35. 舞踏会からの脱出
アリエルは睡眠薬が入っていたグラスをワインですすぎ、中身のワインを窓から捨てた。そして何度も薬の痕跡が残っていないことを確認し、グラスとワインボトルをハンカチで拭った。
それからエミリーが戻ってくるまでの間、イーサンの部屋を物色することにした。
机についている引き出しを開けてみた。手紙がいくつも入っている。差出人は全て婚約者のカレンだった。
「まあ、こんな男を夫に持たなきゃいけない彼女も大変でしょうね」
それからしばらくの間、窓の外を見ていた。
大義に背くような方法で金を自分の懐に入れ、こんな大きな屋敷に住まい、夜な夜な舞踏会に明け暮れている人間の気持ちがアリエルにはわからなかった。
窓からは空が見えた。空には三日月が浮かび、星が美しく光っていた。
「いつか、この国は変わる時がくるのかしら……神様、どうか二人が無事で帰ってきます様に」
と呟いた。
アリエルは二人がただ、無事に帰ってくることを祈ることしかできなかった。
コンコン、という扉をノックする音が聞こえた。
「イーサン閣下、御令嬢、失礼いたします」
エミリーの声だった。
アリエルはエミリーを部屋に招き入れた。
「うまくいったようね」
「はい。今のところ、滞りなく進んでおります」
そう言うとエミリーはアリエルに鍵を渡した。アリエルは鍵の束を丁寧にハンカチで拭き、脱ぎ捨てられていたイーサンの上着の胸ポケットに戻した。
「できるだけ急いで屋敷を出ましょう。シモンに馬車まで来るよう伝えて。あなた達三人もできるだけ早く退散して頂戴」
アリエルはイーサンの口と手の縛りを解いた。
そして身嗜みを整えると、エミリーと共に静かに部屋を出た。
部屋の近くにいた、見張り番に近寄った。
「どうか、私がここに来ていたことは、ご内密にお願いしたいわ」
とささやき銀貨を一枚手渡した。見張り番は黙って頷いた。
アリエルはエミリーとともに目立たないように階段を降りた。そして再び舞踏会の会場には戻ることなく静かに屋敷の出口に向かった。
アリエルが馬車に乗り込むと、間もなくしてシモンが乗り込んできた。
「出して頂戴」
とアリエルがいうと、馬車はゆっくりとハンブルグ家の門へと向かった。そして夜の暗がりに消えた。
「ああ、人生で一番長い夜だったわ」
「私も生きた心地がしませんでした」
「でも、うまくいったわ」
アリエルは荷物箱から書類を取り出して、無邪気に笑った。
「もう、こんなことはなさらないでください」
「わかっているわ。もう、こんなことはしない。心配をかけるようなことをして、ごめんなさい……」
悲しそうな顔をするシモンに、アリエルはそう言った。
アリエルは離宮に戻り、エル達の戻りを待つことになった。
しかし、アリエルはいても立ってもいられなかった。じっとしてはおられず、どうか二人が無事に帰ってくるようにと、玄関を行ったりきたりした。今か今かと、祈りながら待ち詫びていた。
アリエルが待ちくたびれた時、玄関の前に一台の馬車が止まった音が聞こえた。アリエルは思わず玄関を飛び出し、馬車まで駆け寄った。
しかし、その馬車から降りてきたのはエルでもエミリーでもなかった。
「……ルイ殿下……」
ルイとオリバーは静かに馬車から降りてアリエルの前に立った。アリエルは自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。




