると、こちらが本来の彼女なのかもしれない。
「風が気持ちいいですね、殿下」
「ああ、もうすぐ夏だな」
何か特別なことを話すわけではなかった。ただ、なんの駆け引きもないたわいない会話が心地よかった。
一つのワイングラスでワインを交互に飲んだ。
「あなたはいつも、こんなことをしているのか?」
ルイは体を乗り出して聞いた。
「初めてでございます。お城にこんな形でやって来たのも、陛下や殿下とお会いしたのも、親兄弟以外の男性にエスコートされたのも、こうして夜の庭に探検にやってきたのも、全て初めてのことでございます。だから、きっとこれは夢だと思って楽しもうと決めたのでございます」
そう言ってアリエルは笑った。
「そうか。初めてか。そうだな、これは夢かもしれないな。そういえば、私も夜の庭でナイフを向けられたのも、誰かとこうしてこんな形で酒を飲むのも初めてだ」
とルイも目を細めた。
「殿下も笑うことがあるのですね」
アリエルは言った。
ルイは自分で今、自分がどんな顔をしているのかがわからなかった。
「私は今、どんな顔をしていた?」
「笑っていらっしゃいました。素敵な笑顔です」
アリエルは屈託なく言う。
「そうか、笑っていたか。素敵に見えたのならば、それは喜ばしいな」
ルイは照れを隠すように、ワインを流し込んだ。
何かをじっと考えていたルイは、アリエルの目を見つめて口を開いた。
「ユーリ。今日あなたが言っていた、あなたの考える幸せとは何だ?」
アリエルもしばらくルイの目を見つめてながら考えていた。
「はい、殿下。私が思う幸せは、人を愛し愛されることにございます。人の根幹は愛だと私は信じております。時に愛が歪んで届かなくなってしまうが故に起こるのが争いだと私は思います。
しかし人は、国や身分に関係なく、いつの時代にも愛を紡ぎ生きていきます。
そしてその愛情を表現できる最小単位は家族でございます。だからこそ、私は自分が生きている限り、家族を愛し、民を愛すことが私の幸せでございます」
「あなたに愛される人は幸せだろうな」
「そうであると、嬉しゅうございますね」
アリエルが微笑むと、ルイは胸が、苦しくなった。
「もう後一刻程で夜が明けるな。今度こそ、部屋まで送ろう」
「お気遣い、誠にありがとうございます、殿下」
そう言ってアリエルはルイの腕を取った。
これで別れが来るのか、そう思うとやるせない気持ちになり、アリエルの掴んだ腕にそっと自分の手を当てた。
「さあ、行こうか」
「はい」
アリエルは小さく返事をすると、ルイが触れた手を見て、恥ずかしそうに微笑んだ。
遠く空がほんのりと薄紫に染まり始めた頃、アリエルと部屋の前で別れた。別れ際に
「楽しい時間をありがとう」そう伝え、手の甲に軽く口をつけた。
自分でもなぜそんなキザなことができたのかと、思い出すと気恥ずかしくなる。しかし、あのまま別れるのは名残惜しかった。
もう会えないことはわかっているが、いてもたってもいられなかったというのが本音だった。
これが「心を奪われる」というものなのか。今すぐ、この娘を奪い去ってしまえたらどれだけ良いのにと思った。
だが、帝国の皇太子と、隣国の伯爵の娘が、どうにかなる未来はない。このひとときの出来事を、ただ美しい思い出として心の中にしまい込んでおくことしかできなかった。
この度はお読み頂きまして、誠にありがとうございました。これまで読み専だったのですが、思い立って作作品を書いてみることにしました。
もし、よろしければ最後までお付き合いいただけますと幸いでございます。