107. 反逆者の陰
前夜祭の前日、地下会議室での打ち合わせを終えたマティスは、黒いマントに身を包み、補佐官であるアレンとハラスを伴い静かに城を出た。
城外に繋いでおいた馬に跨りながら、マティスはハラスに尋ねた。
「兄上は、我々の動きに気がついていないだろうな?」
「はい。皇太子殿下はお気付きになっていないはずです」
ハラスは静かに頷いた。
「よし、では行こう」
マティスはそう言うと、暗闇の中で馬を走らせた。
三人はしばらくの間馬を走らせ、帝都の外れにある邸宅の前で馬を止めた。
そこは、表向きは貴族子息が集まるサロンだが、リチャード家の所有する邸宅で、秘密裏に集まる際に使われている場所だった。
ハラスが邸宅の前にいる門番に訪いを告げると、門番は静かに門を開け三人を邸宅へと通した。邸宅の中は、私兵が至るところに配置されている。
三人は執事に案内され邸宅の一番奥にある、応接室の前まで通された。マティスはアレンとハラスに目配せをし、応接室の前で待つように促した。マティスが一人で応接室に入ると、そこには、ソファに腰を下ろしてブランデーを飲んでいるリチャード伯爵とハンプシャー侯爵とその嫡男がいた。
三人はマティスが部屋へ入ると、立ち上がり深く頭を下げソファの一番奥の席にマティスを通した。
「しばらくぶりだな。時間がない、手短に話そう」
マティスがそう言うと、リチャード伯爵は黙って頷いた。
「万事、殿下の計画の通りに進めております」
リチャード伯爵が口を開いた。全身漆黒の衣服で身を包んだその男は、決して派手な装いではないのに何とも言えない風格があった。これまで闇に染まって生きてきたからだろう。
マティスは、リチャード伯爵を前にするといつも何とも形容し難い気持ちの悪さに襲われるのだった。初めてリチャード伯爵の邸宅を訪れた際は、その居心地の悪さからか、帰り道で何度も嘔吐した。
それでも幾度か面会を重ねるうちに、その気持ちの悪さにも慣れ、その場を掌握するのに何が必要なのかもわかってきた。
「では、最終確認といこう。明日の動きを説明してくれ」
マティスが淡々と言うと、ハンプシャー侯爵が口を開いた。
「はい。近衛兵の中にリチャード伯爵の配下の傭兵を、近衛兵に仕立て上げて、五人紛れ込ませています。事前にマティス殿下が警備増員の指令を出していただいたおかげで、ハンブルグの兵も怪しまれることなく配置につかせることができております」
「前夜祭が始まった後の動きはどうだ?」
「はい、殿下の指示通り、五人の傭兵は舞踏会場へと配備され、殿下の合図とともに皇太子を襲撃する手筈は整っております。なるべく皇太子のいる高砂に近い場所に配備できれば良いのですが」
ハンプシャー侯爵はマティスの方を見ながら言った。
「ふむ。五人の騎士の名前と特性を詳しく教えろ」
マティスは表情を変えないまま、リチャード伯爵に尋ねた。
リチャード伯爵は、それぞれの兵の名前や特徴を詳細に語った。
「ふむ。当日の警備を管轄している者で、私が口利きできる者がいる。その者達に配備について融通するようにと伝えよう。この者達が、これまでの式典での警備に慣れていることを伝えておけば、怪しまれることもないだろう」
「まさか、マティス皇子殿下がこれほど大胆なことを計画されているとは、露ほどにも思いませんでした」
ハンプシャー侯爵はそう言うと、金歯を見せて笑った。
「まだ結果がどうなるかはわからない。だが、明日の前夜祭で兄上が襲撃されたとあれば、跡目争いの流れも必然的に変わるだろう。この機会を逃すでないぞ」
マティスは、ハンプシャー侯爵とリチャード伯爵の顔を交互に見ながら言った。
マティスはこの一ヶ月ほど、おりをみては皇后の実家であるハンプシャー侯爵と、リチャード伯爵と接触していた。ハンプシャー侯爵は実の甥でもあるマティスが皇帝の跡目争いに積極的だと匂わせると、マティスのその意欲を歓迎した。
そして、マティスは少しずつ皇室内部の情報を伝えることで、この二つの家紋の信頼を得つつあった。マティスはリチャード伯爵と、ハンプシャー侯爵の信頼を掴むのにそれほど時間は掛からなかった。
それから折をみて、マティスは前夜祭の日に、皇太子であるルイを襲撃する計画を持ちかけたのだった。
「これで、皇帝の跡目争いも、潮目が変わりそうですな。まさか皇太子も弟に裏切られるとは思っているまい」
ハンプシャー侯爵は相変わらず嫌な笑みを浮かべながら言った。
「今、その話をするのはまだ早い。時が来れば全てわかることだ。とにかく明日は抜かるなよ」
マティスはそう言うと二人を一瞥し、ソファから立ち上がった。
「御意」
二人は深く頭を下げた。そして、マティスはその二人を尻目に静かに部屋を出た。
部屋の外で待機していたアレンとハラスとともに、マティスは闇に紛れて城への帰路を急いだ。
マティスが自室に戻り、ベッドに入る頃には朝日が差し込んでいた。マティスはベッドに仰向けになり、腕で朝日を遮りながら今日はとてつもなく長い一日になりそうだなと思いながら目を閉じたのだった。