11月17日(月)
城之内くんを生贄に全力で守備表示!ワラ
てかモンストで遊戯王コラボやってるんだけど、名前は知ってても中身はよく知らないんだわさ。私あの手のカードゲームは何がどうなって遊べるのかさっぱりわからないんですよね。プレイヤーが臭いのは知ってるというか秋葉原に行った時、誤って入ったショップでゲームに興じていた人が「ほう、そう来ますか」というソレっぽい台詞を発していて本当にそんなヤツおんねやというのとその異常なクサさに友達と驚いたんだけども。のちになって皆がそう思っていたということを知り安心したというかその時からそうなんやって。
少年誌に多いのはどんな人生を送ればそんな卑屈なセリフを吐けるような人間になれるのかみたいな敵が多いじゃないですか。その上で後からシレッと仲間になるのもいたりもして。めちゃくちゃ上から目線で、お前はここで敗れ去るのだ!この俺の前にひざまずいてな!って、そういうテンプレなんだろうけども。
私、人生を淡々と生きてるからそういう熱のこもった芝居が苦手というか。頑張るというよりかは最低限コレはやっとかないととかココまでやっておけば後が楽とかって方なので。てか物事にもよるんだけどソレが生活かかってるような仕事とかなら頑張るというのもわかるんだけども、徹夜で勉強を頑張るはあっても徹夜を頑張る意味なんてないですからね。
恋愛も頑張るというのではまた違うと思うんですよ。おそらくその頑張ってるというのがその人にとっての愛を感じとれるところなんだろうけども頑張らないと成り立たないようなのでは先々続かないだろうし、そもそも相性が良くないからなんではないかと思うワラ
私は相手に望むことは特に無いので、どちらかと言えば私のために頑張らないといけないとか相手にも思って欲しくないんですよね。私はそんな頑張らないと付き合えないようなめんどい相手なのかと(笑)
無理をするから病むのか、或いは病んでるから加減がわからなくなるのかわからないけどもいずれにせよソレら性格というものもあるだろうし、また自身では気づきにくい部分だろうとは思うんですよね。
煽り運転とか急ぐんだったらとっとと先行けば済むわけでしょ。ソレが妨げられたと思い込むことによって相手に嫌がらせをすることに意識が向いて、急いでいたはずが法律意識に背いてでも気が済むまでやるわけですよ。自分も事故を起こす可能性があるのにも関わらず。
人間てのは他の動物よりも言語や文章を書けることによってさも脳が発達してるかのように思われガチだけども、そういう所が発達してないのはけして賢いとはいえないですよねワラ
かの有名なサンジェルマンからして彼の側から見えていた世界というのは、おそらく同じ事を同じように繰り返す貴族社会の時間感覚の異常さだったのではないだろうかと私は思うわけですよ。貴族のほうはサンジェルマン伯爵が知的で歳を取らないように見えていたということなんだろうけども、彼としては時が延々と進まない世界の中で過ごしていたんだろうと。実際の時間とは異なる知的レベルの差が生み出す体感速度の相対性ってことです。
今や世の中なんでもAIと、さもAI化によって人手が要らなくなるみたいな風潮がありますがそれはコンピュータが生まれた時から言われてきた事で、大半のAIと言われてるモノはただのプログラムなわけですよ。
そして我々、コンピュータを扱う側はその仕組みというものをある程度理解しているつもりだけれどもコンピュータを作った側からすればソレはコンピュータというモノをわかりやすく説明しただけの事であって彼からすれば相対的に我々が遅く見えていたということなんですよ。故にコンピュータを普及させることによって人類世界の速度を自分と合わせるために早めようとしたという事なのではないかと。
所が人はそうなると本来求められているスピードよりもその余裕が生まれるやいなや功績やら栄誉といった無駄で余計なものを付随させたがるあまり、結果的にはたいして変わらんという有り様で、法律なんかはその典型的なモノであるという事ですよ。上げることは即座に出来ても下げるとなれば時間がかかるとか支離滅裂な話で本音は単に嫌だからなんだろうけども(笑)
ただ起点である立法がそうだから行政も司法も基本スピード感に欠けており、またそれぞれの立場で勝手にやってる部分もあるから余計にはかどらないというか、あえてお金もかかれば手間もかかるようワザとしているかのようで。頭の良さというものは
以前から述べてるように知識量のことではなく処理速度も含めてのことですから、効率を追求すれば自ずと速度を増すのが自然な流れなんだけれども、スピードに追いつけない者たちが足を引っ張るための理由を付け足そうとするからそうなるわけで。
いくら物事を知っていたとしても動きのとろくさいのは利口とは言わない。簡単に捕らえられるような動きの鈍い生物を賢いとは思わないでしょ(笑)
だから、もし宇宙に別次元や多重パラレル空間といった世界に我々人類よりも遥かに知的生命体と思われる存在がいるとするならば彼ら側からみた我々地球人類の世界というのは知的レベルの体感速度的な相対性によってまるで時が止まってるなかで生きているかのように我々が見え、また我々人類側からして彼らを観測できたとしてもたまたま撃った弾が偶然当たるレベルで存在を確認できたという代物とは呼べず、まして脳が認識できるようなスピードではまずないだろうという事なんですね。私以外にはワラ




