故郷の春
いやね、こないだ、売春宿に行ってきたんですよ。「売春宿」なんて言い方
は古めかしいかな。でもね、そんな言葉で呼びたくなるような、そんな建物なんです。
それで、そこの入口に婆がひとりザブトン敷いて座ってるわけ。そんでね、ワタシ尋ねました。
「ココは、いわゆる売春宿ですか?」とね。すると、婆はにやと笑いまして、「はいはい、ココは本物の売春宿ですよ」と返しやがります。
春を売るなんて大層な物言いをするくらいですからね、ワタシはもうどんな美人が出てくるのか、胸の高鳴りが止まりませんでした。おわかりでしょう?
「ワタシ、春を買いに参上いたしました」
なんとか声を落ちつかせて一息に言ってやりましたよ。
婆は特段おもしろくもなさそうに、「それはそうでしょうね。芋や菜っ葉をお求めになる御仁はめったに来やしません。うちには春しか置いておりません」
この婆なかなかなめた口ぶりでして、珍しい婆だ、田舎のばあちゃんとはえらく違う、などと思うにつけ、いかんいかんと気を引き締めてワタシもひとつこしらえてやろうと思ったのです。
「お宅は春を売ると言い、ワタシは春を買うと言う。売る者がいて、買うものがいる。あはは、これはめでたく売買関係がなりたちそうだ。ところで、春の品揃えはどうだろう? 毒を持ってるのや、もう芽の生えてるのは絶対勘弁だからね」
婆の表情はちっともかわりません。この婆は犬猫はもちろん我が子が死んでもこんな顔をしていやがるのでしょう。あたたかみのない婆です。
「おーい。ようこちゃん! うちに毒を持ったのや芽の生えちまったようなのはいたかい?」婆は奥に向かって尋ねますと、「そんなのはいたためしがありません」と返ってきます。婆はワタシを見上げて、皺だらけの顔を見せつけてきます。
「フウ。安心しました。芋や菜っ葉を買うなら訳ないが、春を買うとなるとこちらとしても、なかなか売った買っただけじゃ済みませんからね。婆さん、どうだろう、品定めはできるかい?」
このときになって婆は口の端を少々歪めまして、数秒そのままでいました。品定めなんて言葉がまずかったかと心配しましたが、婆はとりわけ快活な声色で、
「お客様がお上がりですよ」と仰々しく声を上げます。
ワタシに靴を脱ぐよう促すと婆はワタシを待たずに奥の戸のあたりへすたすた行ってしまうのです。
このくされ婆と思いながらも、ワタシは靴を脱ぎコートを左手に抱えまして、フウフウと呼吸を整え婆の後を追うのです。婆は戸を引きワタシを待ち構えております。
「自慢の春の数々をたあんとご覧ください」
そう言いましてワタシの尻に手をやり、ぐいと座敷の中へ押しやります。この婆めぶん殴ってやろうかと苛立ちましたが、春のかおりがワタシの鼻先をそよとなでまして座敷の奥へ目をやると、そこにはそれはもう立派な春が拡がっておりました。春・春・春。あたり一面春だらけでありまして、ワタシは厚ぼったいコートを放って、春の只中へひらひらと進みでたのです。ええそれはもうたった今しがた翅の使い方を習得した蝶のように、ぎこちなくはありましたが迷うことはありませんでした。
とてもいいかおりのする春。白・黄・桃で飾りたてる春。ピイピイと小鳥のようにさえずる春。瑞々しい果実のような春。毒など芽などと口にした先ほどのワタシを心の底から恥じ入り、思わず婆に声をかけたのです。
「いやあ素晴らしい。お宅の春はなんと言いますか、別格というやつですね」
婆は、「もちろんです。そんじょそこらの春と比べられては困ります。初物とは申しませんが、まさに旬を迎えた春ばかりです」とこともなげに言いやがります。たいした婆です。パンパンと婆が手を打ち鳴らしますと、ひなたで遊ぶ仔犬のようにじゃれていた春は皆、三つ指ををついて一列に並びます。ワタシはもうその光景に圧倒されまして、すんでのところでとどまりましたが、なにかその場にふさわしくない言葉をつらつらと口にしたい衝動に駆られました。例えば、河岸の小坊主・常緑樹・見事なお手前でございました、などの言葉です。
ヒイフウと心を落ちつかせてようやく吐かせた言葉は「寒風が吹く小路をあちらへこちらへ歩きまわり、なんの因果か、ワタシの眼前には盛りの春が拡がっております。常春のこの地に足を踏み入れたからには、夏春冬などという無粋な季節はさっさと忘れて、ただただ春を味わい尽くそう。そういう心持ちです。あははは」というものでしたが、端の春がくすりとしただけで婆を含めその他の春は誰も笑わないばかりか、一言も発しやがりません。少々気恥ずかしさを覚えましたが、「いけないいけない、ここは常春の地、ワタシは今から春を買う」と自らに言いきかせまして、なんとか持ちなおしたわけです。
婆はワタシの心中を見透かしたかのように丁度いいところで、
「さあさ、お客様、どの春がよろしいか?」と尋ねました。
ワタシは端から端へと順繰りに春を見定めました。いくら上物揃いと言えど、人それぞれ好みの春というものがあります。すき焼きの具に地方色が出るのは言うまでもなく、里芋や鰊を割下で煮込み三杯酢にくぐらせたものをすき焼きと呼んだとしてもワタシは決して非難しません。
ワタシは故郷の春を思い浮かべました。これはこのような状況においてよく採られる方法のひとつでしょう。ワタシの故郷は北国で、忌々しい雪がいつまでたっても四方に残りまして、春の訪れはだいぶ遅いのです。まずワタシは寒さのまだまだ厳しい早春を思い、次に徐々に雪が融け土が顔を出しぽかぽかと日差しのぬくもりを感じる春の盛りへ思いを馳せました。その感触をしっかりと握りながら、再び端から端へと順繰りに、故郷の春はどの春かと、すこぶる慎重に確かめたのです。
一・二・三・四。一・二・三・四。一・二・三・四。三順ばかりするとワタシの思う春とほぼ同じように見える春を見出しました。左から二番目の春です。先ほど小鳥のように賑やかだった春です。もう間違いはない。ワタシは確信していました。
「この春を」
ワタシは婆にそう告げ、故郷の春に手を差しのべました。
故郷の春はワタシの目をジッと見つめ手を取ると、すっくと立ちあがり、ワタシを二階の個室へ導きました。
薄暗いその部屋にはすでに布団が敷かれており、故郷の春はためらうことなく一枚二枚と服を脱いでいきます。すっかり全部脱いでしまうと、ワタシは故郷の春のこの暗がりでもわかるほどに透きとおった白い肌に釘付けになりました。初物の玉ねぎのようなその肌を味わいながら毎晩過ごせたらどんなに幸せでしょうか。ワタシは自分の服も脱ぐと布団に横になり、いよいよという段になって尋ねたのです。
「故郷はどこです?」
「熊本です」
ああ! こんちくしょう! ダマサレタ! と少々嫌な気分にはなりましたが、その後ワタシは熊本の春を存分に味わいました。火の国とはよく言ったもので熊本の春はワタシの故郷と比べますと夏と言っても過言ではなく、なんと言いますか雪などはもちろん見当たらず、半袖で走りまわり海に飛びこむ子供らが見えさえするほどで、熊本の春はそれはそれはあたたかくすがすがしいものでした。
故郷の春を懐かしく思いながら、ワタシは熊本の春の素晴らしさにただ身を任せるばかりでありました。