16. 王女の恋心と潜入捜査
アリエルがルイを追い返した翌日から、毎日花が届くようになった。
だが手紙が添えられているわけでもなく、ただ形式的なものだということは見て取れた。
アリエルは今月末に開催されるチャリティーオークションについてはずいぶん前から調べていた。
まだこちらに来てからの日は浅いが、このチャリティのためにできる限りの準備を重ねた。オークションで落札した絵画の支払いに使う金貨にも細工をしておいた。
金貨に彫られている皇帝のクラウンの星に、十字の切り込みを入れてある。チャリティーで集められた金の流れを確認するためだ。
通常、公共の場に出るような業務があればエミリーとマリーに任せ、アリエルが直接出向くようなことはしないのだが、今回は貴族とブルスト教会の関係者も集まるため、顔を確認するためにアリエルも参加することになった。
ルイも参加すると言う情報は事前に掴んでいた。本来ならば、このような席には婚約者のアリエルに同伴の打診が来るはずだが、病気に対する配慮なのか、同伴者として声をかけられることはなかった。
だからこそ、ユーリの姿で参加するのであれば、仮にルイと鉢合わせたとしても特に怪しまれることもないだろうと判断したため、アリエルもオークションの場に参列することになったのだった。
エドの尽力により、三通の招待状も手に入れることができ、エミリーとマリーにはそれぞれこちらで雇った男爵の男を婚約者として同伴させる手筈を整えていた。
男爵の地位もあるため、高額ではない絵画であれば落札しても問題はない。エミリーとマリーはその後開かれる夜会にも参加する予定だ。
アリエルはシモンと共にチャリティーに出席し、その後ブルスト教会を少し調べることになっている。シモンは普段、アリエルの補助役としての書類仕事が多いが、貴族、王族、名簿がほとんど頭に入っているため、今回の任務には適任だった。
オークション当日、アリエル達は、早々に教会に到着し、一番最初に聖堂に入り、全体が見渡せる最後尾の一番奥の席に腰をかけた。
「これはまた、贅を尽くした造りの教会ね。よくもまあここまで金をかけられたわね」
「……」
「シモン、あなたが知っている名前と顔を全て私に教えて頂戴。できるだけ覚えて帰るわ」
「承知いたしました」
「それから、誰が何の絵をいくらで落札したか、全て頭に入れておいて頂戴」
「承知いたしました」
「できればブルスト教会の人間と接触したいのだけれど、それは難しいかしら?」
「オークションが終わった後、拝礼と言う形で残ってみましょう。もしかすると成果があるかもしれません」
「わかったわ。この後少し残って様子をみましょう」
アリエルは、順々に聖堂に入場してくる貴族の顔を一人ずつ見ていた。シモンはアリエルにその都度耳打ちして名前と特徴を伝えていった。
急に会場が騒がしくなった。振り返って入り口を見ると、ルイが側近と共にあらわれたのだった。
「あれが殿下の側近のオリバーね」
「はい」
「彼はどこまで知っているの?」
「殿下がご存知なことは、彼もだいたい知っているかと」
「私のことは?」
「……おそらくご存知ないかと」
「わかったわ。でも念のために用心しましょう」
「アリエル様。あちらの紺色の帽子の男性と緑のドレスの女性の夫妻がハンブルグ侯爵と御婦人のキャロライン様です」
「ふぅん。黒いわねぇ。腹に一物ある顔してるわ」
「この国一番の資産家です。議会でも、かなりの発言権をお持ちです」
「手強いでしょうね」
「はい。ですからアリエル様も、あまりご無理はなさらないように。あちらの白い羽のついた帽子の男性と、紫のドレスの女性がスミス侯爵とその御婦人のメアリー様です」
「ああ、成金侯爵ね」
「……」
「あちらのえんじ色のお召し物の方が現ハンプシャー侯爵の次男のジョージ様です。その隣におられる黄色いドレスの方が長女のエリザベス様です。現皇后の兄にあたる方が現在ハンプシャー侯爵としてその地位を継いでいます」
「当主は来ていないの? それに、嫡男はどうしたの?」
「現在ハンプシャー侯爵はあまり公の場には出ることはございません。嫡男のフランツ様は今日は領地の視察に出られているとのことです」
「怪しさしかない一家ね」
