9月9日(月)
藤崎大学シンポジウム、講師の藤崎です。今日は
【大人のための性教育】というテーマです。
昨今では性自認によって自身の性別でさえも選べるような時代になりつつはありますが。そもそも、男性女性においては生物学的な違いというものがあって本人の意志とは別に本能的な思考の差というものがございます。もちろんソレがどうでるかなどは国によって文化も異なる事から大小の差というものもありますけども、そうやって根付いた文化的思考というのは逆に中々変化をするものではないということなんですね。
今回、私はそういった男女の違いについて善悪や是非を問うこと無く、ありのまま事実だけを述べようと思います。
まず、男性と女性には生物学的な思考の差というものがあってソレは種族保存という観点は同じであっても生態的な意味合いで異なる部分というものを持っているわけです。
例えば肉体的な欲求にしても、男は端的に申しまして基本【そこまで深くは考えてない】という感じです。考えているようで考えてない、エロの前では考えられないというほうが正しいのかもしれませんワラ
女性は身体的な負担が結果的に伴うこともあり、考えてないようで考えてるフシはある。あるけども人生経験の差で浅いか深いかの違いはあります。
女性に聞きますけども、芸能人で誰が好きか?という質問に対し、みなさんそれぞれ好みはあれどもそれは【芸能人】だから好きというほうが正しく、カッコよくても笑わせてくれても【そこらへんの人】ならまた異なるわけですよね?。
それは、ある日突然その芸能人が捕まったとなれば途端に評価はダダ下がるとかに現れているかと。もちろん、一般人だろうが芸能人だろうが犯罪者をわざわざ好むという事は無いだろうしその内容によって幻滅するというのも当然なわけだけども、それでもそれまでは有名人扱いしていた事には違いないわけですよ。そこらへんの人なら相手にまず考えられないであろう見た目であっても有名人ならわりと受け入れられる人もいるってことです。有名人に対してはガードが途端に甘くなるフシがある。
一方、男性の方はアイドルを追っかけたりしてても、そこらへんの人でも自分にとってはアイドルだと思えるフシがあるわけです。職場だったり学校だったり、よく見かける店員さんとか夜のお店の方だろうが、絵であってもよ。お前の行動範囲がそれやからなってだけなんだけどもね。
そこに若くて可愛くて優しい女性の存在がいれば、その人にとってはアイドルみたいなもんなんです。笑顔が素敵ですねというのは、自分に優しくしてくれると思ってる男がよく言うセリフで、そりゃ家の中みたいに愛想悪く機嫌悪くするわけにもいかないやろという社交辞令を自分だけに向けられた愛想だと勘違いしてるんですよ。そこでテキトーにあしらわないと、質問攻め&自分語りまで進行するわけですが、キモいなら最初から相手にしないことが一番だけどそういうわけにはいかなくても、オマエには全く興味がないんや、すまんなという姿勢や態度は必要だということです。飼ってもらえると期待させるなら飼うつもりがないなら相手にしない、それも優しさなんですよ。
これら是非は問わないですよ、ただの事実なんでワラ
婚活などにおいて、自称ライターさんが相談にのっててこう思いましたとか述べてるけども。私はね、それは違うと思います。大半が作り話なんだろうけど(笑)というのも女性が女性に異性の相談などをする場合はマウント要素も含まれると思ったほうが良いので話をそのまま真に受けてるとしたらアナタは人生経験全然足りてないよってことなんです。てか相談されるような立場でもなければ、ソレがマウントだと気づいてすらいないのに女性を代表するかのような代弁者を気取るのはドツボにハマってるってことですよ。
自分が逆の立場でモノを考えたらわかるとは思いますが、もし自分が若くて可愛くてモテモテだとして冴えないオバサン相手に、言い寄られて困るんですなんて相談なんかしませんよね。仮にそうだとしても話す相手は選ぶでしょう。本当に嫌なら警察に相談したほうが早いんで。それも
人によっては嫌味かと思われるようなことを目上の同性相手に言える度胸なんてないと思うけどな(笑)
もちろんお互いの関係性にもよるけども、ソレが許されるような親子や姉妹みたいな間柄ならまだしもそれほど親しくもない他人相手ならインタビューのネタとして話に合わせてくれているだけのことを事実だと思って、むしろ自分の記事に都合の良い情報として膨らませてるんだったら薄っぺらい記事しか書けないと思います。
で、野郎どもは女性よりエロの部分でキャパが広いとはいえ女性に受け入れられるということはそこまで簡単じゃないということを学ばないと。浮気は許さないという女性の執念が平安時代の作品にも残ってるように、テリトリー意識がそもそも強いのが女性なんで、逆に言えば受け入れるかどうかを女性は慎重に選ぶということなんですよ。
だから、避けといてもう少し押してくれていたらとか、別れ話を切り出しといて引き止めへんの?という男性からすれば理由のわからない行動をとるけれども、慎重に考えた結果というものは覆すことがないので諦めて他をあたれということなんですね。好きというよりは興味がない、そんな相手に必死に頑張られても恐怖感と嫌悪感しか抱けない。それが女性だから。
私はね、別に世の男女が深く考えてるようで単に酔ってるだけみたいな、恋愛自体に興味もないけど。一緒になったところで、みんながみんな幸せかというと喧嘩も別れも絶えないのが男女仲で長年連れ添った夫婦でも愛情はとっくの昔に冷めてるということを考えると敷居を高くしてもさほどの意味はないと思いますけどね。合うか合わないかなんて、合わないということはわかっても合うかは一緒に住んでみないことにはわからないんだから期待と理想で飾る必要まではないし他所と比べるのは無意味だと思います。
そうでなくても年々、出会う機会も減る中で相手もそうだけど自分も残ってる側だとしたら、その中から良い人を見つけることに専念するべきで外野の意見なんていちいち気にしてたら話は先に進むことなんてないでしょう。




