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藤崎要の徒然なるままに  作者: 藤崎要
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私の嘘を心待ちにしてるキミへ

ドMなんじゃないでしょうか?ワラ


今日は待ちに待ったエイプリルフールです♪おそらく朝からXやらなんやら芸能人らも

混じって、いたるところでしょうもない嘘が飛び交うんでしょうけども。


恥を知りたまえワラ


実はこの日、そういう日では元々無かったんですよ。インドが起源とされてて、ヨーロッパ→中国→日本へと渡っていくうちに誤って伝えられていったようです。そう、その流れを見てわかるように元は仏教から来てるわけですね。


その仏教の悟りの修行のなかで、3月から4月に変わるこの時期を揶揄節と言って、からかったことが起源とされております。


ところが最近の研究によるとこれはそうではなく。過去の過ちを振り返りそれを無かったことにするため嘘ということにしてしまおうと、つまり【人生をやり直すための日】であったという説があります。


という私が今、3秒で考えた最後の部分が嘘なんですけども。クッソ、ザマァですわね(笑)


人は生きていく上で、時には嘘をつくこともあります。ただ嘘に嘘を重ねると言われるように、一つの嘘はより多くの嘘を生み出す事になるわけで。でもその嘘にいかほどの価値があるのかと言うと、たいして意味も価値も実は無いわけです。朝から小一時間かけて塗りたくる化粧という誤魔化しも、日常的にそうすることが当たり前になっているだけで、別にそこまでして変化したところで日常や人生を大きく変えられるものではないように、たんなる思い込みや自己満足に過ぎないわけです。嘘を重ねるがごとく、どんどん化粧が厚くなっていき、本人だけしかそこまでやらないとお外にでられないというのはまさに嘘を重ねるのと同じく思い込みの賜物でしょう。


むしろそういう日頃の無駄な思い込みをいかにフラットに持って行くかで、それが積もり積もって人生になるわけですから冷静に自身を振り返ることが大事なわけです、他人によってね。


やはり自分で自分を見つめ直すと言っても、どこまで客観的になれるか?というと、本人がおかしいと自覚できてないから厚塗り化粧になるわけで。また、それを正確に捉えられるわけでもない相手に問うた所でテキトーな返事しか返ってこない、あるいはそこまで関心がないなかでの答えになるからアテにもならんわけですよ。


男性に今日のメイクどう?なんて、ナチュラルメイクをスッピンだと思い込むようなアイツラにそこまでの判断能力なんてありませんからねワラ

己の身だしなみにすら時間やお金をかける必要性も感じてないような連中に、そこまでの判断能力なんてあるわけがないですわ。


また良い返事だけを返してくれるのは愛情でもなんでもなく、所詮その場を取り繕っただけの優しさなんですよ。それでも良い、自身を磨けていると思いたいなら別だけども、それは単なる誤解に過ぎないのでリアルな幸せや満足とはどんどん乖離していくうちにいつかは理想とかけ離れたり、追いつかなくなるんですよ。


人は得るだけでは幸せにはなれないんです。与えることで感じられる幸せもあるから。それは食事したら排泄するみたいな惰性で行うようなものではなく、レア感も必要なんですよ。求めたら当たり前のように与えて貰える賛美と、この性悪の私が他人を素直に褒め称える価値とが同じであるわけがないという事。


だから私は罪悪感のない嘘をつくわけです。そして惚れさせてみろと思うわけです。

それで別にお互いどうこうならずとも、そうやっていくうちに確実にその相手は磨きあげられてるんじゃないでしょうか。

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