迷宮は何でもありな所だった
ダンジョンといえば一昔前は洞窟や石造りの迷宮を指すものが一般的だったと思うけれど、この世界に来る直前の日本ではダンジョンはそんな簡単に定義できるようなものではなくなっていた。
近年流行ったネット小説がその変化の原因じゃないかと個人的に思う。しかし、それを確かめる術は異世界に来てしまった私にはない。
ただ、私が知っているのはそんな変化したダンジョンがどんなものか、ということだけだ。
例えば、地下なのに太陽があって、草原が広がっていたり。
例えば、大きさがおかしくて、明らかに空間が歪んでいたり。
以前読んだ小説では、そんな感じで物理法則が崩壊していたように思う。とても自由度が高いものだった。
だからだろう。
この世界に来た時、この世界が夢だと思っていた私は少しわくわくしながらこう思った。
『……どっち?』と。
石造りか、草原なのか。
そしてその後、実際に潜って分かった結果はというと――
◆
視界一面に青々と草が生えそろっている草原と、先が見通せない深い森の境。
そこで私は牙をむいて駆けてくる魔物達に指を向けた。
「……ふっ」
すると、ぱぱぱ、という何かが弾ける音が周囲に響く。
そして遅れて聞こえてくる数多の悲鳴。
「……っ」
魔力を込めて、弾丸状にして、それを沢山撃ち出す。
それだけで魔物は簡単に死んでいく。
狼のような魔物はキャンキャンという案外高い悲鳴。
熊のような魔物は地鳴りのような低い悲鳴。
それらが合わさって、不協和音のような嫌な音に感じられた。
そして最後の一匹が地面に倒れ、あっという間に戦闘は終了する。
後に残っているのは地面に散らばった魔石だけだ。
魔人族の魔法の力は圧倒的で、そんじょそこらの魔物では苦戦すらしない。
もはや戦闘というより駆除や虐殺と言った方が正しいかもしれなかった。
「……はあ」
思わずため息が漏れる。
もうこの半年で何度も繰り返してきたことだけど、それでも生き物の形をしたものを殺すというのは精神的に疲れるものだった。
特にあの悲鳴が辛い。悪いことをしている気分になる。
魔物はダンジョンが魔石を中心に作ったゴーレムみたいなものなので、罪悪感を感じる必要はないと知ってはいるんだけど……。
正直、いつまでたっても慣れる気がしなかった。
……まあ、とは言っても初めて殺した時と比べればだいぶマシにはなったかな。あの時は吐いてしまって大変だったし。
「……ふう」
「お疲れさまでした、ユース様。
魔石は拾っておきますので、休憩してください」
自分のささやかな成長を思ってため息をついていると、後ろから声を掛けられる。少し驚き、すぐに思い出した。彼だ。
振り返って声のしたほうを見る。
すると、ルートが木陰に折り畳みの椅子を広げてくれていた。
「どうぞ」
「……えっと、ありがとうござ……あり、がとう」
こんなもの用意してたんだ……と驚きながらも礼を言って座る。
木の影の中は体感温度が少し低くて、ちょっと気持ちよかった。
肉体的には疲れていなくても、戦闘後は少し休みたい気分になるので嬉しい。いい年した大人としては地べたに座るのも少し抵抗があるのも確かだ。
……これまでは普通に座ってたけど。
背もたれに体重を掛けつつ軽く周囲を見渡した。
少し離れたところでルートが落ちた魔石を拾っているのが見える。
魔石は冒険者の主な収入源だ。
私たちはこれをギルドに売り払うことで生計を立てている。
今回の探索では、ルートにこの魔石を拾い、運んでもらうことにしていた。
あたりに散らばった魔石を屈んで拾うのは結構大変なので、正直結構助かる。
ルートは手に持った袋に次から次へと魔石を詰め込んでいて、随分と手際がいいように見えた。
「……」
こういうとき、自分が休んでいるときに人が働いているのを見ると、少し気まずくなる。
自分も働かなくちゃいけないんじゃないか、そんな風に思うからだ。
次の瞬間にも、私が椅子に座っているのを見とがめた誰かに怒られそうな気がして、一人だけ椅子に座っていい身分だな、なんて言われそうな気がする。
実際はというとそんなことはありえないんだけど。
私を見ている誰かなんていないし、怒られる理由もない。
でも、それでも居心地が悪いのは、記憶の中の私と今の私を重ね合わせているからなんだろう。
辛い記憶はいつだって私のそばにいる。今もそうだし、夜の布団の中では特にそうだ。
「……」
働いているルートを見ていると、嫌な記憶が蘇りそうになったので、目をそらして頭上を見る。
幾重にも重なった木の葉越しに太陽が見えた。
とても明るい。目が潰れそうだ。
「……これが、偽物なのかあ」
思わず、口から漏れる。
それはこれまで私が何度も思ってきたことだった。
この太陽の輝きは、本物と変わらない。
木も足元に生える草もだ。まるで地上の物のように見える。
上げていた顔を下げると、地平線が見えそうなほど広い原っぱの向こうには大きな湖が見えて、その向こうには雲に届くほど大きな山がある。
地面では蟻が列を作り、葉っぱの上を天道虫に似た生き物が這っていた。
空の鳥が何匹か集まって飛んでいるのは、もしかしたら家族なのかもしれない。
これがダンジョンの中だなんて、正直今でも信じられない。
この世界のダンジョンは、空間とか物理法則とかいろいろ無視した、何でもありなものだった。
「……」
ざあ、と風が吹く。
頬を撫でる風が気持ちいい。飛ばされないように頭の上の三角帽を押さえた。
ダンジョンの中は魔物さえいなければとてもいい所だ。
私はこの場所が、草原が結構好きだった。
今回、目的地にここを選んだ理由の一つでもある。
ありきたりかもしれないけれど、ここに来ると悩みが薄れていくような気がする。
見渡す限りに広がっている広い草原は、見ているだけでどこか清々しい気持ちになれた。
最近は頭が痛いことが多かったから、気が楽になってくる。
……彼も、取り合えず今は反抗する気はないようだし。
離れたところで魔石を集めている彼は、黙々と作業を続けている。
今座っている椅子を用意してくれた件もあるし、私に従うつもりはあるようだ。
彼は運が悪かったばかりに、事故で奴隷にされたのだ。
今の境遇に納得していない可能性も高いし、最悪、ダンジョンに潜って人目がなくなったら反抗する可能性も考えていた。
……まあ、腹の内で何を考えているかはわからないけど。
従順に見せかけておいて実は、ということも考えられる。
日本で部下だった彼も、表面上はちゃんと私を上司として扱ってくれていたのだから。……少なくとも最初のうちは。
「……」
「ユース様、魔石を集め終わりました」
そんなことを考えているうちに、ルートが魔石を集め終わり、こちらに向かって歩いてきた。
「……その、ありがとう」
「いいえ、これが仕事ですから」
ルートはいつもの笑顔を浮かべている。
この笑顔は愛想笑いなのだろうか。
ふとそう思ったものの、それを判別する技術は私にはなかった。




