【並世】Day6 天才機工作士リャホリィ
ヒュイイイイイイイイイン
風が雨のように全身を叩く。
「うわーーーー! 高い怖い!! お腹のあたりがふわっとする!」
「大丈夫デス! ここはスバイスの中デスヨオオオ!」
ニジーとルーは今、ルーの操作するホバーボードに乗りながら、遥か上空を飛ぶ制御不能状態の大機工人クァバルデを追いかけていた。
バーチャル空間だと頭の片隅では理解しつつも、ニジーは徐々に小さくなっていくクルッティコラの街の風景のリアルさにゾッとした。本当に空へ向かって上昇しているかのようだ。
ルーの足にしがみつき、目をつぶる。
さすがに高所の温度や気圧は再現されないようで息苦しくはなかった。
ヒュイイイイイイイイイン
すでに雲の高さを越え、眼下にはところどころ切れ間のある雲海が広がっている。
辺りの空は次第に桔梗と牡丹の絵の具を混ぜ合わせたかのような鮮やかな赤紫のグラデーションになり、果てしなく巨大な濃藍の帯が、音もなく天球の裂け目から漏れ出る光を覆い隠す。
「いつの間にか『Ri』の時間帯になってしまいましたネエ。暗いと見えにくいのデスガ……」
ルーは足でホバーボードを1回トンッと軽く蹴ると、まるで車のヘッドライトのようにボードの先端から光が照射された。
「『Ri』の時間帯?」
「スバイスにも昼と夜のような時間があるデショウ? 明るい時を『Hyou』、暗い時を『Ri』とスバイスでは呼んでいるんデス。3時間ごとに切り替わりマス」
暗くなったからなのか、高いところまで来たためか風景があまり変わらず、ニジーは逆に怖くなくなった。
ルーは相変わらず平然と上だけを目指して飛び続けている。
「……そ、そういえばルーさんがさっき言ってた最悪全てのアイテムを失うかもってどういうこと?」
「スバイス内のアイテムは壊れると自動的に修復されマセン。また大きな衝撃がかかった場合は大破してしまい、修復は不可能デス。今世と同じデスネ」
ニジーはおそるおそる下を見る。
もう街は雲に隠れて見えない。
「というかこの高さから落ちたらどうなります……?」
ルーは歯茎を見せながらニヤリと笑う。やはり顔だけ見れば恐ろしい悪魔のようだ。暗いとさらに。
「プレイヤーの場合はヒットポイントが0になって輝鏡花の聖域に強制的に飛ばされますヨオオ! ヒットポイントは数字として目に見えるプレイヤーの体力みたいなものデス。ダカラ極力ヒットポイントを0にしないように日頃から注意するのが良いデスネエエエ!」
「輝鏡花の聖域からやり直し!? 結構遠いのに!」
ヒットポイント(HP)はプレイヤーが持っている懐中時計に手を触れると表示されるようだ。
「ニジーサン、そんなこと言ってる間にクァバルデに追いついてきましたヨ!」
「おおお、本当にこんなところまで来たんだ……!」
ヒュイイイイイイイイイン
クァバルデの上昇速度が遅いのか、ルーのホバーボードが早いのかは分からないが足元まで追いついた。機体の周りを沿うように周りながら上昇していく。
ただその場に浮いているだけといった様子でクァバルデは沈黙している。
コックピットになっているクァバルデの胸部分にホバーボードを寄せると、ルーは外装をドンドンと思い切り叩いた。
「リャホリィサン! 助っ人に来マシタ! ここを開けてクダサイイイ!!」
反応はない。
「リャホリィさん! 大丈夫ですか! 生きてますか!?」
ニジーも外装を叩くが反応がない。
2人は顔を見合わせる。
「ハンバーガーあるよ」
コックピットが勢いよく開いた。
ーーー
「うう……ぐすん……ハンバーガーないじゃない! 嘘ついたわね!?」
「今そんなこと言っている場合デスカ!?」
