103. 側近の駆け引き
オリバーはルイと共に城にあるルイの執務室にいた。ルイは帝国軍の編成に関する書類を見ながら言った。
「明後日の夜、騎士棟の地下で会議を行う。お前も来てくれ」
「承知いたしました」
「明後日の会議までに近衛軍、皇室の騎士隊、各公爵家が管轄している軍、それから主だった貴族が抱えている私兵軍の状況をもう一度まとめておいてくれ」
「かしこまりました」
ルイは、帝国の地図を前に腕を組んで考えていた。
「リチャード家、ハンブルグ家、スミス家、それからハンプシャー家が抱えている私兵の状況について、確認しておきたい。マティスの生誕祭当日、ハンブルグ家、リチャード家、ハンプシャー家、スミス家の帝都の屋敷とそれぞれの領地に軍を派遣して一気に制圧する。彼らの私兵の数や領地にいる軍の規模によって、こちらが投入する部隊の数を決めたい。偵察からの報告の裏付けをとっておきたいところだな」
ルイが言うと、オリバーも頷いた。
「オリバー、最近ハンブルグ侯爵との関係はどうなっている?」
「晩餐やサロン、舞踏会には再三呼ばれておりますが、いかんせん業務が立て込んでおり、顔を出せておりません」
「直近で顔を出せそうなものはないのか?」
「……明日の夜、スミス家で行われる舞踏会の招待状であれば、自宅に届いておりましたが」
「……ふむ」
「では、私が明日のスミス家の舞踏会に参加し、それとなく探ってきましょう。私が出席するとなれば、おそらくスミス侯爵とハンブルグ侯爵も顔を出すのではないかと」
「悪いな、オリバー。こちらとしても、なるべく不要な犠牲は出したくない。スミス家の私兵の状況だけでも探りを入れられるか?」
「はい。明日、スミス侯爵に探りを入れてみましょう」
オリバーは淡々と言った。
「前回と同様、シモンに同行してもらえるように段取りをつけておこう。それからお前の部隊にいる騎士も何人か同伴させろ。お前一人で行くとややこしいことになりそうだからな」
「御意」
*
以前のオリバーであれば、任務であっても自ら志願して舞踏会に足を運ぶことなどしなかっただろう。しかし、アリエルをはじめ、アリエルの部下達の仕事への姿勢を見ていると、自分がこだわっていたことが何だか馬鹿馬鹿しくなったのだった。
そして、マリーのひたむきさに触れ、オリバー自身にも変化があったのだった。
オリバーは屋敷に戻ると公爵家の執事のジェームスに、スミス家の舞踏会に部下の騎士三名と共に参加する通知を出しておくようにと指示しておいた。
当日の夜、オリバーはシモンと、部下である三人の騎士を連れ二台の馬車で、帝都にあるスミス侯爵家の邸宅で行われている舞踏会場に向かった。
オリバーの従者に変装したシモンと二人で馬車に乗っていると、シモンが口を開いた。
「オリバー様、アリエル様よりことづけがございます。くれぐれも私が直接お渡ししたグラス以外のお飲み物を召し上がらないようにとのことです。また、令嬢と二人きりにならぬよう、常に騎士の一人を隣につけておくように、とのことです」
「承知いたしました。シモン殿にもお力添えをいただくことになりますが、今回の任務は主要貴族の私兵の現状を把握することです。私が苦戦していたら、私の代わりに部下の騎士を侯爵達の元にやります。シモンはなるべく会場での話題に聞き耳を立てておいてください」
オリバーがそう言うと、シモン頷いた。
スミス侯爵の邸宅は城の豪奢な作りで、すでに庭には多くの馬車が止まっていた。危機感などまるでないように、邸宅の外まで音楽と話し声が響いていた。こちらが裏で動いているなど、露ほども気がついていないのかもしれない。
オリバーが騎士達と共に舞踏会場に現れると、会場は騒然となった。
普段、公務以外で社交の場に出ることがないオリバーが、突如として舞踏会に現れたことにより、会場の熱は一気に最高潮に達した。
その場にいた令嬢は皆オリバーの姿が見えると、歓声を上げた。
そして、オリバーを一目見ようと、オリバーの周囲にはすぐに人だかりができた。
シモンと三人の騎士達はオリバーに近寄ることがないよう、一定の距離を保ったまま側を囲んだ。
「……難儀だな……」
「……致し方ありません……」
「ひとまず、スミス侯爵を探してくれ」
「御意」
オリバーが四人に目配せすると、四人は頷いた。
人混みの中、騎士達がスミス侯爵を探していると、先にスミス侯爵がオリバーの存在に気がついた。そしてその隣にいたハンブルグ侯爵と共にオリバーに近づいてきた。
二人はオリバーを前に深く頭を下げた。
「オリバー中将閣下にご挨拶申し上げます。本日はご多忙の中このような会に参席いただき、誠に光栄にございます」
「スミス侯爵、お招き頂き、ありがとうございます。両家からは色々とお誘いをいただいていたのですが、公務が立て込んでいたため、なかなか社交の場に出る時間がなかったのです」
「オリバー閣下は今、帝都で最も話題の方ですからな。そのような中、当家が主催する舞踏会に時間を割いてお越しいただけるとは。私としても鼻が高いです」
