吹き荒れた風を追って
お読み頂き有難う御座います。
あら、懐かしいお衣装ね。久々に目にしました。あの方角からいらした方はかつて、よくお見掛けしましたわ。
その汚れは……。白木の柵に引っ掛かられたのね。よく入れましたこと。戸が壊れていたのかしら。
先日、直したのだけれど、蝶番が直ぐに駄目になってしまうのね。この通り乾いた気候だから……直ぐにボロボロになってしまうのよ。鉄も石も風に晒されて錆びたり、砂になってしまうの。
あら、お召し物がこんなに白く……。まあ、柵の中の石に躓いてしまわれたのね、
ごめんなさいね。あれは、いい肥料になるのよ。
お詫びに、ささやかながらお茶を差し上げましょうね。
此方は初めて?この度はどちらへいらしたの?
人を探してらっしゃるの。
どんな方かしら。その方のお名前は?
あら?本来のお名前から変えているかもしれないから、分からないと。
お人探しは梃子擦りそうなのね、お気の毒だわ。
此方は遠かったでしょう?とてもお疲れなご様子に見えますわ。
さあ、お茶はいかが?
此方は、乾燥しているのでね。お茶の葉が育ちませんの。
急なお客様用には、炒った豆を煮たもので代用しているんですのよ。
甘くて香ばしい?
まあ、良かった。
茶器も碌なものが無くてお恥ずかしいばかりだけれど、お口に合えばとても嬉しいわ。豆の肥料が良かったのね。
私の身の上?大したものではありませんわ。どうしてそのような……まあ、所作が貴族のように丁寧?
お褒め頂いて嬉しいわ。
まあ、過去にはそんな立場に立っていたこともありましたね。
私のお話?構いませんとも。
何かお役に立てるかしら。
あの国について知りたい?
まあ、おかしなこと。
その衣を纏ってらっしゃる貴方の方が、よくご存じなのではないかしら?
外から見た視点を聞きたい?
懐かしいと言ったから……住んでいたのではないかって?
ふふふ、そんな事も有ったかしら。
そうね。構わないわ。
どんな質問をしてくださるの?お答え出来るかしら。あまり難しいものや、当世風のことを聞かれても困ってしまうから、御手柔らかにどうぞ。
ああ、馬車に拘りすぎて、御者姫と嘲笑われた変わり者の王女がいた話ですか?
知っていますよ。
あまりにも『バシャバシャ』とか『風になるのよ』と言い過ぎて、社交界でも避けて通られていたのでしょう?私より、少しばかり世代が上の方ですわね。
ええ、覚えさせられていますわ。あまりにも珍妙で、奇妙で、異質でしたもの。
あら、もう器が空に。お茶のおかわりはどうですか?必要があれば、仰って。
それよりもお話?ああ、王女でしたわね。
何だったかしら。そう、板バネの素材がどうの。独立懸架がどうの。
苦労知らずでいられる繊手を、切り傷や脂に染めては、馬車の下に潜っていらしたそうね。
時には惜しげもなく、豪奢な金髪を半分車輪に巻き込んで切る羽目になったことも有るそうですわね。
恐ろしいこと。
そのお立場で、平和な時代にお生まれなのに。生傷を負う事を厭わないなんて。
そして、貴族の娘が首筋を晒すまで髪を切らざるを得ないなんて。ましてや王族が耐えられるかしら。
いえ、庶民の娘でも髪を不意に切られては……痛ましい事故でも耐えられない屈辱でしょう。
きっと髪が伸びるまで、息を潜めてその身を隠すのではないかしら。
ですが、王族たるもの、衆目に触れなければならない時が必ず来ますわね。
だって民の上に君臨するものとして、堂々たる姿を見せないといけませんもの。
過去にも……罪人によって髪を断たれた王家の縁者の姫は、深く帽子やヴェールで髪を隠すか、付け毛でその痛みを隠されて衆目の前に立たれたそうですわ。
その勇姿を敢えて曝け出した絵姿が遺されていましたが、何と勇敢で凛々しいお姿だったでしょう。絵を目にした時は、その勇気に、気高さに涙が溢れました。
髪を断たれても、決して不心得者には負けないと。そのようなお気持ちが滲み出た、ご立派な肖像画でしたわ。そんな絵が有ったとは、ご存知ないかしら?
