15. 皇太子の想い人と失恋
昨日アリエルの元を訪ねることができなかったため、もう一度離宮に足を運ぶことにした。
従者と警護を伴い、離宮の門まで出向いて、アリエルへの取り次ぎを頼んだ。
しばらくすると、若い執事だろうと思われる男が出てきた。
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。本日はようこそおいでいただきました。大変申し訳ございませんが、アリエル殿下は体調を崩され、床に伏せっておられます。起き上がれない状態ですので、ルイ殿下にお会いすることのは難しいとのことでございます。よく、ご訪問いただいたお礼を伝えるようにと申しつかっております」
「そうか。それは気の毒だな。よく静養せられよ。私からは見舞いの花を送ろう」
「ルイ殿下のご配慮、感謝申し上げます」
「また来よう」
そう言うとルイは、あっさりと引き返すことにした。
ルイは城の執務室に戻ると側近のオリバーを呼んだ。アリエルにこれから毎日花を贈るように手配を頼んだ。
それから机に並べられた書類に目を通すため、椅子に腰掛け、しばらくぼんやりと書類を見つめていた。
そんなルイの様子を見て、オリバーが遠慮がちに声をかけた。
オリバーはルイの側近で、年の功も近く付き合いも長い。ルイとは違い、金髪の碧眼を持つ甘い顔立ちの男だ。それとは裏腹に闊達な気持ちの良い男だった。
「殿下。先日話題にされておりましたブルスト教会が主宰するチャリティーオークションですが、今月末にも、王都の教会で開催されることになっているようです。その後、ハンブルグ公爵家で舞踏会が設けられております。殿下にも招待状が届いております」
「そうか。誰が出席するかわかるか?」
「はい。ハンブルグ侯爵、スミス侯爵、あたりは出席するようで、残りの出席者については後ほど調べてご提出いたします」
「よろしく頼む。私も出席することにしよう」
「承知いたしました。殿下のご同伴者はどうなさいますか?」
同伴者というのは第四王女のことだった。
ルイは少し考えてから、「私一人で出よう。お前も来い」と答えた。
本来なら、婚約者であるアリエルに同伴を頼むのが筋だが、ルイは公の場に彼女と共に出かける気にはなれないでいた。かと言って誰か別のものを同伴させるのも体裁が悪い。
それならばいっそ、一人で出かけた方が気が楽だった。今回チャリティーと舞踏会に参加する目的は、あまり派手なことをさせないための牽制の意味もある。
おそらく父の配下の者もこの件については調べているだろうから、ルイは自分が深く首を突っ込むつもりはなかった。ただ、ある程度のことは知っておく方がいいだろうと判断したから公務として出席することにしただけだった。
*
オークションが開催される日、ルイはオリバーと従者、護衛を連れてブルスト教会に出かけた。王都にあるブルスト教の教会は、とても教会とは思えない程豪奢なものだ。
「相変わらず、贅を尽くした派手な教会だな」とルイは皮肉を言った。
「それだけ皆の信仰が厚いとも言えます」
「ものは言いようだな」とルイは笑った。
教会の中に入ると、次々とルイに声をかけようと、人だかりができた。ルイは相手にするでもなく無碍にするでもなく人を交わし、等間隔に置かれた長椅子の真ん中の通路を歩きながら、用意された席に向かおうとした。
ふと、教会の最後尾の長椅子の奥にひっそりと座る一人の女性に目が留まった。
見覚えのある金色の髪にエメラルドの髪飾りが見えた。あの美しい横顔はユーリだった。見間違いかとも思ったが、あの髪飾りはルイが贈ったものだ。間違いなくユーリだ。
ルイは思わず足を留めた。
「ルイ殿下、どうされましたか?」オリバーは耳元で聞いた。
「いや、何でもない」
「もうじき始まりますので、どうぞこちらへ」そう言ってルイは促されるままに最前列に座った。
オークションが始まってからも、ルイはユーリの存在が気になって仕方なかった。
なぜ、彼女がここにいるのだ?彼女はいつトルアシアに来た?一緒にいる男は誰だ?
そんなことばかりが頭をよぎり、とても集中できなかった。
なんとか話しかける機会はないか、どこかで待ち伏せしようか、いやでもそんなことをしたら逆に目立ってしまう。婚約者がいる皇太子が、一貴族の娘に声をかけるのはいらぬ誤解を生むだけだろう。
ユーリは自分の存在に気がついているのだろうか。いや、気がついていたとしても、声をかけたりはしないだろう。
彼女はルイが婚約したということを知っているのだろうか。そう思うと、どうしようもできない程物悲しい気持ちになった。
「……殿下」
「なんだ?」
「終わりました」
「ああ、わかっている。この後はハンブルグ家だったな」
「はい。先ほどから顔色が悪いようですが、ご気分がすぐれませんか?」
オリバーは心配そうにこちらを見た。
「いや、大丈夫だ」そう言ってはみるが、本当のところ大丈夫ではなかった。
ルイは立ち上がって周囲を見渡した。ユーリが座っていた席にはもう誰もいなかった。
皆次々と教会から退出し、聖堂に残っている人はまばらだった。
「少し、休んでから行くことにしよう」
そう言うとルイは再び椅子に座り、頭を抱え、目を瞑った。
オリバーは少し離れて椅子の脇に立ち、黙って彼の様子を見守っていた。
どれくらいそうしていただろう。ふと顔をあげた時、もう聖堂内には誰も残っていなかった。
「私は、何をやっているんだろうな……」と声に出した。
「……殿下」
オリバーも何と声をかけて良いのかわからないようだった。
「すまない。では、行こうか」
そう言って立ち上がった時だった。
聖堂の後ろの扉が開き、見覚えのある顔が飛び込んできた。ユーリだった。隣に見覚えのない男も立っていた。
「ユーリ!」
思わずルイは声をかけた。
アリエルは少し困った顔をしていたが、男に目配せをした。男はアリエルから離れ、そっと外に出た。
アリエルは膝を曲げ、
「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。ご尊顔を賜り恐悦至極にございます」と笑った。
「あなたは一体、どうしてここに?」
「ええ、我が家でお取引がございましたトルアシアのお客様がチャリティーにご寄付されると言うことで、父に代わりお招きに預かりました。もう誰もいないかと思い、礼拝に参りましたところ、殿下がおいででした」
とアリエルは笑った。
「そうだったのか」ルイは嬉しそうに言った。
「ところで殿下、この度はご婚約、誠におめでとうございます」
とアリエルは頭を下げた。
「ああ、ありがとう。アルメリアでも私と王女の婚約は話題になっているんだろうな」
ルイは自虐的に言った。
「知らないものはおりませんわ」とアリエルは答えた。
「そうか……その髪飾り、よく似合っているな」とルイは笑った。
「ありがとうございます。もったいないお言葉でございます、殿下。……殿下、どうぞ、お幸せになってくださいませ」
そう言ってアリエルも微笑んだ。
「では、私はこれで」とアリエルは教会を出ようとした。
「ユーリ!」
ルイはとっさにユーリを呼び止め、腕を引き寄せて自分の胸に抱きとめた。
「あなたも。あなたもどうか幸せになってくれ」
そう言ってきつく抱きしめた後、アリエルから離れた。
アリエルは恥ずかしそうに頷き、ルイの方を見た後足早に教会を出て行った。
「殿下にも想い人がいらっしゃったのですね……とても美しい方だ」
「今見たことは、忘れてくれ」
「私は何も見ておりません」オリバーはそう言ってルイの顔を見た。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。