31. 舞踏会場にて
ルイは書類の決裁に追われていた。皇帝陛下にあげる必要のある書類かどうかの判断はルイに委ねられているものも多い。
「次に公務が空くのはいつだ?」
「二週間後ですね」
「長いな……」
「仕方ありません。それから殿下、今週末にハンブルグ家で行われる舞踏会の出席については、如何なさいますか?」
「またか。あのもの達は他にするべきことはないのか。断ってくれ」
「……しかし、殿下は前回の舞踏会をすっぽかしています。二度も続けて欠席すると心証が悪くなることが懸念されます。それに貸しはあまり作らない方がよろしいかと」
「……難儀だな。少しだけ顔を出して帰ることにする」
「ご同伴者は……」
「アリエルは出さないからな。お前が来い」
「承知いたしました。この件はアリエル様にお伝えした方がよろしいでしょうか?」
「そうだな……いや、その必要はないだろう。彼女は必要とあらば自分で調べるであろう」
「承知しました」
「しかし難儀だな……」
「公務ですから」
「……わかっている」
ルイは社交の場が苦手だった。腹の見えないものたちが表では笑い合い、どうやって他者を蹴落とすかばかりに躍起になっている。そんな人間達がいやらしく笑い合う場所に出かけるのが億劫だった。
ルイに近づく貴族の娘はどれも同じようなものだった。聡明で清らかな心を持つ女性もいるのかもしれないが、そんな女性はほんの一握りだろう。
人の汚いところを煮詰めたような貴族社会の中で心を乱さずいるためには、ルイは感情を殺すほかなかった。
離宮に出向いた日以来、アリエルに会っていない。しかし、彼女の存在が近くにあるというだけで、ルイの心は以前よりずっと軽くなっていた。
土曜日の夕方、ルイは通常の執務を終えた後、そのままの格好で城を出ようとした。
「殿下、念のためお召替えいただいた方がよろしいかと」
「なぜだ。別に顔を出すだけなのだ。このままでよかろう」
オリバーは呆れた声で言った。
「見栄の張り合いの場に出かけられるのです。もう少し着飾られた方がよろしいかと」
「全く難儀だな」
とルイは言い、自室に戻り使用人に着替えの用意をさせた。
ルイがハンブルグ家の屋敷についたのは、舞踏会が始まってからだった。
「遅刻だな」
「ですね」
「お前が着替えろなんていうからだろう」
「……」
「しかし、この屋敷はいつ来ても贅の極みのような下品な宮殿だな」
「……殿下は豪華で華やかだとおっしゃりたいのですね」
「……なるべく黙っておくことにしよう」
「賢明なご判断でございます」
「……次の休みは、離宮に行くからな」
「はい」
「では行くか」
ルイが馬車を降りると、ハンブルグ侯爵家の使用人が飛んできた。
「ルイ皇太子殿下、お待ち申し上げておりました。どうぞこちらへ」
そう言ってルイにかしずく。
「ああ、遅れてすまなかったな」
「とんでもございません。さあ、どうぞ。皆様殿下をお待ちでございます」
そう言ってルイは屋敷の中に通された。
贅沢の極みともいえる程派手に赤と金で飾られた内装は、ルイに嫌悪感を与える。この屋敷にかけられた金は、いったいどこから出ているのだ。と思うと否応がなく重い気持ちになった。舞踏会場の扉を開けると、もう参加者は集まり各々に宴を楽しんでいるようだった。
ハンブルグ侯爵と夫人がルイを見つけ、駆け寄る。
「ルイ皇太子殿下、本日はお忙しい中ようこそおいでくださいました。光栄にございます。存分に楽しんでいってください」
「ああ、ルイ皇太子殿下、本日はようこそおいでいただきました。ご婚約されてから、あまり表に出られないから、皆寂しがっております」
「ハンブルグ侯爵、御夫人お招きいただき礼を言う」
ルイは素っ気ない挨拶をすると、なるべく目立たないようオリバーを連れて会場の奥の方へ進む。
「オリバー、ハンプシャー侯爵の嫡男に挨拶をしたら、退席するぞ」
「承知いたしました。殿下、このホールの奥に、殿下に用意された控室がございます。そちらでお待ちください。私はハンプシャー侯爵を探して参ります」
「ああ、頼む」