ルーとニジーとリャホリィはクァバルデのコックピットの中にいた。
ルーのアバターは細く、ニジーのアバターは小さいため、1人乗り用のコックピット内になんとか収まっている形だ。
リャホリィはしばらく泣いていたのか、目を真っ赤に腫らしている。
2人をじっと見ると驚いたように目を見開いた。
「はっ! よく見ればあんたたち、さっきスバイスバーガーで会った顔コワと鳥さんじゃない!よくここまで来れたわね?」
「呼び方……ッ! ワタシはルー、デス! アナタ、自分が今どんな状況に置かれてるか分かってるんデスカ? このまま上昇すればクァバルデは天球に衝突して大破しますヨ!?」
リャホリィはフグのようにプクウっと頬を膨らませる。
「分かってるわよ! でもどうしてもクァバルデの上昇が止まらないの! 今まで上昇速度を極力抑えるので精一杯だったんだから」
リャホリィは腫らした目でルーを睨みながらもしきりにコンピューターを操作している。
「私はニジーです。リャホリィさん、なんでさっき通信を切ったんです? 地上からも対処できたかもしれないのに」
「だって恥ずかしいじゃない! 天才リャホリィ様が造った浮遊機工がこんなトラブルを起こすなんて! それにすぐになんとかできると思ったの!」
「全く迷惑な人デスネ……!! 制御できるか試しますからメインコンピューター貸してクダサイ!」
「嫌よ」
ルーとニジーは目が点になる。
「今ナント?」
「嫌よ! あたしの作った最高傑作の浮遊機工を、得体も知れないあんたたちなんかに制御されたくないわ!」
(この状況でそんなこと言う!?)
ニジーは開いた口が塞がらない。
ルーはため息をつくと、何も言わずに自分のホバーボードを台座の横にくっつける。するとホバーボードの一部がキーボードのような形に変形した。ルーはリャホリィに負けずとも劣らない速度でキーボードを叩く。
「なっ、こんな短時間で浮遊機工へのアクセス権が取られた!? これ顔コワの仕業!?」
「呼び方……ッ そんなことはどうでもイイデス! リャホリィサンは上昇速度制御だけに集中してクダサイ!」
「あたしに命令しないで!」
「わ、私はどうすれば!?」
「ニジーサンはそこにある緊急通信端末で地上にいるスミスサンや機工作士に連絡が取れないか試してクダサイ!」
ルーは操縦席横に設置されたスマートフォンのような端末を指差した。
(機械系苦手な私がついてきて大丈夫だったかな……)
ニジーはため息をつきながら緊急通信端末を手に取った。
[警告 警告 クァバルデの飛行限界高度を越えています]
その時突如、赤いランプが点滅しながら警報音が鳴り響いた。
3人の間に緊張感が漂う。
「飛行限界高度を超えてるって……!」
「天球が近いことを示してマスネ。想像していた以上にあまり時間がないようデス!!」
「無駄口叩いてないで集中して!」
[警告 天球への衝突までおよそあと10分]
上を見上げると、コックピット全体に貼られた画面越しに、濃紺の糸で編まれたかのような網状の壁がすでに肉眼でも確認できる。
あの壁が天球だろうか。
壁は呼吸するかのように、時折糸の1本1本が波打つようにして光っている。あまりに巨大すぎて距離感が掴めない。
ルーとリャホリィは画面を食い入るように見つめながら猛烈なスピードでコンピューターを操作していた。鬼気迫る形相で画面に向かう2人。話しかけようものなら取って食われそうだ。
キーボードを叩く音だけが窓を叩く大雨の音のように静かなコックピット内を支配する。
ニジーも負けじと通信端末の通話のボタンを何度も押し続けた。
(お願い、スミスさんでも他の誰でもいいから繋がって……!)
