10月7日(月)
【オッコト大将軍、ダイエットで蒟蒻ゼリー(プリン味)を貪り食うも一ヶ月もせんうちに夜食カップラーメンを復活させてしまい、結局蒟蒻ゼリーを追い足しただけの模様。無事、中原に散る】
ダイエットの失敗の見本みたいやな(笑)
私が書く作品は私の性格が現れてるとは思うけどキャラクターには私の性格や思想は反映しないようにしているということなんですが。
これはね、それをやってしまうと味方にしてイエスマンしかいないスキルゴリ押しの無能陣営、敵にして変な情から悲しき過去や倒しきれずにグダるみたいなチープなものしか描けなくなるからなんですよ。
わざとツッコミを入れないということはあっても、皆が皆同じ性格同じ考えなんて本来ありえないですから。いくら話が面白くてもキャラクターの性格が作者の性格に統合されてしまうと個性が無くなるわけです。
老若男女問わず個々の性格をバラッバラにすることは、物語の展開を幅広く持たせることになり、描き続けていく上でも大事なことかなと思います。
逆に、テンプレみたいな悪党なんかは物語に出す価値すらないくらいダサいと思います。どこでも見かけるような無個性な小者を登場させないといけないような話をまず作りたくない(笑)
好きな子にちょっかいを出す不良グループや学校に入り込んできたテロリストとか厨二の妄想に出てくるようなやつ。作者のこれまで生きてきた人生、コンプレックスや願望、バナー広告のマンガみたいな話は毎夜繰り返される布団の中の妄想としては自由だけど、作品にしたときそれを読者がどう思うかじゃないですか。作者キモいと思われても仕方ないよね。
私は不良だろうが誰だろうが敵にして負けることがまず無いんで。そういう相手のイメージがそもそも湧かないというのもあるんだけど。藤崎の作品に小者らしい小者がまずいないでしょ?(笑)あと自分の力を過信するような自信家も藤崎くらいだろうしワラ
クソ長い前フリもなければ、状況説明なんかもほとんどしません。文字数稼ぎをしたくないというのもあるけども【読者様に想像してもらうことが読書の醍醐味】だと思うのでセリフだけでもおおよそ流れがわかるようになってると思うし、わからなくても別に問題ないしね。
似たような話ならなおさらやる必要もないと思う。どうしても書きたければ途中までは◯◯とだいたい一緒で名称だけ違いますのほうがまだ潔くて良いと思うワラよ。大事なのはむしろそこからの意外性なんじゃないですか?てかそこから書き始めたら良いだけなんだけどね。
私が元々チュートリアル嫌いだからかも(笑)
ゲームでもおおよそやり方はプレーしながらおいおい理解していくほうだし、そうしないと臨機応変に立ち回れなくなる。私がコレやりすぎなんじゃないの?というクエストでも私はクリアした上で文句たれてるだけで、けしてやれてないというわけではなく、やれもしないのにやれてるとうそぶくほうが問題あるかと思うわけです。
玄人はある程度仕組みやポイントがわかってるから語れるものがあって、それはどちらかと言えばほんの微妙な差というか、もうちょっとこうしたほうがくらいの話なんです。素人ほどよくわかってないから想像だけで大きく語るもんですよ。
ウマ娘でも施行回数に行き着くのはキャラやカードは揃ってて当たり前で、あとは運とレースごとの適応しかないよなってなるのと、最強カードを揃えられればと夢見がちなのと。評価点の差というのは総ターン数考えればわかるように意外と僅かなものなんで。その僅かな差に拘るのが玄人なら、評価点の作り方自体よくわかっておらず、まぐれに期待するのが素人だろうし。
カンストするのは当たり前で、むしろカンストを回避しつつスキルポイントへ割り振れるかみたいな違いだと思います。
経験なんて創作に必要無い、確かにフィクションの世界に現実をどこまで適用するべきかはわからないけど、作者の未熟さはモロに作品に出るものじゃないですか。
ヒーロー、ヒロイン像もなんやかんや「私も好き」みたいな奥ゆかしい相手や「好きなんだけど私なんかじゃ」みたいなのが理想なんだろうなって。そんなやつおらんけどな実際(笑)
自身の未熟さやスケールのこまさに反比例するかのようにキャラクターを大きく描こうとするのは、ネットワークビジネスなんかのホワイトボードの前にマジック持って立ってる人と変わらんのです。オーラが微塵も感じられ無い時点で描けてすらないんだけどね(笑)
自称ワルや勝ち組ほど、大きい単位を使いたがるじゃないですか。ギャンブルでも大きくはりたがる方だし。ある意味それは心の弱さの裏返しでもあるんですよ。
勝つということは、100円だろうが確実に勝てるということなんです。その100円すらも稼ぐことが出来ないような人間に億なんて稼げるか?と同じで、負けを取り返す所から始めなきゃいけないならなおさら、その性格の行き着く先はリターンを伴わないリスク全振りで負け確ということなんです。
戦うということが全てじゃないと思うし、強さ弱さも何に対してかであって、なにか一つでも秀でたものがあればそれは才能だから全てが完璧である必要もない。私が作品で描きたいのはそういうキャラクターです。




