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46. 大義を持つ者

 兄の婚約者は、この世に人形のような人間がいるのかと思う程美しい女性だった。


 しかし、それよりもその婚約者が諜報員だったことの方がよっぽどマティスの好奇心を刺激した。


 そしてようやく、頭の中で想像していたことと、現実に起こっていることを照らし合わせる機会を得られたことがマティスにとってはありがたいことだった。


「マティス殿下、こちらへ」と言うとエルはマティスを書庫まで案内した。


「随分集めたのだな」


 もともと舞踏会場として使われていた場所には、所狭しとばかりに書棚が並べられていた。


「これでもだいぶんアルメリアにおいてきたようでございますがね。気になるものがありましたら、お手に取ってくださいませ」


「ふむ。この書棚に置いてある国家予算表と収支が途中からないのはなぜだ?」


「そちらは今アリエル様の執務室にございます」


「なるほど。税収の収支もアリエル殿下のところにあるのだろうか?」


「古いものから順に書き写しておりますので、写しはこちらの書棚に。直近のものについてはまだ写し終わっておりませんので、アリエル様のところに原本が」


「そうか、なら良い。ここにあるものから見せてくれ」


 マティスは書棚の周りに用意されていた机にごっそりと資料を置き、椅子に腰をかけた。


「お茶をお持ちしましょう。気になる箇所がございましたらお尋ねください」

 エルはそう声をかけると、そっと書庫から出た。


 マティスは次々とページをめくった。

「なぜだ。合わないぞ。八年前から、数字に違和感を感じる……おそらくアリエル殿下もこれを調べておられるのだな……何かが明らかにおかしいわけではない。だが、どうにも不自然な気がするのに、無理やりに辻褄を合わされている……」


 マティスは一つずつ紐解くことにした。


 これまで、どんな状況下でも考えることをやめたことはなかった。どんなに情報が少なくてもその中にも小さな手がかりを見つけ、何百通りと言う仮説を立てた。


 そしてその仮説を一つずつ想像の中で検証することにより、自分なりの答えにたどり着いてきたのだ。この中にも、何かの手がかりが必ずあるはずだ。


「何かがおかしい……」

 マティスは何度も数字に目を凝らした。


 エルはマティスの邪魔にならないようにそっとティーカップを置き、書類を読みやすいように月次順に揃えなおした。


「エル、この国家予算の収支は裏帳簿に沿って付けられているのではないか? 本来であればもっと多くの予算が残っていてもいいはずだ。どこがおかしいとは言えないが、うまく帳尻を合わせるように改竄されている気がするのだ。


 ここ八年ほどの国防に当てられている予算が特に怪しい。例えばだが、有事の際に消費した馬の数、医療費、損失した武器、その辺りを水増し、必要以上に充当経費を割かれていたとしてもこちらでは把握するのは難しい。私が担当者であればおそらくこの辺りから手をつけるだろうな」


「マティス殿下は聡いお方でございますね。おそらく殿下のご推測の通りかと。アリエル様も、この財務表からだけではなかなか証拠を掴みきれずにいるのです」


「ふむ。実施検証で裏を取るしかないのだな……」


「その通りでございます。実態調査を行うしかないのですが、人手が足りないためそこまでの調査に至っておりません。それに異国から来た我々が不用意に近づくとかえって怪しまれる可能性もあるため、なかなかそちらの調査が進んでいないのです」


「……この国は見かけ以上に蝕まれているのだな……」


「……」


 不正に金が流れていることだけは確かだった。要職についた者がこの国を自分のもののように好きに扱っていると思うと、胸の奥が熱くなった。マティスは図書館で読んだ歴史書のことを思い出していた。


 これまでも何度かこの国では飢饉や大災害、他国の紛争が起こっていた。多くの国民が死傷し、家や家族を失った。そしてその度に最初に犠牲になるものはいつも貧しい者だった。


