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笑顔の理由


 乾いた音が広間に響く。

 次いで、何かが倒れこむような音。


「……え」


 驚き、思わず声が漏れる。

 なんなんだろうと、部屋を見渡す。


 ――と。


「……も、申し訳ありません」

「謝って済むと思ってんのかっ!?あぁ!?」


 先ほどよりさらに大きな声が鼓膜を叩いた。

 響く怒声に思わず後ずさる。


「ユース様」

「……ルート」

 

 ルートが私をかばうように前に出た。

 目の前の広い背中に、知らず全身に入っていた力が抜ける。


「書類を忘れただあ!?

 何やってんだてめえ!」

「も、申し訳ありません!申し訳ありません!」


 ……しかし、少し安心はしたけれど、怒鳴り声はまだ上がっている。

 何が起こっているんだろうと、ルートの背中の服を掴みながら脇から顔を出した。


「……」


 少し離れたところで、中年くらいの男が、若い女性に怒鳴りつけていた。

 男性は綺麗な服、女性は粗末な服。おそらく奴隷と主人だろう。女性は蹲り、土下座のような恰好をしているようだった。


「てめえは何度――」

「申し訳ありません、申し訳――」


 怒声と謝罪が繰り返される。

 男性の怒りは収まらず、耳が痛くなりそうな大声が部屋を反響していた。


 ……聞いている限り、女性が納税に必要な書類を忘れてしまったらしい。それを男性は責めているようだけど……。


「……」

 

 ……気が付くと、ルートの服を強く掴んでいた。


 ……昔のことを、思い出す。

 会社に入りたての頃、私はミスの多い新人だった。上司に怒られることも多くて、怒鳴りつけられることも少なくなかった。


 ……怒鳴り声を聞くと、辛くなる。

 私に向けられたものじゃないと分かっていても、思い出してしまうからだ。

 

「……」

 

 ……誰か止めないのかと、周囲を見渡す。

 しかし、動こうとしている人はいない。迷惑そうな顔をしている人はいるが、それだけで――。


 ――いや、小さくつぶやく声が聞こえた。こんなところでするなよ……という声。

 女性を心配するのではなく、ただ大声が迷惑だという言葉。


「……」


 ……きっと女性が奴隷だからだろう。奴隷には人権が無くて、何をしても主人の勝手だ。その扱いに他人が口出しをする権利はない。


「……てめえは、このっ!表に出ろ!」

「……ぁぐっ!」


 あっ、と思った時には、男が女性の髪を掴み、強く引っ張っていた。

 女性の口から呻き声が漏れる。


 そしてそのまま、女性は引きずられて部屋から出ていった。

 男性の声がだんだん遠くなっていく。


「……」


 ……少し、時間が経って。

 

 静まり返っていた部屋に段々と声が戻ってきた。すぐに声は大きくなって、最初この部屋に入って来た時と同じくらいになる。

 何事もなかったかのように、部屋の中は動き出した。



 ◆



 それから、何事もなく納税が終わって、部屋から出る。

 受付の人は親切で、指示の通りに書類に記入してお金を渡せばあっさりと終わった。


「帰りましょうか。それともどこかに寄っていきますか?」

「……えっと」


 ルートに手を引かれて部屋から出る。

 手が暖かくて、安心して、そのことは嬉しいのだけど……。


 ……それでも拭いきれない位、もやもやとしたものが胸にあった。


「……今日は、もう帰ろうかな……」

「はい、ではそうしましょう」


 ……あの女の人はどうなったんだろう。そんなことを思う。

 髪を掴まれていたし……酷いことをされてないといいけど。


 この街にはたくさんの奴隷がいて、彼女よりも酷い目に遭っている人は沢山いるだろう。でも目の前であんなことになっているのを見ると、やっぱり気になってくる。


「……」

 

 そうこう考えているうちに建物から出る。

 そして、彼女の姿を探し――見つけた。少し離れたところで、さっきの男が彼女を足蹴にしている。


「……」


 思わず足を止めた。

 手を引かれてルートの足も止まる。


「……ユース様。あまり見ないほうがいいかと」

「……う、うん」


 ……わかっている。それは分かっているんだけど……。

 気にしたところで私に出来ることはない。それこそ彼女を買い取るくらいの覚悟が無いと関わるべきじゃないだろう。


 ……でも。

 どうしても気なってしまう私がいた。


「……ったく。次はねえからな!」

「……はい……はい……ありがとう、ございます」


 男性も落ち着いているようで、もう怒鳴りつけたりはしていない。

 女性の頭を踏みつけてはいるが、それだけだ。……それを、『それだけ』と表現するのもどうかと思うけれど。


「おら、立て。資料を取りに帰るぞ」

「……はい」


 女性が立ち上がる。

 そして現れた顔は――。


「……っ!?」


 なぜだろう。

 その顔を見て、何故か分からないけれど、強い衝撃を受けている私がいた。


「……」


 髪はボサボサで、殴られたのか目が腫れている。

 それは間違いなく可哀想なことで……でも、私が衝撃を受けているのはそこじゃない。


「……ご指導、ありがとうございました」

「ったく。馬鹿に道理を教えるのは疲れるぜ」


 その女性は、笑っていた。

 腫れた目のせいでいびつな形の笑顔。痛々しい……でも口は笑みの形をとっている。


 そして、主人はその笑顔を見て満足そうに笑っていて――。


「――親切なご主人様をもって、私は幸せ者です」


 彼女は、少なくとも表面上は嬉しそうにそう言った。

 それを見て――。


「……っ」


 ――どうしようもなく、先ほどより大きな衝撃を受けている私がいた。

 なんだこれは、と、そう思う。


「……」


 顔から血の気が引くのを感じる。歯の根が合わなくてガチガチと鳴った。

 

 ……だって、理解したからだ。

 ……奴隷が主に向ける笑顔とは、こういうものだと。

 

 

 

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