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藤崎要の徒然なるままに  作者: 藤崎要
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スケール



 人間関係で悩むという人は、自分や相手のスケールが理解できてない、あるいは把握すらできていないという事が多いような気がします。


恋愛といった相性も、とどのつまり人間関係なわけだから自分はもちろん相手のスケールが異なってるとそりゃうまくはいくわけがないですよね。


ただでさえ、先に告白したからとか惚れられてるからとか短絡的にモノを考えるような人もわりといますから、そんなんでパワーバランスを決めてたら対等にいることがベストな人間関係なんて作れないと思います。私もよくそこらへん誤解されるんですが、私にとって対等とはソコが最上級の相手に対する敬意だから自分よりスケールの小さいような相手にはらうわけがないし、そういう敬意を自分にはらえないような相手に対等な関係なんか望むわけがないんですよね。


 じゃあスケールとはなんぞや?ですが、これは言動や行動で推し測るしかないようなもので、言動が大きすぎても行動が伴ってないのは冗談と思うしか無く、小さ過ぎるのは測るもなにもそのまんまなわけですね。測るよしもなしってことです。


コレも測る側のスケールによるものもあるので、一概に判定できるものでもないんだけど、相対する者同士のスケールがあまりにズレてると価値観という言葉で合う合わないは出てくるでしょう。それもあくまで結果次第なんじゃないですか。


ゴジラがハーレム(笑)をリアルに叶えたいと思うのならソレに伴う行動と結果を出すしかないように、また私のスケールを大きいと思うか小さいと思うかは相手次第でもあるってことなんですよ。


ただ前述したようにスケールの小さい人間に大きな夢は叶えようはないとは思います。自分で見切りをつけてるわけですからね。だったら自分に見合った相手にも同等のスケールを求めるのが自然であり妥当でしょう。こじんまりでも別にその人の人生だからなんの問題もないわけですよ。


それもまた極端にズレてたらね、自分はもちろん相手に求めたところでうまくいくわけがないですよ。


自分の人生に他人を迎えるという事はある意味、お互いにとって賭けにでるのと同じことなんで、相手が降りればそれまでの話。その後どうなろうと互いに恨みっこはなしじゃないですか(笑)


 ギャンブル漫画にありがちなのは本質を語ってるように見えて現実的ではないということなんですよ。カタルシスの部分だけを捉えて、自分の言葉にしたところで漫画は漫画だから絵空事というか所詮は他人事だから、はたから見れば破滅願望と大差はないわけですよ。


てかギャンブルと投資をごっちゃにしてるようでは全然理解できてないってことなんですけどね(笑)


ギャンブルでなぜ負けるのかというとギャンブルにしてしまうからです。いくらその場は凌げたとして、やめなければいつかはやられるのがギャンブルだし、ここぞという所とそうでない所のリスクの取り方を間違えてたら単に確率の問題ではなくリスクとリターンのバランスでやらかすわけじゃないですか。ここぞというときはそう何度もあるわけがないですよね?だからそうでもない事をギャンブルにしてしまい、破滅するまで続けていくと必ず全て失うことになるのが本質であり、名言かに思いこんでるのはただの言い訳なんですよ。


こういう自分の手の内を明かす所がまだまだ私も人間が出来てないと言われるところなんですけども、私はイカサマをギャンブルだとは思ってないし正々堂々とやらないと楽しめないタチなんで人生に賭けるものはもちろん選びますが全く可能性のないものに賭けたりはしないですよ(笑)

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