「もし、この金が流出しなければ、死なずに済んだ民は大勢いたのだろうな。この国の民が死ぬと言うことは、それだけこの国の未来の財産が失われると言うことだぞ。民を失うことは結局彼ら自身の首を締めることになる。なぜ要職に就くものがそんなこともわかっておらぬのだ……」


「……マティス殿下……人間には欲がございます。一度その欲に取り憑かれた者は、正義や徳などを簡単に見失ってしまうでしょう。それほどまでに大義を貫き続けることのできる人間は、少ないと言うことです」

 エルは答えた。


「……この件には母上も関わっているのだな……」


「それは、私共にはわかりかねます。ただ、皇后陛下のご実家であるハンプシャー家はこの不正に深く関わっておられることは確かです」


「……そうか。……薄々わかっていても、いざ証拠を突き付けられると堪えるものだな……」


 *


 ひとしきり書庫で書類を見た後、マティスはアリエルの執務室に通された。全く装飾のないその部屋には書棚がぎっしりと詰め込まれ、大きな机が二つ並べられている。その脇に小さな応接セットが置かれ、ルイとアリエルは向かい合って座り書類を睨んでいた。


「マティス殿下、よろしければこちらの書類をご覧になって」

 マティスはルイの隣に腰を下ろした。


「これは?」


「私達がハンブルグ家から拝借してきた、犯罪の証拠となる機密書類よ」


「なんと、どうやって持ち出したのですか?」


「ハンブルグ家の舞踏会に忍び込んだのだ。その時に嫡男に一服盛って執務室の鍵を奪い、執務室から持ち出してきたそうだ」

 と呆れたようにルイが言った。


「……アリエル殿下が、ですか?」


「ええ、そうなの。でも、ルイ殿下にも部下にもすごく叱られてしまったのだけど」


「当たり前だ」


「……」


「この書類を見るだけで、大体この国の貴族、特に議会で力を持つ者がやっていることがわかるはずだ」


 マティスはルイから書類を受け取ると目を通し始めた。

「脱税、機密文書の改竄、密輸転売、資金洗浄……なるほど、随分と堂々とやっているのですね。国家乗っ取りを考えていても不思議ではないくらいだ」


「ええ、そうなのよ」


「そんな中でこの国はよく持ち堪えていますね……」


「一重にお父様である皇帝陛下の手腕よ」


「もう一度この書類を見せてください」


 そういうとマティスは書類の端から端までじっくりと目を通した。


「……証拠を掴んだら、国家反逆罪で一族共々断罪してやりたいですね」


「……お前……結構過激派だな」

 ルイは呟いた。


「ただ、この国賊みたいな輩を潰したところで、根本的な問題は解決するかといえば、そうでもないと思います。大なり小なり不正を働かくものはいつの時代もいるものでしょう。ただ、国賊が蔓延らないくらいの法的抑止力は今後この国において必要になるでしょうね」

 とマティスは言った。


「ああ、私も同じ意見だ。この者達を排除しても、時が経てばまた同じことを繰り返すだけだ。排除した後どのようにこの国を再構築していくのかが重要になるだろう」

「私も同感です」とマティスはうなずいた。


「そうなると、お前の母上である皇后の所存が非常に難しくなってくる」


「はい。母上がどこまで関わっているのかを綿密に調査する必要がありますね。おそらくその調査は私が適任かと」


「お前には辛い事実だな」


「……いえ、いつかこうなる日が来るのではと覚悟していましたから」

 とマティスは力なく笑った。


「二週間後、晩餐会がある。アリエルが皇后に接触するいい機会になるはずだ」


「そうね。私もその時までに何か皇后に関する情報をつかみたいと思っていたのだけど、この不正への関与有無はいまだにわからないの」


「そうでしょうね……あの人はああ見えて用心深いですから……」


「アリエル殿下、またこちらに伺ってもよろしいですか?」


「もちろんよ。いつでも歓迎だわ」

 アリエルがそういうとマティスは嬉しそうな顔をした。

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