104. 舞踏会にて
オリバーは応接室から出ると、ひどく疲労を感じた。部屋の外では、騎士達がオリバーを心配そうに待っていた。
騎士達に囲まれてようやく舞踏会場に戻った。
「長い時間、話し込まれていたようでしたのでお疲れでしょう。お水をお持ちいたしました」
シモンが銀のグラスをオリバーに差し出した。細やかな気遣いがありがたかった。
「ああ、思いの外時間がかかってしまった。これ以上の長居は無用だ。そろそろ引き上げよう」
オリバーがそう言った時だった。
「オリバー様!」
大きな声で名前を呼ばれて振り返ると、そこにはハンブルグ侯爵の次女であるカレンがいた。
その後ろには、数人の貴族令嬢が控えている。おそらくカレンの取り巻きの令嬢達だろう。
カレンはとりわけ美人というではないが、着飾ることで人目を引く華やかな令嬢だった。
今夜も相変わらずゴテゴテとした華美なドレスを身につけ、身体中に宝石を飾りつけた派手な装いをしていた。ムスクのような香水の匂いが遠くからでも鼻についた。オリバーにはカレンが美しいのかどうか、よくわからなかった。ただ、彼女を見ると心がどんよりとざらつくのだった。
「ご無沙汰しています、オリバー様。最近はちっとも屋敷にいらっしゃらないので、寂しい思いをしておりました」
そう言うとカレンはオリバーに近づき腕を取った。カレンは、いかにも自分がオリバーと親密な仲であることを、この場にいる者達に悟らせようとしていた。
オリバーは、カレンが周囲の人間に、あたかもオリバーの婚約者であるかのように振る舞っていることを知っていた。
ハンブルグ侯爵の次女が、オリバーの婚約者ではないのかという噂がまことしやかに囁かれていた。
オリバーもそのことを知ってはいたが、わざわざそれを訂正する必要もないので、そのままにしておいたのだった。
「カレン嬢、お久しぶりです。最近は公務が続いておりましたので、社交に時間を割くことができなかったのです」
オリバーは表情なく答え、自分の腕に添えられたカレンの手を取ると、そっと離した。
「オリバー様のご活躍は、私も良く存じておりますわ。オリバー様の活躍に、私もとても鼻が高いのです!」
カレンは大袈裟な笑顔を見せ、上目遣いにオリバーを見た。
「私はただ、与えられた任務を遂行したまでです」
オリバーは淡々と言った。
「それに、皆オリバー様のご結婚について知りたがっておりますのよ」
カレンはあえて大きな声を出した。その発言は、周囲にいた令嬢だけでなく、舞踏会場全体の視線も集めた。
カレンは熱のこもる目でオリバーを見つめた。それは、いかにも自分がオリバーの婚約者であるとでも言いたげな物言いだった。
オリバーはこれだけ大勢の前で、この話を是正しなければいけないのかと思うと、ひどく億劫な気持ちになった。
「それについてですが、どうやら誤解されて話が伝わっているようですね。私は陛下に、何人たりとも私の結婚に干渉しないようにと、お願いしました。ですから、結婚について、私からお話しするようなことは何もありません」
オリバーは務めて冷静に言った。
「……でも、私はオリバー様の……」
カレンがその続きの言葉を口にしそうになる前に、オリバーは静かに言った。
「この話について、説明は今ここでは必要ないかと思います。どうぞこれ以上の干渉はお控え願えますか?」
オリバーの見透かす様なその冷たい目に、カレンは黙り込んだ。
カレンの周囲にいた令嬢達は皆驚き、センスを広げながらカレンを見た。
カレンのこれまでの話と、事実が随分食い違っていることに気がついたのだろう。それは会場にいた者達も同じだった。
オリバーはそれだけ言うと、周囲の視線を気に留める事なく、騎士達と共に舞踏会場を出た。
*
オリバーはシモンと共に帰りの馬車に乗っていた。帰りの馬車の中で、オリバーは疲労を隠せなかった。下心のこもった好意と好奇に晒されたが、何とか私兵についての情報だけは得ることができた。
無性にマリーに会いたくなった。打算や下心なく、ただひたむきに自分の主人と国のために尽くそうとするマリーの在り方が、とても好ましく、恋しくなった。そしてそんな彼女の清らかさに触れたかった。
シモンは、オリバーに向かってにこやかに言った。
「オリバー様、今夜はもう遅いので、よろしければ離宮でお休みになって行かれませんか? 客室を用意します」
「シモン殿のお申し出に感謝いたします。それでは、ありがたくお言葉に甘えることにします」
オリバーはシモンの気遣いがありがたく、ようやく安堵の笑顔を見せた。二人を乗せた馬車は進路を変え、離宮へと向かった。
*
夜が明ける前、オリバーとシモンは離宮に到着した。二人が玄関の扉を開けると、エントランスホールにある長椅子で、ショールを羽織って座ったまま眠っているマリーがいた。
オリバーは思わずマリーのそばに駆け寄った。
「マリー、こんなところで眠っていると風邪を引きますよ」
オリバーはマリーが眠る長椅子の前に跪き、その頬に触れて囁いた。
目を覚ましたマリーは、オリバーを見て驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうな笑顔を見せた。
「オリバー、どうしてここに?」
「今夜はシモン殿にお招きいただきました」
そう言うとオリバーはシモンの方を見た。
シモンは頷き、
「客室の用意をさせておきます。ゆっくりお休みください」
とにこりと笑い、そのまま宮の奥へと消えた。
「マリーこそ、どうしてこんなところに?」
オリバーはマリーの隣に座り、肩を抱きながら尋ねた。
「……シモンからオリバーがスミス家の舞踏会に参加されると伺いました。なんだか気になってしまい、報告を聞こうと思ってシモンを待っていたのです……」
マリーは恥ずかしそうに、はにかみながら笑った。
「では、私が直接マリーに今日の出来事を報告しましょう。客室まで案内してもらえますか?」
そう言うと、オリバーは嬉しそうにマリーにキスをして抱き上げた。
そして、オリバーはマリーを抱えたまま客室に向かった。