当たりのない自動販売機
「三木、なんか飲むか? 奢るぞ」
仕事後に飲んだ帰り道、ふらふらと歩いていると隣を歩いていたはずの係長の声が後ろから聞こえた。振り向くと5mほど後ろの自動販売機の前に係長は立っていた。
「え、いいんですか? でも喉渇いてないんで大丈夫ですよ」
何を飲もうかなあと少し考えた。でも、ついさっき酒代を払ってもらったところだったので、遠慮することにした。
「そうか? 遠慮することはないんだぞ」
そう言ってグレーのスーツがよく似合う中年係長は「おれはアイスコーヒーが飲みたい」と呟くと、ポケットから小銭入れを出した。そして120円ぴったしお金を入れると缶コーヒーを買った。
『数字がそろえばもう1本!』
自動販売機のお金を入れる部分の近くにステッカーが貼られていた。当たり付きの自動販売機のようだ。
『ルーレット当たり時のご注意』
いつもなら気にならないけれど、なんとなく目がステッカーに書かれた文字に吸い寄せられた。なんだか読まなきゃいけない気がして。
『当たった時は、60秒以内にあなたに……
「あ、揃うかも」
係長が呟いた。
「え、マジっすか?」
思わず敬語が崩れた。係長を見ると、係長の目は自動販売機に釘付けになっている。いつもは敬語にうるさい係長。でも今は気にしていなさそうだ。係長に倣っておれも数字を見る。
4 4 4 -
たしかに揃いそうだ。でも、おれは生まれてからこの30年間一度も自動販売機で当たるシーンを見たことがない。いつも最後の一文字ではずれるんだ。
どうせはずれるだろう、そう思って余所見をしたその時だった。
「当たった!」
係長が呟いた。
「え、マジっすか?」
また敬語が崩れた。係長を見る。係長の目はやはり自動販売機に釘付け。おれも自動販売機のルーレットを見る。
4 4 4 4
揃っていた。自動販売機で当たりを出す人をおれは生まれて初めて見た。
「すごいっすね! おれ、当たるところ初めて見ました」
おれは思わず嬉しくなって変なテンションになった。係長も嬉しそうで、まるで宝くじでも当てたみたいに喜んでいる。
「三木、お前好きなやつ選んでいいぞ」
係長はおれの背中をばんばん叩き、にこにこしながら言った。
「え、いいんすか? じゃあお言葉に……いやいや、でもせっかく当たったのに申し訳ないっすよ」
おれはペットボトルのお茶を選びかけて踏みとどまった。
「いいから、早く選べって!」
背中を押す係長。
「いやいやいやいや、ここは当てた係長が選んでくださいよ」
おれはとりあえずもう一度断ってみる。
「気にするな! ほら、早く選ばないと時間がなくなるから」
再び背中を押す係長。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
おれはペットボトルのお茶の購入ボタンに向かって指を伸ばした。
「おい! 三木、何やってんだ」
離れた所から大きな声で名前を呼ばれた。
びっくりして周りを見渡すと、進行方向のかなり先の方に係長がいた。
「勝手にいなくなったら焦るだろうが!」
先にある横断歩道の向こう側、四車線道路を走り抜ける車の音に負けない大きな声で叫ぶ係長。いつの間にあんなところに行ったんだろう。今の今まで一緒に自動販売機で当たりを喜んでいたのに。
ん?
おれは慌てて自分の周りを見渡した。おれは誰と一緒に当たりを喜んでいたんだ? おれの側には誰もいないし、通行人は皆おれのことなんか気にも留めずすたすたと歩き去っていく。
夢でも見ていたのかもしれない。自動販売機を見る。
『故障中 ご迷惑をおかけしております』
お金を入れるところにA4サイズの張り紙があった。
さっきまでこんなのなかった気がする。おれは自分が思っている以上に酔っているのかもしれない。なんだか狐につままれたような気分だ。
おれはおれの名前を大声で叫ぶ係長に合流するため、横断歩道に向かった。
横断歩道に到着すると、係長は叫ぶのをやめた。叫ぶのはやめたがずっと口が動いている。顔も若干険しい。たぶんおれに対して文句を言っているんだろう。勝手に先に進んだのは係長なのに。
赤の横断歩道。目の前をたくさんの車が走り抜ける。おれの他にも5人ほど信号を待つ人がいて、今からあのぶつぶつ言ってる人に合流するのかと思うと少し恥ずかしい。
信号はまだ変わらない。
「当選おめでとうございます」
後ろから声が聞こえた。録音されたアナウンサーのような女の明るい声だった。誰か何かに当たったらしい。
「当選おめでとうございます」
また聞こえた。全く同じ声。誰だよ、早く確認しろよ。
信号はまだ変わらない。
横断歩道の向こうでは係長が腕組みしておれを待っている。相変わらず何かを言っているみたいだが何も聞こえない。
「当選おめでとうございます」
耳元で聞こえた。明るい女の声が。
当選したのはおれなのか? ぼんやりそんなことを思う。思っていたら、体が綿毛のようにふんわりと浮き、横断歩道に向かって進んでいった。
酔った頭では咄嗟に何が起きたのかわからなかった。
おれの体はゆっくりと車道に向かって倒れていく。何が起きたんだろう? 背中を優しく、でも強い力で誰かに押されたような気がする。
倒れながら見える景色は、ハイスピードカメラの映像のようだった。ゆっくりと目の前の世界が流れていく。音は何も聞こえない。
倒れたくはない。でも、踏ん張りたくても足が前に出でくれないし、捕まるものもない。おれには倒れることを回避する術がない。
顔を右に向けると車が迫ってくるのが見えた。距離はもう10mもない。たぶんブレーキは間に合わないだろう。倒れた後に避け切れるだろうか? 酔っ払った頭ではその判断もできない。
係長は倒れていくおれを見てどんな顔をしているんだろう。確認したくても地面が目の前まで迫った今の状態では見ることができない。
おれの体が地面に着々した時、スローモーションの世界はスピードを取り戻した。
大通りにブレーキ音が響き渡る。