ルイが従者と護衛を連れ、オリバーと共に会場の端を歩き、奥へ進んで行こうとすると、栗色の髪をした女性が目に留まった。まさかと思い、足を止めて目を凝らす。栗色の髪を結い上げ、菫色のドレスに身を包んでいる。さほど派手な装飾をしているわけではないが、周囲と比べ、一際輝いているのは明白だった。
「アリエル?」
「オリバー、あそこにいるのはアリエルではないか?」
「まさか。そんなはずはないかと……」
オリバーも足を止める
「……確かに、アリエル様でいらっしゃいますね」
「なぜ彼女があそこでハンブルグ侯爵の嫡男と話しているのだ?」
「……私にもわかりかねます」
「とにかく行くぞ。お前達はここで待て」
これまでひっそりと姿を隠していたルイは、従者と護衛をその場に残して会場の中央にあるダンスホールまで出てきた。すると、ルイに気がついた者がそばに近寄ってくる。それらの社交辞令をのらりくらりと交わしながら、ルイはアリエルの方へ近づく。
その時だった。会場内にバイオリンの音が響き、ダンスの時間が始まった。それまで話に花を咲かせていた者達も一斉にパートナーを探し始める。
イーサンがアリエルにダンスを申し込もうとしているのが見えた。
「イーサン、久しぶりだな!」
ルイは何とかアリエルとイーサンの間に割り込んで、イーサンに声をかけた。
「これは、ルイ殿下。僭越ならが、ご挨拶申し上げます。この度は、我が屋敷まで御足労いただき、感激の極みにございます」
「私も挨拶をと思っていたら、ちょうどイーサンを見つけたのだ」
と言ってアリエルを見た。
「こちらのご令嬢は?」
「はい。アルメリアよりお越しのデューク伯爵の御令嬢ユーリ様でございます」
「そうか。アルメリアからお越しか。私はトルアシア帝国皇太子のルイだ。ようこそトルアシアにおいでくださった」
アリエルはルイの顔を見て、驚いた顔をしていた。
しかし、噯気も悪びれることなく
「トルアシア帝国皇太子殿下にご挨拶申し上げます。ご尊顔を賜り、恐悦至極にございます。アルメリアより参りましたデューク伯爵の娘、ユーリにございます」
とルイに向かい、挨拶をした。
「そうか、あなたはユーリというのだな。そうだユーリ、私とも踊っていただけますか?」
とルイはニヤリと笑い、お辞儀をした。
「……身に余る光栄にございます。アルメリアを代表して殿下のお申し出を、謹んでお受けいたします」
と言い、アリエルはルイの手を取った。
二人はホールの中心に向かって歩き出した。皆が注目していたが、ルイはそんなことはどうだってよかった。
曲が始まると二人は踊り始めた。アリエルのステップは心なしか少しぎこちなかった。
「なぜあなたがここに」
ルイはアリエルに囁いた。
「潜入捜査でございます、殿下」
「あなたって人は……」
「殿下だって、異国の娘と踊ってよろしいのですか?」
「トルアシアとアルメリアの和平を維持するための公務の一環だ」
「ふふふ。今日の殿下、とても素敵です」
「あなたは、今日も美しいな」
「殿下。私、実は舞踏会に出たのは生まれて初めてなのです。初めてのお相手が殿下で嬉しいです」
「それは光栄だな。結婚後は、嫌と言うほど連れ回すことにしよう」
とルイはアリエルに向かって笑顔を見せた。
「楽しみだわ!」
そう言うとアリエルは嬉しそうな顔をした。
あっという間に一曲が終わった。
ルイはアリエルの耳元で囁いた。
「アリエル、あまり私以外の男には近づかないように。」
「肝に銘じておきます。では、私はもう行きます。殿下、私はあなただけを愛しております。どうか私を信じて」
そう言ってアリエルはルイを見つめて手を離した。
ルイはそっとホールの中央を離れ、オリバーのいる方へ向かった。
オリバーはルイを見つけ飲み物を渡した。
「アリエル様は、なぜあそこに?」
「……潜入捜査だそうだ」
「……」
「我々もしばらく様子を見よう」
「はい」
ルイはすぐにでも退席するつもりであったが、そうするわけにもいかなくなり、社交辞令と媚び諂いの中にしばらくの間身を投じることになったのだった。
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