彼女は看板娘さんと呼ばれている
「なんだかいつもと雰囲気が違いますね。
何かありましたか?」
「……」
看板娘さんが髪を梳いてくれている。
最近は毎日のようにしてくれていること。いつもなら安らげること。
でも、今日は心臓がバクバクして全く落ち着かなかった。
本当は、私のことをどう思っているのか。ルートのことをどう思っているのか。
……聞きたい、そう思う。
……でも、怖かった。
もし、もしそうだったなら、そう思うと体が震えそうになってしまう。
聞かなければ違う可能性があるけど、聞いて肯定されてしまったらもう駄目だ。
取り返しのつかないことになってしまう。
いっそ聞かないほうがいい気さえした。
「……」
……でも、それもまた耐えられる気がしない。
この感情を抱えて、これから先、生きていける気がしなかった。
だってこんなに胸が苦しいのだ。
「……その、質問が……」
「質問?なんですか?」
だから、口を開いた。
声が震えそうになるのを必死に抑えて言葉にする。
「……どうして私に良くしてくれるの?」
「え?」
髪を梳いていた手が止まった。
「……」
「……」
しばし無言が続く。
そして、どれくらい時間が経ったか、看板娘さんが口を開いた。
「……そうですよね。
ユースさんの立場からすれば、不思議ですよね」
大して関わりのない宿屋の娘が、いきなり話しかけて来たんですから。
そう、看板娘さんは呟いた。
そして、また沈黙が続く。
静かな部屋。外から聞こえてくる人の声が遠く響いていた。
「……うーん。
……わかりました、話しましょう」
「……っ」
息を呑む。無意識のうちに、手を握り締めた。
体が強張って、息が荒くなりそう。
「でも、その前に一つ確認なんですけど……
……ユースさんは、私の名前知ってますか?」
「……え?」
予想外の言葉だった。
……看板娘さんの、名前?
それは……知らない。だって最初から看板娘さんって呼んでたし……。
……あれ、これってとんでもなく失礼なんじゃ?
「……あわわわわわわ
……ご、ごめんなさいぃぃ……」
不安とか全部吹き飛んで、申し訳ない気持ちが浮かんでくる。
これだけ世話になってるのに、名前すら知らないなんて。
とっさに頭を下げようとする。
と、看板娘さんの手に髪が引かれて首がつんのめった。
「あ、危ないですよ!
……もう、勘違いしないで下さい。知らないことを責めているんじゃないんです。
……というか、この宿のお客さんで私の名前知っている人なんてほとんどいませんし」
「……え?」
……それは、どういう?
「誰にも教えてませんから。
もちろんユースさんにも名乗ってません」
教えてないという言葉が、私の知る看板娘さんのイメージと違って困惑する。
……なぜそんなことを?
「……これは内緒なんですけど……実は、冒険者の宿屋で働く人には、一つ暗黙の決まりがあるんです。
それは、冒険者と仲良くなってはいけないという決まりでして」
そう言うと、看板娘さんが私の背後から目の前に移動する。
そして、髪に手を伸ばし、髪飾りを外した。
「これは、私の過去の過ちの結果です」
それは剣を模したバレッタだった。
でも真ん中に割れた跡があって……多分補修したんだろう。それ以外にもあちこち補修した跡がある。
「これを私にくれたのは私の初恋の人でした。
当時十八歳の……ギルドで頭角を現してきた冒険者さん」
カッコいい人だったんです、と看板娘さんが言う。
身長が高くて、優しくて、すぐに好きになっちゃいました、と。
「だから、つい決まりを破っちゃったんです。
仲良くなろうと、してしまった」
それは、話しかけたり、少しご飯の量をサービスしたり。
そんな他愛もないアピールだったという。
「それでも、だんだん仲良くなれて……私、本当に嬉しくて。
恋人になってあんなことをしたい。いつかは結婚したい……なんて、考えたり。今思うと、恥ずかしいくらいピュアでしたね、私。
……でも、その日はあっさり来ました」
何でもない一日の夕方。
いつものように宿屋のカウンターにいた時。
「彼が死んだ、と聞きました。