嘗て王宮には、立派な大階段が有りましたの。其処の壁に飾られていましたからね。少しばかり目に映す機会が有りましたのよ。
ですが、ねえ。その王女のお心はまるで、気高さと無縁だったそう。
髪はザンバラなままで、心を病まれたのかと人々がご心配申し上げても、どこ吹く風。その真実は恥もなく、誇りもない姿を堂々と晒しておいでだったとか。
心有る者は誰もが、その王女に心の内をお伝えしましたそうね。
どうか、そのようなお姿はお控えください。貴族の手本となるような、民が憧れ、他国へと誇れる輝かしいお姿を見せて頂きたいと、切々と。
結果は無惨でしたわ。
進言が無にされた者達の悲しみは、さぞ、深かったでしょうね。心の澱として痛々しく溜まっていったことでしょう。
それでも、国王夫妻は、初めての御子である王女を砂糖に漬けたように甘やかしましたの。
当時、王女より迷惑を被っていた厩番を強く脅し、更に王女の手足となるよう無理強いしたんですのよ。
気の毒に、あまりの事に彼の方が心を病んでしまいましたそう。
それはそうですわね。
『王女の部下』などと、申し付けられたそうですが。本来ならば、彼は畏れ多い任務に携われる立場でも、身分でも有りませんでしたもの。
弁えていた厩番の何と哀れな未来でしょう。
平民には充分な祿をやり、遠く遠く他国の田舎へ下がらせたそうですが。心安らかに暮らせているのでしょうか。
ですが、厩番から離しても、王女は変わりません。
お仕えする者達を好き勝手に苦しめ、窮地に追いやり……野性的なお姿でやりたい放題をしていたら……貿易の約定に訪れていた、隣国の王子殿下のお目に止まったと言うことですわ。
え?王女の見目に心を奪われた?可憐だと聞いていたから。
……まあ、ある意味はそうですわね。ですが、心を奪われるのは、何も善きこととは限りませんでしょう?恐怖にも、悲しみにも、怒りにも心は奪われてしまうものですわ。
その奔放で品の無い様子に、己が目を疑われたそうですわよ。そのお心は失望で染められたそうですわ。
それはそうですわよね。
だって、王の娘ですもの。馬車の製造に携わる職人の家に生まれた娘を、無理矢理に引き取ったではないですわ。
生まれから育ちまで王家の教育を受けた、れっきとした王女が……持ち得る知識ではない行動をしているのですもの。
図書?図書で学んだと?
そう、『偶然見付けた図書』で学んだと嘘を吐かれましたね。なぜ嘘だと断じるのかって?
落ち着いてくださいな。だって、不可解なお話ですわ。誰が信じるのでしょうね?あら、失礼。信じる方も居たのですわね。
お考えくださいな。王族が学ぶ知識ではない分野の図書が、王女の手の届く範囲に安々と配置してある、とお思いかしら?
そのような本を勧める側仕えは、解雇されるでしょう。他に学ぶべきことを放置させる行為ですわ。
施政者階級が触れられる本は厳しく選定され、限られていましたわね。無いものにどうやって触れるのでしょう?
嘗てのお噂通り、王女にだけ見える悪魔が囁いたのかしら?
異端で、異形であれと。己の欲に忠実であり、好きに生きよ、なんてね。
「……悪魔憑きだ」
「何故あんな知識を?本当に王女なのか?」
「何と身の丈を知らず、悍ましい……。
あの国は一体どうなっている!?本当に、これからの付き合いを考えなければ」
空想しますに……そんな風に、悪い噂は万里を駆け巡りましたことでしょうね。
凄まじい早さで、市井にまで、他国にまで。
流石に王女に甘い顔をし続けた国王夫妻も、泡を喰って収束に走ったそうですわよ。
でも遅きに失しました。無駄でしたわね。
王家の評判は、失墜しましたわね。
元々少なからずも下降気味ではありましたが、仕方ないことですわね。
歴史ある王家の威光が?たかが、その位で失われるのかと?
