逸話
こういうのは後からいくらでも出て来ては、実はそんなこと言ってないとかあるあるネタなんだけども。
アインシュタインの計算ミスの話とかね。真相まではわかんないよ?
でも、アインシュタインがもし九九の授業をするとしたら誰でも教えられるようなことを教えるわけがないと私はまず思います。
ハナからそう思って授業を受けるでしょう。
で、案の定間違えるわけですが、それでも私はバカにはしません。てか私の考えてたことが間違えたのか?と思います。
九九の9段を書いてみるとわかることだけど9☓1=9として、
9☓2=18、9☓3=27なんですよ。ここでもう気づいてる人は計算しなくても9☓4=36の答えが出せるんです。なぜなら、そのあとは45、54と十の桁が1増えて一の桁が1減るという法則があるから。だから9☓10=91とアインシュタインが書いたとしたらその法則が崩れるから「なんでソコは法則通りにならないんだろう?」と私なら思います。
で、逸話では9割合っていても1つのミスで人は間違えたと指摘しバカにするというのを聞いて、私はあーそっちか(笑)と思うわけです。ぶっちゃけ、計算ミスなんて私にはどうでもいいことでもしそれが法則崩れならどんな意味があるのかを知りたいほうなんで。
世の中の大半の人は良いものは右へならえで悪いものは条件反射で反応するものだけど、九九を言えたからといって別に凄いとは思われないんですよ。
間違えないのは良いことだけど、オッコトヌシみたいに暗算できるようなものまで電卓を出す、見直しまでやるのはやり過ぎというか。まして求められてもないのに、電卓使います?と人にいうのは失礼にあたるわけで(笑)その手間とか時間のかけ方が、たとえ正確に間違いなく行うためのことであったとしても、相手によってはそんな一々とろくさい奴には任せられないとなるわけですね。
ミスは誰にでもあることなんで謝ればまた機会を与えられる可能性はあるけども、そこまでやらないと出来ないようなヤツなんだと最初に思われたら二度と任されなくなるわけです。
ミスもたびたび繰り返せば信頼を無くすことには違いないけど、それもミスを立て続けにやるとか、謝ってるようで人の話をきちんと聞いてないような場合であって、稀に起こすミスに対していちいち反応して詰めてたんではそっちの時間と労力のほうが無駄だから、普通は訂正して次回、気をつけなさいねとサラっと済ますわけですよ。よほど大事なことならチェック体制を敷いてないほうが問題なんで。
藤崎がえらい人になった時の逸話になりますかね(笑)




