11. 皇太子の婚約
トルアシアに帰国すると、父の執務室に呼び出された。
「ルイ、アルメリアで大まかな話は聞いたな?」
「はい。皇后陛下のことも議題に登りました。父上は全てご存知だったのですね?」
「ああ。折を見てお前に相談しようと思ってはいたが、如何せん、ここでは話せることと、話せないことがある。だからお前に一度アルメリアに行ってもらうのが一番良いと判断した」
「父上の意図は、理解できました」
「そうか。ところでルイ。お前の婚約が決まった」そう言って父はルイの方を見た。
「そうですか。わかりました。相手は誰なんです?」
ルイの心臓はどくりと音を立てた。しかし特に表情を変えることはしなかった。
婚約は、いつかはしなければならないことだとわかっていた。だがあまりにも急なことだったため、内心驚いてはいたが、顔に出すようなことはしなかった。
「アルメリアの第四王女だ。お前も知っているだろう」
「はい。先日の晩餐でお会いました。しかし、彼女は、病に伏しているのでは? それにこちらまで来るのも負担にはなりませんか?」
なぜ、よりにもよってあの第四王女なのだという気持ちが湧いてくる。ルイは両手を強くに握った。
「おお、よく知っているではないか。体調についてはあちらが何とかすると言っているのだから問題ないだろう。例の件もあるから、こちらとしてはアルメリアとの関係を深めておきたいのはお前にもわかるだろう。もちろんアルメリアもそれに賛同してくれている。そういうことで決まった話だ。良いな?」
父とアルメリアの王の元ですでに決まったことなのだろう。両国の間で完全に話がついている話のようだった。
「……わかりました」
目の前が真っ暗になった。皇太子であるルイには何の決定権もない。ただ、その決定に従うしかない。
「早ければ来月にはこちらに来るそうだ。婚約者とはいえ大切な客人だ。丁重にもてなしなさい」
「……はい。承知しました」
「それから、彼女には皇后が昔使っていた離宮を使ってもらう予定だ。すでに改装に取り掛かっている」
「そうですか」
「話は以上だ。下がって良いぞ」
そう言って父は目線を書類に戻した。
うなだれながら自分の執務室に戻ると、ルイはしばらくの間、何もする気になれなかった。
自分の結婚がこんな形で話が進んでいるとは思ってもみなかった。しかも、相手はよりにもよって、アルメリアの病気持ちの第四王女なのだ。
ルイは第四王女に対して好意的な気持ちを持とうとしても、どうしてもそんな気持ちにはなれそうになかった。
正直、はじめて彼女を見た時「気味の悪い女だな」とさえ思った。
そんな女が自分の婚約者になるのだ。継母と弟の件だけでも憂鬱になるのには十分なのに、加えて自分の婚約者があの女なのだ。底のない暗い沼に沈んでいくような気持ちだった。
ある女性が頭に浮かんだ。
もしも自分が皇太子でなかったら、もしかしたらあの貴族の娘のユーリと生涯を共にするような関係になることもできたかもしれない。
しかしルイの現実はこれだ。ルイは初めて自分が皇帝の子供として生まれてきたことに、悲しみを抱いた。しかし、いくら嘆いたところで何も変わらない。ただ諦めてこの現実を受け止めるしかなかった。
*
父から婚約の話を告げられた翌月、アルメリアから第四王女が到着することになった。
婚約中は離宮で静養しながら過ごすことになるらしい。気にかけるようにと、父からも言われていた。
第四王女がトルアシアに到着した翌日には婚約式が行われることになった。その際に、アルメリア王と第四王女、そしてトルアシア皇帝と皇后、ルイ、第二皇子のマティスとの謁見の機会が設けられた。
王座の間で久しぶりに見るアルメリアの第四王女は、相変わらず不健康を絵に描いた様相で、お世辞にも魅力的とは言えない容姿だった。
灰色の髪、青白い顔にくっきりと浮かぶ隈、それを隠すように顔を覆っている大きな眼鏡。さらに不釣り合いなくらい豪奢なダイヤモンドの宝飾を身につけていたことで、彼女のいびつさが際立って見えた。
「アルメリアの王よ、ひさしいな。それにしてもよくぞ来てくれたな、アリエル。これからよろしく頼む」
父である皇帝はアリエルを前に、なぜかとても嬉そうだった。
「もったいないお言葉にございます」
膝を曲げ、挨拶を返すアリエルの声は消え入りそうなほど小さい。
「そなたには離宮を用意している。そちらでゆるりと休まれよ」
「お心遣い、感謝申し上げます。陛下」
そう言ってアリエルが微笑むと、なぜか父は嬉しそうに笑っていた。
「ルイ、お前の婚約者だ。大事にしなさい」そう言って父はルイの方を見てニヤリとした。
「おめでとう、ルイ」甲高い声をあげたのは久しぶりに公の場に出てきていた皇后だった。父の隣に座り、こちらを見据えている。
しかし、光のない目の奥の表情までは読み取れない。醜い婚約者をあてがわれたルイを心底憐んでいるのか、そそれとも笑っているのかその表情からは謀りきれなかった。
ただ、彼女から純粋な好意が向けられているとは感じられたことはない。弟のマティスに表情はなく、ただアリエルの方をじっと見ていた。
本来であれば盛大に行われるはずの婚約式は、城内にある礼拝堂でひっそりと厳かに行われた。
アリエルの病状を考慮してか、皇帝、皇后、ルイ、マティス、アルメリアの王とアリエルのごく近しい血筋の者だけが参加した。形式に沿い書類を交換するだけの簡単なものだった。
「ああ、書類一つでこれからの自分の人生が縛られるのか」
と思うと、ルイは全てが嫌になりそうだった。
式典が終わった後、本来ならルイが離宮までエスコートしたほうが良いのだろうが、アリエルはその申し出を辞退した。
代わりにアルメリアの王が彼女に付き添う形で離宮に戻っていった。
後ろめたい気持ちもあり、アリエルとなるべく接する機会を持ちたくないルイにはかえってありがたかった。
それでも自室に戻り、今日の出来事を振り返っていた時、やはりこのままではよくないかもしれないという気持ちが少しずつ芽生えていた。
アリエルとて、望んでこの国に来たわけではないだろう。仲睦まじくはなれないにしても、多少の歩み寄りはするべきかもしれない。そう思ったルイは、今からでもと思い立ち、離宮のアリエルを訪ねることにした。
夕方、側近であるオリバーと数人の従者と護衛ともに馬車で離宮に向かうと、そこには皇室の馬車が止まっていた。父のものだろう。
ルイは父なりにこの婚約について、思うところがあるのかもしれないとしばらくの間、その場で思案していた。
「殿下、アリエル様のもとをこのままお訪ねしますか?」
オリバーが聞いた。
「いや、やはり今日はやめておこう」
そう言うとルイは来た道を引き返した。
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