願いは虚しく、その先には誰もいない。
「くぅ、繋がらないっ」
[警告 天球への衝突までおよそあと5分]
繋がらない通信端末を握りしめながら、自分の無力さを痛感しつつ他になにもできないニジーは辺りを見渡した。
クァバルデのコックピット内からは地上の風景を地平線まで一望できる。巨大な木が並び、一帯が光って見えるのは輝鏡花の聖域だろう。
世界が闇に包まれる『Ri』の時間帯には、まるで星空が地上にも転写されたかのように、人々が生み出す光が瞬いている。遥か遠くに見える天球を突き抜ける山もボワッと青白く光って見えた。
(スバイスってこんなに広いんだ……)
ニジーは緊急事態にも関わらず、空から見る地上の風景に思わず感動してしまった。
ハッと我にかえり通信端末をまた慌てて操作する。
扱い方が悪かったのか、手に持っていた端末の何かの部品がポロリと取れ電源がつかなくなった。
(ほわー! やってしまった! 私って本当に機械系苦手なのよね……)
取れた部品を拾いながらニジーはふと浮遊機工に目をやる。
[警告 天球への衝突までおよそあと3分]
ルーはキーボードをバンっと叩くと、両手を顔に当てて天を仰いだ。
「リャホリィサン、もうタイムアップデス!! クァバルデは諦めるとして脱出しまショウ!! 3人くらいならワタシのホバーボードで支えられマス。ここで3人ともクァバルデと共に心中する必要はアリマセン!!!」
リャホリィは手を動かし続ける。
「嫌! あたしは最後まで諦めないわ! クァバルデは機工作士の象徴なのよ!? 大破させたりしたら機工作士としてスバイスの歴史に泥を塗るわ!」
「そそそんなこと言っても止められないんダカラ仕方ないデショウ!!?」
「あのー」
ニジーは白熱する2人に呼びかける。
「この浮遊機工を台座から外したら?」
ルーとリャホリィは呆気に取られたかの表情でニジーを見る。
「……た、確かにクァバルデを浮かせてるのはその浮遊機工ね。その発想は無かったわ……」
「エエ……言われてみれば確かニ。でも稼働中の浮遊機工は外せるモノなのデショウカ?大破する前にダメ元で試してみる価値はありそうデス!」
ニジーはおそるおそるターコイズ色の光を放つ浮遊機工に触れる。浮遊機工はほのかに温かい。
両手でバスケットボール大の球体をつかみ、思い切り上に引っ張ってみる。
「うぐぐぐぐ……抜けない……」
「そう、なるわよね……」
3人は絶望的な表情をした。
その時、ルーが何かを思い出したようにコンピューターを操作する。
「ロック解除……浮遊機工へのメインリンク強制解除……ッと、これでどうでショウ!?」
カコンッ
台座に完全に吸着していた浮遊機工が少し浮き上がった。
ファファファファファファァ……
浮遊機工が放っていたターコイズの光が弱まる。
「あっ、台座への吸着がゆるんだ……! でも私の力だけじゃ……」
ニジーは引っ張るが引き抜くことができない。だが先ほどより手応えはある。
濃紺の天球の屋根が、すぐそばまで迫って来ていた。
[警告 天球への衝突までおよそあと1分]
「アアもう最後のチャンスデス! 引き抜きマスヨーーーー!!!」
ルーとリャホリィも浮遊機工に手をかけると、3人で思い切り上に引っ張る。
「抜けろおおおオオオオオ!!!」
「止まれええええええええ!!!」
「ハンバーガーーーーーー!!!」
ガッコン!
その瞬間、浮遊機工は台座から離れ3人の手の中にいた。
ガクンという大きな振動がクァバルデ全体に伝わった。
目の前に迫った壁は近づいてこない。
あたりは不気味さを感じるほどの静寂に包まれている。
「……と、止まった?」
「止マッタ、みたいデスネ?」
「メーターも上がってないわ!停止したわね!」
3人は手を合わせて喜ぶ。
「なんか1人だけ掛け声おかしくなかった!?」
「あれがあたしにとって一番力が出る掛け声なのよ!」
「なにはともあれクァバルデを止められてよかったデス!あのシチュエーションで思いつくなんてニジーサン天才デスカ!?」
「浮遊機工そのものを外すなんて発想はなかったわ。鳥さんは天才と認めてあげる。顔コワは何も役に立ってないから論外」
「エエエエエ……!? そんなああワタシだって全力でッ……!!」
その時、クァバルデの全身を包んでいたターコイズ色の光の線が、まるで血の気がひいていくかのようにスウッと消えていった。コックピット内も薄暗くなる。
「あれ、そういえば浮遊機工がないとクァバルデって飛べないんじゃ……?」
3人は顔を見合わせる。
浮遊機工は3人の手の上に乗っていてクァバルデに接続されていない。
「確かに」
そう言った瞬間、
落ちた。