スミス侯爵は下心しか感じられないような目をオリバーに向け、あからさまに機嫌を取ろうとしているのが手に取るようにわかった。
「それにしても、オリバー閣下が舞踏会に参加されるなど、珍しいですな」
「ええ。実は少し、軍に動きがありましたので、お二人のお耳に入れて頂きたく、参上いたしました」
「はて。そう言うことでしたら、人目のない場所を用意しましょう」
スミス侯爵はそう言うと、使用人を呼んだ。そして、オリバーとハンブルグ侯爵を応接室へと案内した。
オリバーは応接室の前で騎士達に外で待つように目配せをし、シモンには会場を探るように合図を出した。そして、オリバーだけが侯爵達と部屋に入った。
ハンブルグ侯爵とオリバーが応接室のソファに腰掛けると、スミス侯爵はブランデーを用意し、二人に振舞った。
ハンブルグ侯爵は出されたブランデーを美味そうに一気に飲み干していた。
「オリバー閣下も、遠慮なさらず召し上がってください」
スミス侯爵はオリバーに酒を勧めた。
「申し訳ござません。私は殿下のおられない席での飲酒は控えておりますので。お気持ちだけいただきます」
「相変わらず真面目な方だ」
そう言うとスミス侯爵もハンブルグ侯爵も声を出して笑った。オリバーはアリエルからの忠告に従っただけだったが、二人はオリバーのその発言を好意的に受け取っているようだった。
「して、オリバー閣下。公爵領の軍が動いている、とは具体的にどう言うことなのでしょうか」
ハンブルグ侯爵は聞いた。
「先日から、辺境にある公爵領で軍を動かす準備があるという情報を入手しました。表向きにはマティス殿下の生誕祭の軍事パレードのためということになっています。しかし、もしかしますと、隣接している他国軍の動きが活発化している可能性が考えられるのかもしれません」
オリバーはこの発言で、一つだけ嘘をついた。
辺境にいるマンチェスター公爵はその軍を動かす準備が整いつつあることは事実だった。しかしそれは隣国への攻防に向けたものであることは事実とは異なり、実際はハンブルグ領とスミス領を制圧するという皇帝の命を受けたからだった。
「……ふむ……我々の耳にはまだ入っていない情報でしたな」
ハンブルグ侯爵は言った。
「ええ。私も耳にしたばかりですから。ただ、今回の件はおそらく辺境にある公爵領の軍が対応するのではと、陛下は考えておられるようです」
その発言は嘘に嘘はなかった。
「ふむ。そうすると、我が領が所有する軍隊への要請はないものと見てよろしいのですな?」
ハンブルグ侯爵は尋ねた。
「はい、おそらく。ハンブルグ侯爵家とスミス家が所有されている軍への要請は今の所ないものと見ていただいて問題ないでしょう。それに、いざとなりましたら、私を含めハミルトン家の部隊を先に出すことになるでしょうから」
「ほほう。流石、ハミルトン公爵家は武家であれる。心強い限りですな」
オリバーがそう言うと、ハンブルグ侯爵は嬉しそうに笑った。どうやら自軍の出動要請がないことに安堵したようだった。
「ハンブルグ侯爵家が所有する軍は、おおよそ二千人にのぼると聞き及んでいますが、それに変わりありませんか?」
オリバーは細心の注意を払い、慎重に聞いた。
「そうですな。徴兵すると五千程であれば確保できるでしょう。しかし、出動要請のない限りは平民として生計を立てるものがほとんどです。平時は、主戦力となる騎士は三百人程で、領地の城に常駐しているだけです。他に、帝都の屋敷の屋敷にも常駐兵が五十名ほどおりますがな」
ハンブルグ侯爵はあけっぴろげに言った。
「スミス家が所有されている軍の数に変わりありませんか? 今回、スミス侯爵に要請がかかることはないでしょうが、万が一ということもありますので」
オリバーは、スミス侯爵を気遣うように尋ねた。
「我が領土もいざとなれば三千人ほどの兵は集められるでしょう。ただ、今は領地の騎士棟に騎士が数名と兵達が百人程常駐しているだけです。帝都の屋敷にある騎士棟には二十名ほど常時配備しております」
スミス侯爵も特に訝しむことなく、平然と答えていた。
「現状は何となく把握できました。では、今後動きがありましたら、お二人にはいち早く報告することにしましょう」
オリバーは淡々と言った。
「義理堅いお方だ」
二人の侯爵はそう言うと笑った。
それから話題は今回のシェリー男爵家の闇賭博の件と、皇太子の今後の皇位継承の有無について変わっていった。私腹を肥やすことや権力争いについては嫌になるくらいに敏感な癖に、国のために兵を出すことには消極的な姿勢がオリバーの癇に障った。
オリバーはルイについて根掘り葉掘り聞かれても、のらりくらりと適当にはぐらかした。そして当たり障りのない事についてだけ真実を織り交ぜて答え、相手が望んでいるような回答をしてやったのだった。
オリバーはいつも以上に慎重で、常に注意を怠らなかった。二人の侯爵は二人の皇子について、聞きたかった答えを聞き出した頃、ようやくオリバーを解放したのだった。