きっと、夢の話
子供の頃、夢を見たことがあった。
優しい家族の夢。暖かくて幸せな夢だ。
お父さんは僕のことを馬鹿にしなくて、お母さんも怒鳴ったりしない。
いつもは僕を無視するお兄ちゃんも笑顔で挨拶してくれていて。
お父さんが笑っていて、お母さんも、お兄ちゃんも笑っている。
僕も、楽しくて幸せで、笑っていた。
……そんな、ありえない夢の話。
◆
この器具はこの実験に使って、あの素材はあの薬に使います……そして、錬金術とは……。
なんて、そんな感じで、研究室でルートの話を聞くことしばし、気がつくと結構な時間が過ぎていた。
そんなことを、壁に掛けられた時計を見ながら思う。
「……」
見ていた時計から視線を戻すと、泡の音を立てるフラスコを観察しながら、ノートに何かを書きこんでいるルートの背中が見える。
そして、私はというと、壁際のソファに座りながらその姿を眺めていた。
「……」
この部屋に着て、大体数時間くらい過ぎただろうか。
最初は色々ルートに器具やら実験やらについて説明してもらっていたけれど……少し疲れてしまった。
なので、ルートにいつも通りの実験をするように勧めて、私はこうして、その様子を後ろで眺めている。
ルートは最初、そんな失礼なことは……とか言っていたけれど、無理についてきたのは私だし、そもそも今回はルートと一緒にいて、ついでに普段何をしているのか知るためにきたわけで。
「……うん」
ここまで見た感じではルートはとても真剣に研究をしているようだった。
こういう姿を見るのは初めてで少し新鮮に感じる。
それを見ることが出来ただけでも、今回同行した価値があったかもしれない。
……まあ、結構大変ではあったけれど。
まったく知らない分野の話を聞くのはいつだって大変だ。
集中して聞いてないと、別の国の言葉のように聞こえてくるので、頭が疲れて仕方ない。
「……ふわぁ」
思わず、欠伸が漏れた。
こうして後ろから見ているのは嫌いじゃない。
聞こえてくる泡の音とか、小さなペンの音とか。
そういうのを聞いているとどこか落ち着く気がする。
退屈なようで、退屈じゃないというか……。
……どことなく満たされている感じ。
それに、この部屋に充満している匂いが、薬草のものだからだろうか。
なんだか、嗅いだだけで心が穏やかになる気がした。
「……ふわぁ」
カリカリというペンの音が静かな部屋に響く。
……その音がどこか心地良くて……眠い。
「……っ」
ぐらり、と頭が揺れた。
「……」
意識が遠くなっていく感覚。
眠気のままに体を倒し、ソファに横たわる、
そしてそのまま、私の意識は落ちていった。
◆
ふわふわとした感覚がある。
足場が無いような、あるような。はっきりしているような、していないような。
そんな曖昧な感覚。
だから、そんな感覚がしているから、すぐにわかった。
ここは、夢だ、と。
「……あうー」
なんとなく漏れた声も、気が抜けたものだった。
でも気にならない。ここは夢だから何でもいいのだ。
「……」
そんなふわふわとした心地のまま、色んな事を考える。
最近あったこと、嬉しいこと、よくわからないこと――
――そして、気になっていること。
ふと、数時間前の事が浮かんでくる。ルートが否定していた言葉。
いつも優しくて、誰にでも優しいと思っていたルートは、実はそうじゃなく、私だけに優しくしてくれていたらしい。
「……うー?」
そのことは嬉しいんだけど……一つ疑問があった。
――どうして、私はルートが誰にでも優しいと思っていたんだろうか?
そんな、ふわふわとした疑問。
考えてみれば、ルートが他の人に優しくしているところはあんまり見ていない気がしてきた。例の薬草の人や服屋さんには優しくしていた気がするけど、その二人だけでは誰にでも、なんて思わないだろう。
……じゃあ、なぜ?
なんとなく頭をひねり、考える。
そして、しばらく首を傾けていると――少しわかった気がした。
ルートが私に優しくしてくれたからだ。
これまでの私には、大切な人も、仲がいい人もいなくて、いつだって優しくされない側の人間だった。
親に見てもらえなかった私。
二人組を作ったらあぶれた私。
私がいたのはいつだってそんな立場で、それ以外の場所になんて、立ったことが無かった。
だから、そんな私に優しくしてくれるのだから、きっと他の人にも優しいんだろう、そんな思い込みが私にあって――
◆
――薄く、目を開けた。
「……ん」
目には涙の幕が張っていて、よく前が見えない。ついでに頭にははっきりとしない感覚が纏わりついていた。
いつのまにか寝ていたようだ、と気付く。
そして、どれくらい寝ていたんだろう?
今は何時くらいかな、と考え――
――違和感に気づいた。
「……?」
頭の下に違和感がある。
温かい何か、柔らかいような硬いようなよくわからない感触。
それが何か確かめようと、目を手で擦り――
「――おや、目が覚めましたか?」
目の前にルートの顔があった。
すぐ近くだ。多分一メートルも離れていない。
「良く寝ていましたね」
状況を把握できずに困っていると、頭に何かが当たった。
そしてゆったりと動き――暖かい温度が頭に染み込んでくる。
「……?」
……もしかして、膝枕をされてる?
そして頭を撫でられている感じ。
……でも、状況は分かっても、なぜこうなっているのか理解できない
暖かくて、優しい、これまでの人生には無かった感覚。
「……ああ」
だから、思った。
これは夢だ。優しい夢。
いつか見た、優しい家族の夢に似たもの。
目を覚ましたと思ったけど、まだ私は夢の中にいたらしい。
「ユース様?」
ルートの声が耳に響く。
そして頭を撫でていた手が離れ――。
「……やだ、もっとなでて」
その手を引き留める。
せっかくいい気持ちなのだ。もっとして欲しかった。
こんなこと現実ではできないけど、夢なら大丈夫。
恥ずかしい我がままでも、それを聞いている人なんて一人もいないんだから。
「ふふ……わかりました」
言葉と一緒に、頭に手が戻ってくる。
うん、やっぱりあったかい。
「……えへへ」
思わず笑顔になってしまう。
だって、よくわからないけど、とても嬉しかったからだ。
「……まったく、こんなことになるなんて思ってませんでしたね……」
「……?ルート?」
ルートに目を向けると、苦笑しながら私を見ていた。
「奴隷になった時はもう駄目だと思いましたが……
まさかこうなるとは。あの時は本気で絶望していたんですけどね」
奴隷。あのボロボロの人たち。
ルートがああならなくてよかったと思う。
「……本当に。
主がこんなに可愛らしい人だなんて、想像もしてませんでした」
「……」
……ああ、やっぱりこれは夢だ。
そう思う。
だって、こんなに幸せなのだから。
「えへへ……」
そう思うと、瞼が重くなってきた。
心地よくて、抵抗する気も起きない。
「もう一度眠るのですか?
でも、そろそろ寒くなりますね……上着をとってくるので少し待っていてください」
頭の下から温かいものが消える
なくなったのが寂しくて……でも、離れ際に頭を撫でてくれたのが嬉しかった。
「どうぞ」
体に布が掛けられた。
……ルートと同じ匂いがする。
「……ん」
安心して、体から力が抜ける。
どんどん眠りが深くなっていく感覚。
そして、意識が途切れる寸前。
「……本当に無防備な人だ。
……普通の人間だって言ったでしょう。僕はこれでも健全な男なんですがね……」
そんな声が聞こえた気がして――。




