11月26日
本来、備忘録の方に書こうと思ったのですがアチラは連載形式をとってないので(めんどくさいから)こちらの方で書くことにしました(笑)シロツメクサのしろちゃんという物語の設定などの補足や説明となっております。
宇宙は超広いので、我々地球人の体感的な時間感覚だけでは語れないものがありますよね。というのも、今、我々が見ている星の光は遥か彼方から時間をかけて届いてるわけで、光源自体がどのような状況にあるかというのは事後的に予測する他ないということなんですね。つまりすでにそこには存在していないという可能性もあるわけです。ちょうどオーマイゴッド粒子やアマテラス粒子(1グラムで地球木っ端)という出どころの不明な超高エネルギーの宇宙線が記事にもなりましたが、宇宙線も光と同等の速さであり地球に届くまでのタイムラグがありますから、なにもないはずの所からなぜそのような巨大なエネルギーが観測できたのか?としてもその時にはもうそこには存在していないからという可能性もあるってことです。
一般的には時間と速さと距離の関係からエネルギーが大きいということは「近いから」とか「力こそパワー」というイメージを持たれるかと思われますが、テコの原理では距離は遠いほどパワーが出ますので必ずしもそうとは限らないんですね(笑)前述した超高エネルギーの宇宙線がテコの原理で宇宙の媒質を通過するなんてことも絶対に無いとは言い切れない。なにせ宇宙だから(笑)
ただ宇宙空間における無数の光の存在やエネルギーというものが我々の地球で観測なり認識した時点ではそれらはすべからく事後の事象であるということだけは確かで光やエネルギーを発していたものの存在が確認できないというのはこちらが認識できた時にはすでに過去のものであることから、宇宙は時空を跨いだ空間であり【現在過去未来】が同列に並行して存在している世界とも考えられるわけです。ゆえにたくさんの太陽系や銀河系のなかに我々と似たような文明や歴史を持つ地球や人類そっくりな存在があったとしても、それぞれ時空上はパラレル的に存在はしていても互いに把握することはできないだけかもしれないというのがシロツメクサのしろちゃんに出てくる【しにあんの多重パラレル空間理論】なのです。これは質量保存の法則からして宇宙は膨張と同様に縮小されていてそれを時空という一つの次元にあてはめることにより過去はやがて未来になる一方で未来は過去へと繋がるということも否定はできず、星が無くなる一方でまた星が生まれるということを宇宙の並行的な時間軸の流れとして捉えることにより、宇宙の時の流れは円環(鶏が先か卵が先かのような理屈)することでタイムリープに応用ができるというのが物語での設定です。
ではそもそも地球に時間が存在してるのはなぜか?というと、それは地球と太陽や月の関係によるものであって、生命としての成長や老いは細胞分裂により体感できるけれども年齢や暦などの概念があるのは我々人類が時間の概念を持ちそこに規則性をもたらした文明のなかで生活しているからです。クラゲにはおそらくないだろうと思います(笑)
太陽がなければ1年は存在しておらず月がなければ1日は存在していなかった。シロツメクサのしろちゃんの世界観では月の民が今の地球人の祖先ということなので、逆に月の民は時間の概念を人類にもたらすことで地球に時間という縛りや規則をもたらした存在とも考えられます。現状観測できる惑星のなかで月と地球のような関係性を持った星は確認されておらず、それこそ我々が観測できる時点では過去のものとして認識できてないだけなのかもしれませんが。私はこれを円環する宇宙の時の流れのなかで彼らが月と地球の関係性を保つことによりそこを時空の基点にする必要性があったからなのではないかと思っております。
これらは全て私の個人的な見解や感想であって、学説みたいな高尚なモノでは全くありませんのであしからず(笑)あくまで本作品物語の設定でのお話です。証明や理論づけみたいなことができるのなら、とっくにタイムリープはできていると思います(笑)
私はいつも変わったことを考える人なので、たまに10歳年を取ってみたらみたいなことをやったりします。その時、あーしておけばよかったとかこうしておけばよかったと感じるなら今それをやればいいわけで。年齢なんて他人から見ておおよそしかわからないものだから、1年や2年なんてものは誤差に過ぎず、まさか私のように10歳勝手に年をとったつもりで生活してみたりする人間がいるなんて誰も想像つかないとは思います(笑)でも実際は年を取っていないからまだ後悔する必要もないんで、また10年若返ったように我に返って頑張ろうって思うわけです。