貴方はそう思いますのね。
でも、最早その御身は高貴な身分を解かれ、ご自慢の美しい馬車で駆け回ることも無く、暗くて寒くて雨露の滴る、高い高い塔の上。
王家の威光を守る為に、そうなりましたのよね。
その後の事は、知りません。
私は父の手元へ引き取られ、国外へ出ましたからね。ええ。もう、とっくに。心労が祟って亡くなりましたの。
ええ、王女にも婚約者がおりましたね。
碌でもない思想に取り憑かれていても、高い身分は御座いましたから。
子供を産んでも、王女は放置していたそうですわ。
でも、風が吹こうと雪が積もろうと、野外で馬車に手を加えられる程に丈夫でしたからね。たかが屋内環境下での幽閉など懲りずに、元気にしていたのでしょう。どうして、分かってくれないのかしら。
所で、そのようなお話を今更持ってこられたのでしょうか。
もう50年も前に各国に割譲された、亡国のお話ですわよね。
貴族も市井の民も散り散りになったこと、よく覚えていますよ。
今は亡き夫が、国境で仕事をしておりましたのでね。嘗て幼い頃に味わった国を追われた悲しみを、今度は他人事としても目の当たりにしました。私達を他人事として送り出した人々が……。いえ、恨みと悲しみを目に宿し列を成す人々を、忘れはしませんわ。
その時の感情は、とてもとても。お話できるものではありません。
どうなさったの?御託はいい?
……馬車の特許?私に権利が有ると?
詳細を書き留めた本を行方不明の本と交換して、特許料が貰える?
まあ、急に何かと思えば。そうなんですのね。
嬉しいのか悲しいのか、王女は何も遺しませんでしたわ。何も必要有りませんでしたが。
そもそも、何故私が、そのような些事に囚われなくてはなりませんの?
それに、お忘れかしら。かの国の技術で作られた本なら、とうに紙は朽ちているでしょう。
だってあの国の末期は、インクすら不自由していたそうですもの。かつて書き留めた本は……読むに耐えうるのかしら。
ご存知かしら。
王女は文字が書けませんでしたの。読めたのかも怪しいわ。
最高の教師を与えられても、どんなに諭されても。
頑なに……誰も読めない独自の文字を書いていたそうですから。
共通語はおろか、自国の文字すら疎かにしていましたのよ。
あの当時は、識字率を上げようとしていた素晴らしい方がおられたようですし。
もしかしたら市井の子供の方が、王女よりも字を知っていたでしょうね。
王女の言葉は失われた言葉?読める者が現れた?
まあ、何処からそのようなことが分かったのかしら。
誰も読んだことが無い字を読める。
詐欺を疑わないそのお心は、純粋なのね。誰が、その読んだ内容を保証するのかしら。
え、王女にはもうひとり息子がいた?
……まあ、倫理観はないけれど丈夫な女だったようですし、宛行われれば誰とでも子を作るでしょう。
育てはしませんでしたけれどね。
正当な後継者?滅んだ国に、何の後継者が要るのかしら。
もし真実なら、割譲先に申し出るべきではなくて?
命を賭けて、出来るものならば。民の為にとお志が有るのなら。
なんてね。
私が王女の娘だなんて、そんな事が有る筈無いのですわ。
お話に同意したこと?すべて推測ですわ。私、共感性が強いのかしら。
貴方のお話が、とても荒唐無稽なのに……何処か信じてしまいそうになったものね。つい、合わせてしまいましたわ。ああ、お話は楽しかったわ。
さあ、お帰りくださいな。
こんな老婆の住むあばら家に迄、ご苦労さま。
もうすぐ、息子が帰ってきますわ。
警備の仕事をしていましてね。国境を荒らす、悪人を捕まえるお仕事ですのよ。
怖いお顔。どうして恫喝なさるのかしら。此処までお伝えしても、まだ分かって貰えないのね。
ねえ、貴方だけでは無いのよ。
此処であのお茶を出したのは、貴方だけではないの。
法を犯して関を越え、我が家の敷地に入り込み、身勝手なお話を、楽しそうに聞いて差し上げました。
心より、無礼な貴方を饗しましたのに。
どうして分かってくれないのかしらね。
その匂いは、風に乗って標となるのか。