探索中に不意を打たれて……パーティーごと全滅したのだと。」
……それは。
「別に彼が弱かったわけじゃないんです。
才能があって、ベテランの人からも将来有望だと言われていました。パーティーメンバーも腕のいい人たちでした。
……ただ、運が悪かった」
……私も一応、冒険者をしているのでそういう話を聞くことがある。
ベテランだったとしても、対策を十分にしていても……ミスが起こってしまうことがある。
それは人間だからだ。
完璧ではない人間では、どうしても、そういうことが起こるものだった。
「その時になってようやく、私はあの決まりの意味を実感しました。
宿屋の店員は冒険者と仲良くなってはならない……それは、冒険者がとても死にやすいからです。その意味を、やっと理解できました」
遅すぎましたけどね……と、彼女は笑う。
寂しそうな、悲しそうな、そんな顔で。
「いや、とは言っても、当然知識としては知っていたんですけどね。
でも、あの時の私にはよくわからない自信があったんです。……彼なら大丈夫だという、根拠のない自信が」
それから、と看板娘さんは言った。
そんなことがあった後、冒険者の死にやすさを計算したのだ、と。
「それまでは深く考えてなかったんですけど……
大体この宿屋でも、年に四、五人くらいは帰ってこないんです。
この宿屋には普段五十人くらいが泊まっていますから……五年もあれば、半分くらいは交代する計算になりますよね」
……とんでもない死亡率だった。
そんな割合で死ぬのなら、生きて引退できる冒険者はどれくらいなんだろう?
「だから、あれ以来。私は宿のお客さんと仲良くするのをやめました。
新しいお客さんに名前を教えず、看板娘と呼んでもらうようになったのもその頃からです」
言われて、思い出す。
初めてこの宿に来た時の事。
あの時看板娘さんは――。
『いらっしゃいませ!お泊りのお客さんですか?
私はこの宿の看板娘です。気軽に看板娘さんって呼んでくださいね!』
――と、そう言った。
「でも、ね。やっぱり悲しいと思うときがあります。
毎日顔を合わせているのに、言葉を交わしているのに、仲良くなってはいけないなんて……寂しいじゃないですか」
……ああ、そうか。
そこまで言われたら、私にも少しわかってくる。
もしかしたら、看板娘さんが私に話しかけてくれるようになったのは――。
「だから、ユースさん。あなたと仲良くなりたいって思ったんです。
あの爆発でも傷一つつかなかった……名高い魔人族のあなたなら、死なないと思ったから。」
――私が、この体が強いからだった。
どんな魔物に不意打ちされても傷一つつかないくらい強い力を持っていたから。
壁に大穴が開き、宿が軋むほどの爆発を受けても、私が平気な顔をしていたからだ。
「……ごめんなさい。こんな理由で。これがあなたと仲良くなりたいと思った理由の全てです。
……でも、こんな私ですが、これからも仲良くしてくれませんか……?」
「……それは、その」
言い淀む。
まったく予想してなかった話で驚いていた。
「……」
……でも、理解はできた。看板娘さんが私に良くしてくれた理由が。
そしてそれは……一般的に、人と仲良くなる理由としては、ほとんどないものだと思う。
看板娘さんがこんな理由で――なんて言っているように、人によっては拒否感を覚えるだろうな、とも。
看板娘さんは申し訳なさそうな顔をして、仲良くしてくれませんか?と質問しているのは、きっとそれが原因だろう。
……でも。
「……うん、こちらこそお願いします」
――頷く。
私は、その辺りの理由には抵抗がない。
それに、嬉しかった。
看板娘さんが、他でもない私と、仲良くなりたいと思ってくれたことが分かったから。
ルートではなく、私自身と。
……そのことは、本当に嬉しく思う。
「ユースさん……っ」
「んんっ?」
すると、突然看板娘さんが抱き着いてきた。
驚いている間に、看板娘さんの胸に顔が埋まる。
そして――。
「ユースさん、私の名前、ミーネって言うんです。
……これからもよろしくお願いしますね?」
――そう、看板娘さんは囁いた。




