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逸れたカッコウ  作者: まのる
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母親は相談する

誤字脱字は見逃していただけるとありがたいです。



 不甲斐ない母親へのアドバイスをお願いします。

50代の女です。娘が2人います。このような形で相談するのは初めてでして不慣れなところ多いかと思います。

長くなりますが身の上から話させていただきます。

 長女は私が産んだ子で、次女は長女が5歳のときに夫と不倫相手との間に生まれた子です。不倫相手の女性は、私の存在を知り精神的に不安定になり、家に押しかけてくる、脅す等を繰り返した結果、私と夫の両親の圧力もあり別れさせられました。そして、生まれたばかりの次女を残して自殺しました。夫がどうしても1人残された子供を引き取りたいと私に土下座し、鬼にも聖母にもなりきれない中途半端な私は、母親となり、2人を姉妹として育てることになりました。

 怒りと悲しみでいっぱいでしたが、子供に罪はないと思い不甲斐ないなりに母親として精一杯頑張りました。とにかく2人の扱いに差をつけないように、2人を平等にとすり減る思いでしたが。私を母として慕う次女はいつしかとても可愛くて、夫のことは許せませんでしたが次女のことは私なりに愛していました。

 ある時までは。

次女が中学2年生となり高校受験が迫り、制服が可愛いという理由で志望校を決めようとしました。

長女が目標に向かって努力することがあまり苦にならないタイプで成績も良く、高校を大学受験のことや学習面を意識して選んでいました。なので、次女に対しても、あくまで学校なのだから生活面も大事だけれど勉強面のことも考えて選んで欲しいと伝えました。

 それが良くなかったようです。その日から次女の反抗期が始まりました。

「お姉ちゃんのわがままは叶えるのに私の希望は一切聞いてくれない」

「お姉ちゃんばっかり贔屓する」

「鬼ババア、大嫌い、死んでしまえ」

「ママの子供になんて生まれてこなきゃよかった」

 そう言われる日々でした。作ったお弁当をゴミ箱に投げ込まれたり、時には叩かれたり。面談等学校の用事を教えてくれなかったり。物を投げられたり。夫が単身赴任中で、長女が大学進学を機に家を出ていたのもあり、家という空間に2人きりだったのも私を追い詰めました。



 可愛くて仕方ないはずの次女の怒った顔が、産みの母の、あの時包丁を持って家の前に立っていたあの女の顔と似ているところばかり探してしまうようになってしまいました。そんな自分が怖くて情けなくて許せなくて不甲斐なくて。でも心はどうにもできなくて。いつしか、高校受験さえ終わったらもう逃げ出そう、と思うようになりました。

すがる思いで受診した病院で適応障害と診断されたのもこの頃です。薬でなんとかどうにか誤魔化しながら母としてのつとめを果たしていました。

心身共にボロボロになりながらやっと受験が終わり結果が出ました。合格でした。通っている中学校に合格の報告に行く前、次女は私に緊張した顔で言いました。

初めて一輪車に乗ったときと、お遊戯会の時に舞台袖で出番を待っていた時と同じ顔で。


「お母さん、帰ったら話があるの。」


 私は何も返事ができなかった。

だってもう、この子を見送ったらすぐに家を出るつもりだったから。記入済みの離婚届も、夫と次女へ送るメールの下書きもできていてあとは送信するだけで。長女への説明も終わっていて。いらない私物は全て捨てていて、必要なものはもうまとめてあって。入院する療養施設の手続きだって終わっていたのです。その時にはもう。

 玄関の扉が閉まってしばらくしてから、泣きました。ごめんなさい、ごめんなさいって。身勝手で覚悟が足らない母親で、あなたからお母さんを奪ったくせに幸せにもしてあげられなくて。ごめんなさい、あなたのこと大好きなはずなのに、もう限界なんです、ごめんなさい。

ひとしきり泣いた後、私は予定通り家を出ました。

施設についてからしばらくしてから次女にメールを送りました。


"合格おめでとう。

よく頑張りました。

お友達たくさん作ってね。

勉強も、あなたは努力家だからきっと大丈夫。

頑張りすぎないでね、無理しないでね。

健康に気をつけてね。夜ふかし、しすぎないでね。

冷蔵庫に今日の夕ご飯は入ってます。

いらなかったら捨ててください。

明日からは、山城さんと言う家政婦の方がいらっしゃいます。

きっと、お母さんのご飯よりも美味しいご飯を作ってくれると思います。


あやかちゃん、不甲斐ないお母さんでごめんなさい。

もっともっと、ちゃんとあなたのこと支えて受け止めてあげられる人になりたかった。

でも、もう頑張れない。

本当にごめんなさい。

私のことは忘れて、幸せに生きてね。


お母さんより"


それから私はすぐに夫にもメールを送りました。


"もうむりです。

さようなら。"


 それから2人を着信拒否にしてそのまま携帯を解約しにいき、全てのデータを消した後、ゴミ捨て場にすてました。

長女と自分の実家と親しい友人だけの連絡先が入った新しい携帯を代わりに持って。


 そこから2年その施設で暮らしたあと、病気が少し落ち着いたので長女の勧めで長女の自宅のそばのマンションに住むようになりました。

夫の強い希望もあり、離婚はまだできないままです。

一度探偵でも使ったのか、施設に移ってまもなく夫が訪ねてきた時がありました。単身赴任で2年間留守にしていた夫が、久しぶりに見た私のやつれように、驚いているのが滑稽でした。泣きながら言われた「君を不幸にして本当にすまなかった」「君は何も悪くない全部私が悪い」「一生かけて償わせてくれ」「君は何もしなくていい、ただそばにいてくれるだけでいいんだ」と言う言葉の空虚さ。その頃は疲れきっていて常に人形のような抜け殻状態でしたが、握られそうになった手を振り払うぐらいの力は残っていました。


いらないことまで話しすぎました。

相談に戻ります、次女が結婚するそうなのです。

式に私もきて欲しいと言っていると。


 私が施設に移ってからあの子はここに来ることはありませんでしたがよく手紙をくれるようになりました。

けれど、もう私はそれを読むことはできませんでした。今も机の上に手紙は山を作ったままです。

私はもうあの子を、あの悪魔のような時のままの記憶の存在にしてしまった。その先のあの子の人生をもう見続けるのに疲れてしまった。過去にしてしまった。

もう母でいることをやめてしまったのに、それでもあの子は私に式に来て欲しいんですって。


結婚式の招待状を長女はこう言いながら手渡してきました。


「お母さんにこれを渡すのね、あやかの一生のお願いだって言われて、頼まれたの。もう二度と金輪際、わがまま言わないからって。」


 そう言う長女の瞳はいつものように森のフクロウのように澄んでいて静かでした。


行かなければと思います。大事な子供の晴れ舞台なのですから。でも、出席に丸をつけようとするたび手が震えてあの日が蘇るのです。


だから、どうか、私を勇気づけてくださいませんか。

母親として正しい道を選べるように。









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