「ハンブルグ家に次ぐ資産を持つ貴族でございます」
「まあそりゃそうよね、皇室から相当くすねてるんですもの」
「……」
オークションが始まってすぐ、マリーと同伴した男爵は小さな絵画を落札した。
「ねえ、あの下品な絵、離宮には飾らないわよ」
アリエルはシモンに耳打ちした。
「……絵画の処分については検討いたします」
「あの絵、どこから持ってきたの?」
「今回もハンブルグ侯爵家が中心になって絵画を斡旋しています」
「トルアシアには、まともな画家はいないの?」
「……新進気鋭のパトリシア・エミールという作家の作品で、スミス侯爵家もパトロンとして出資しています」
「さすが成金一族、たまげた錬金術ね。今回のオークションでブルスト教会にはどれくらいの割戻しと謝礼が入るの?」
「落札金の一割程度でしょうか。ただし、今回の落札には宝石教会も関わっていますので、通常のオークションよりも落札金は二割程度多く積まれます」
「ふうん。ブルスト教会の貴族出身の聖職者はわかる?」
「それに関しては、私も完全な裏付けが取れてなかったので、今日確認して帰ろうと思っているところです」
「よろしく頼むわね」
「承知いたしました」
そう言ってアリエルは正面を向いた。
一番離れた最前列に、ルイの後ろ頭がチラリと見えた。
もし、アリエルが病床の第四王女でなければ、自分は彼の隣に座っていたのかもしれないと思うと、胸が痛かった。
オークションが終わると、アリエルはシモンと共に一旦退出し、乗ってきた男爵家の馬車の車窓から馬車に乗り込む貴族を見ていた。
「今日、知らない顔はなかった?」
「はい。全てエド様よりいただいた参加者リストの通りでございました」
「そう。それにしても恐ろしいくらいに堂々と資金洗浄しているのね、この国は」
「我が国とは方針が異なるのでしょう」
「陛下の政治はまさに毒を持って毒を制すね。このまましばらく人が捌けるのを待ちましょう。もう一度私に参加者の名前と顔を一致させる機会を頂戴」そう言ってアリエルは参加した者達の名前と顔を頭に叩き込んでいった。
全ての招待客が退出した頃だった。
「そろそろ聖堂に戻ってみましょう。」とアリエルは言った。シモンがエスコートする。
「拝礼の際に、聖職者に接触できるかしら」
「可能性は無いとは言えませんが、ただあまり期待はされない方が良いかと。それよりも私は教会の造りと構造の方が気になります。できればそちらの方を少し調べたいですね」
「わかったわ。とにかく行きましょう」
アリエルが教会まで戻り、シモンが聖堂の扉を開けた時だった。
ルイとオリバーの姿が目に入った。アリエルはしまったと思ったが、遅かった。
アリエルの他に聖堂内には誰もおらず、呼び止められてしまうと、逃げ出すわけにもいかない。アリエルが目配せをすると、シモンはそっとその場からいなくなった。
アリエルを見つけたルイはとても嬉しそうだった。
だから婚約者としてこの場に同伴を求められなかったアリエルは、少し彼を困らせてやりたくなった。ただ、それだけだった。それなのに、婚約について触れた時、彼はとても悲しそうな顔をした。
「王女としての私は、彼にとって体裁だけの、取るに足らないただのお飾りなんだな」
と改めて思い知らされたアリエルは、その場から立ち去りたかった。
それなのに、ルイは急にアリエルを抱きしめ、幸せになってほしいと言った。それはおそらく彼の本心だろう。
不意にルイに抱きしめられたアリエルは、いたたまれなくなり聖堂を後にしたのだった。
教会から出てきたアリエルにシモンは尋ねた。
「よろしいんですか、アリエル様。本当のことをお伝えしなくても?」
「……いいのよ。もう行きましょう、シモン」
とアリエルは力なく言った。
「……あなたも罪作りな人だ。」とシモンは呟いた。
本当はよくなんてなかった。あんなふうに家族以外の男性に抱きしめられたのは初めてだった。それにルイ殿下がアリエルに向けた眼差しには確かに愛情がこもっていることもわかる。
しかし、あの愛情は第四王女としてのアリエルではなく、異国の貴族の娘ユーリに向けられたものだ。
「ああ、私はルイ殿下のことをお慕いしているのね」
アリエルはようやく気がついたのだった。