102. 妻の座
離宮での会議があった翌日、アリエルは城に戻るとエミリーとサリーを呼んだ。
「今回、皇后陛下が前夜祭の舞踏会を取り仕切っているわ。皇后陛下に皇太子の婚約者が手伝いを申し出たと伝えてちょうだい。大体のことは皇后陛下が把握されているから、あなた達は皇后の補佐をお願い」
「承知いたしました」
エミリーとサリーは頷いた。
「ところでアリエル様、前夜祭の舞踏会で着るドレスのご用意はできていますか?」
エミリーは思い出したように聞いた。
「ドレス? ドレスはこの間ルイ殿下に仕立ててもらったものでいいんじゃないかしら? そのためにあんなにたくさん作ったのでしょ?」
アリエルは興味なさそうに言った。
「……皇太子妃になられる方が有り合わせのドレスで皇室主導の夜会に参加するのはいかがなものかと……」
「……いかがも何も、誰も私のドレスに興味なんてないでしょう。それより、もう時間がないのよ。議会に属している貴族、それから今後台頭してきそうな貴族達の情報をまとめておきたいのよ……」
「……では、ドレスの件は一旦こちらで巻き取りましょう」
「エミリーに任せるわ。ところで、以前サイモンとハラスが議会の議席についてまとめた資料って、離宮に置いてきたかしら?」
「……こちらの書斎にありますので、ご用意しておきます。では、我々は皇后陛下のお手伝いに行きます」
そういうとエミリーとサリーは、書類を用意し静かにアリエルの居室を出た。
アリエルは執務用の机の前に座り、エミリーが置いていった資料を見た。そして、資料に記載された議会に属している貴族を中心に、この国の主だった貴族の財務状況、発言力、領地経営や事業規模について細かくまとめていた。
書類に没頭し、ずいぶんと長い時間が経った頃だった。居室を優しくノックする音が聞こえた。
「アリエル、私だ」
アリエルは優しい声が聞こえると、思わず駆け寄って扉を開けた。するとそこにはルイ、エミリー、モントと見知らぬ商人が何人も立っていた。ドアの前には大きな鞄や箱が山積みに置かれている。
「どうされたのですか、殿下?」
アリエルは嬉しそうに言った。
「アリエル、前夜祭の準備が芳しくないと聞いて、気になって来てみたのだ。あまりエミリーを困らせるな」
ルイはそう言うとアリエルの頬に触れた。
「……前夜祭は今回おまけのようなものですから……そんなに気張らなくても……」
アリエルは言い訳がましそうに言った。
「そういうわけにはいかない。以前帝都の屋敷で購入したものは、あなたがほとんど売り払ってしまっただろう? 前夜祭はオリバーだけでなく、私にとっても婚約者を披露する場でもあるのだ。あなたがマリーにしてやりたいと思うように、私もエミリーもあなたのためにしてやりたいと思っている」
ルイはそう言うとエミリーの方を見た。エミリーはにっこりと微笑んで頷いた。
「そうだぞ、アリエル。男の気持ちを汲んでやるのも女の器量だ」
モントがルイの肩を抱いて笑った。
「モントが腕の良い職人を連れてきている。たまには私に見栄を張る機会をくれても良いだろう?」
そう言うとルイはアリエルの手にキスをした。
「……ありがたき幸せにございます。殿下のお気持ち、しかと受け取りました」
アリエルは躊躇いがち膝を曲げた。
「エミリー、我が妃はじゃじゃ馬だからな。後は頼んだぞ」
ルイは笑った。
「はい。アリエル様を帝国一の美女に仕上げましょう」
エミリーは嬉しそうに頷いた。
「ところでモント、頼んでいたものはできたか?」
「ああ。できている。これほどの品は、帝国中どこを探しても見当たらない」
モントは得意げに言うと、大きな鞄から宝石箱を取り出した。
「アリエル、開けてみてくれ」
ルイがそう言うと、アリエルは手渡された宝石箱をそっと開けた。
そこには大小さまざまな花びらの形をしたダイヤモンドとエメラルドが繋ぎ合わされ、花輪のようになった豪奢なネックレスと、イヤリングが入っていた。
「まあ! 素敵!」
アリエルは思わず声を出した。ルイは黙ってアリエルの首元にそのネックレスをつけた。
「よく似合っている」
ルイがそう言うと、その場にいたものは皆頷いた。
「では、これに見合うドレスを二着仕立ててくれ。時間がない、十日で仕上げろ」
「皇太子はなかなか無茶苦茶を言う」
モントは苦笑いを浮かべた。
「多少の無理は仕方があるまい。金で解決してくれ。賃金は弾む」
「御意」
職人達は頷いた。
「では、後のことはエミリーに任せる。モント、エド達と話したいことがある。このまま一席設けるので私の執務室へ来てくれ」
「ああ、承知した」
「アリエル、また報告に来る。それまでエミリーの言うことを聞いて、準備を進めてくれ」
そう言うとルイはアリエルの肩を抱いて頬にキスをし、モントと共に部屋を出た。
*
ルイ達が部屋を出た後、アリエルは職人達に再び採寸され、さまざまな布をあてがわれた。職人達はアリエルにさまざまな姿勢を取るよう指示を出し、その都度デザインを書き起こしていった。そのデザインを見て、エミリーは何度も注文をつけた。
アリエルが立ち疲れて文句の一つも言いそうになった時、ようやくエミリーが首を縦に振り、どうやら仕立てるドレスのデザインが決まったようだった。
日がどっぷりと暮れ、月が昇る頃に仕事を終えた職人達がようやく部屋を出た。夕食と湯浴みまで終え、アリエルが一人きりで再び書類に目を通していると、再び部屋の扉がノックされた。
アリエルがドアを開けると、ルイが一人で立っていた。
「準備は順調に進んだか?」
「ええ。エミリーがかなり頑張ってくれました」
アリエルが言うと、ルイはにっこりと笑った。
「アリエル、実はまだ渡していなかったものがあって、それを渡したくて来た。マティスの生誕祭で、正式にあなたとの結婚が承認されることになった」
ルイはそう言ってアリエルの前に跪くと、ダイヤモンドがいくつも埋め込まれた指輪を取り出してアリエルの薬指にはめた。
「婚約の証だ」
「ピッタリだわ!」
アリエルが喜ぶと、ルイはアリエルを強く抱きしめた。
「リー、明後日の夜、騎士棟の地下で会議を行う。あなたも参列してくれ」
「承知しました」
アリエルはルイの胸に顔を埋めると、背中に手を回したままそっと頷いた。