9月16日(火)
私は職に貴賤なしという考え方やから、自分がやりたくてとか生活のためとか理由はそれぞれあると思うけど、それ即ち社会的地位だったり稼ぎの多い少ないで優劣のつくもんではないわけですわ。
雇う側も雇われる側がおらんと雇用関係も成り立たんのやし、大手も下請けや取引先がおって成り立つんやから。大手のヒラと下請けの社長のどちらが上なんてそら考えるまでもない話やろけども。基本はお互いリスペクトしてへんと特にビジネスなんかはうまくいくもんもそれだけでいかなくなるものやから、仕事をマウント取るためのものやとおもてる奴ほど仕事はできないし、人を扱う立場ならなおさら人をわかってへんとできんことだわよ。
それをまたネットやなんやで他人を貶めたり己を欺くことでストレス発散どころか余計にためる原因にしてたり自己嫌悪から病んでりゃ世話ないけどもね。
別に底辺だろうが働いてない人よりは立派やし、無職でも理由があってそうなってるのなら仕方ないことやん。問題なのはそれを他人に向けて憂さ晴らしするとか、またそれがさらに自分を追い込むことになるような発言や行動に出る幼稚さのほうやろと。
そもそも人というのは間違ってると薄々わかってても気づいてたとしても、それを他人に指摘されたら素直に認めることができない偏屈な生き物だからね。
他人もわざわざ気を悪くされたりしたくはないから、よほど目に余るとかでもない限り気づいててもそっとしとくもんなんですよ。特に日本人は(笑)
それもまた全てが間違ってるというわけでもなくて、ある程度は理解されててもほんの僅かな食い違いで義憤にかられるのはそこまでやってきた自分を全否定されたかのように思い込むからなんですわ。
今どきタトゥーや整形なんて本人がやりたきゃやったらええだけのことやし、親がせっかく産んでくれた体をどうのこうのなんてのはよっぽど古臭い人間くらいでしょ。それをアピールすることが、夏休みに中高生がバイト先の先輩とヤッたやどうのと別に他人からしたらわりとしょうもないことをさもなんか凄いことやり遂げたかのように思ってるようなもので(笑)むしろ当人だけが変に意識しとるまであるわな。
バイト先でなんて言われてるかわかる?
【夏限定クーポンやぞワラ】
てかね、整形自体はコンプレックスの話やから他人がどう思おうが自分が嫌なら仕方ないと思うんですわ。でもやり過ぎるとさすがにおかしくなるのも事実であって、ソレを理解されてないと思うのは程度の問題を履き違えとるか鏡に写る自分の姿を正確に認識できてないだけのことで。
ダイエットして痩せて綺麗になったと思うのと同じで、周りも良かったねとなるくらいがちょうど良く。病的な痩せ方をすりゃ、周りが心配するのもそれはむしろ気遣ってのことなんやけども。それをなぜこんなに努力してるのに理解してくれないのかと変な方向で捉えて心を閉ざしてたり反抗的になってたらそのうち本当の病気になるわけじゃないですか。
元々の目的であったはずの美しさというよりかは、ストイックさを履き違えて自分が納得いくかどうかまで挑戦するみたいになれば後は何処までいっても満足しようがないんだからいつかは体を壊すというか、精神的にも既にそこまで追い詰められとる時点で病んどるわけですよ。ボディビルダーがステロイドやんのと同じで。
私は別にハゲデブ包茎やからといってその人の人間性まで否定はしとらんからね。
問題なのは、それをモテナイ理由にすり替えとることのほうだし。公衆の面前で恥ずかしげもなく脇オニギリとかゆうからキショいてなるんやないかと。普通考えたらわかるやろ、オニギリは熱いうちに握らないとコメ同士粘りがないのでくっつかないと。やったらオマエのその頭の上ないし腹の上や粗チンに炊きたての熱々ご飯をのっけたろかてなるわけですワラ
女もモテナイのは警戒心の強いブスと金のかかりそうな年増で相場のほとんどをしめているといっても過言ではなく、またエロを通り越して下品や卑猥なのは自分の価値を損なうだけですからね。あざといというのも年増にむけた言葉みたいなもんで、若けりゃウブなのがええ年こいてがあざといにかわるだけのことなんですよ。そういうのバイト先でなんて言われてるかわかります?【期限切れの使用済みクーポン】て(笑)
人生は長いようで短く、もちろん人によって千差万別の生き方があるようにその答えもそれぞれ異なるものなんだけれども。人生のゴールとしては申し分ないのは結構なことだけども、こと天国の門を開くということはそのための鍵というものをそれぞれ自分の人生の中で見つけ出しておかなければならんわけで。言ってしまえば他の要素はサブクエストみたいなもんなんですよワラ
そのサブクエストに夢中になり過ぎて気がつけば終わってたとか、それ以前に世の中や人を舐めてきたような人生を送ると地獄に堕ちるなんてことにもなるわけだけど。何十年もかけてきて自分は何をやってきたんだということに、最後の最後に扉を目の前にしてようやく思い出すわけですよ。そやそのために本来、人としてこの世に生まれてきたんやったと。
その鍵というのも果たしていざ扉を目の前にして開くかどうかは試してみないことにはわからないことやし、もし間違ってたらどうなるかなんてのは私にも答えられへんし、何回まで試せるのかもわからんけどね。
転生なんかも本来は不慮の事故かなんかで本人の意思とは関係なく、或いは自然の摂理などでたまたま人生を全うすることが出来なかった場合の救済措置みたいなものだし。またこの世に再び生まれかわりたければこの世との繋がり、即ち非常に強い絆をもってでしか成り立たないわけですよ。
やから色即是空空即是色とも言われるように、またいろいろな信仰でもソレらを匂わせてるけども本質をこれだけ此処までわかりやすく作品も通して世に伝えてるのは藤崎だけなんで。残りの人生、単に送るということではなくて鍵というものを意識してみたらまた違った人生が送れるかと思われますワラよ




