威厳は大事だと思います
人の上に立つ――部下を持つ上で、大事なものがあると思う。
それは何かというと、威厳だ。
部下というものは威厳をもって接しないと簡単にこちらを舐めてくるし、一度舐められたら言うことを聞いてくれなくなる。
これやってくれる?と言って仕事を渡したら、めんどくせーっす、とか先輩がやっとけばいいじゃないっすかあ、とか言われたりするのだ。
これは辛い。とても辛い。怒りと情けなさで仕事に行きたくなくなる。
私は経験者だから詳しいのである。
だから、今回私はルートを奴隷にすることが決まった時から、舐められないように、呆れられないようにしていた。
嫌われたくないという理由が一番だが、威厳の維持も目的の一つだったのに。
それなのに、今、私の威厳がどうなっているかというと――――。
◆
「……もうやだぁ」
――残念なことに、すでにズタボロだった。
もともと無かったのでは?とか言われたら言い返せないが、最初から無いのとズタボロなのではまた違う。
ゼロとマイナスには大きな差があるのだ。一文無しと借金持ちの差は大きい。
「……うぅ」
もう駄目な感じだ。
嘘をついたこともバレ、ついでに嘘をついた理由もバレた。
昨日、あの河原で私はすべてを話してしまったのである。
あの探索の目的とか、聖地を巡る趣味があることとか、なぜ嘘をついたのか、とか、私があの小説がどれくらい好きか、とか。そういう隠していたものを全部だ。
もうどうにでもなーれ、という感じだった。やけくそだった。
言わなくていいことも語ってしまった気がする。
「うーーーーー」
……ルートは今、どんな顔をしているんだろう。もしかしたらもう私を主として扱ってくれなくなるかも……なんて不安になってしまう。
私に彼がどんな感情を持っているかわからなくて、怖い。
昨日は話をしている途中も、帰り道でもルートの顔を見ることが出来なかったから。
……恥ずかしくて仕方なかったのだ。
◆
やっぱり、私の精神年齢が肉体に引っ張られてるんじゃないだろうか……なんて考えながら部屋を出る。
しかし、当然ながらそれを確かめる方法はなく、後に残ったのは私がやらかしたという現実だけだった。
……日本にいた時は、もう少しちゃんと嘘をつけていたような気がするんだけどなあ……。
「……はあ」
ため息を吐きながら階段を下りる。
そろそろお昼だ。朝食も食べてないので、何か胃に入れておく必要があった。
カウンターの横を通り過ぎ、食堂へと続く扉を開く。
――と。
「ああ、ユース様。昼食ですか?」
「……ル、ルート……」
食堂の中にルートがいた。
なぜここに……と思うものの、よく考えたら当然だ。同じ宿に泊まっている人が昼食時に食堂にいるのだから。
……でも、昨日あれだけやらかした後だから気まずい……。
一応覚悟はしていたから、混乱するほどじゃないけど、それでもだ。
もう少し時間をずらせばよかったと後悔する。
「ユース様、どうぞ」
「……う、うん。ありがとう」
ルートが向かいの席の椅子を引いてくれる。
座りながらちらりとルートの顔をみると、いつもの穏やかな顔でこちらを見ていた。
……椅子も引いてくれたし、どうやらこれからも主として扱ってくれる気はあるらしい。安心した。
……まあ、内面ではどう考えているかわからないけど。
実は裏では、なんでこんなのに仕えないといけないんだ、とか考えているかもしれない。
「どうぞー、サンドイッチですー」
「……ありがとうございます」
すぐに看板娘さんがサンドイッチを持ってきてくれた。
へこみそうになるのを抑え、なんとか気を取り直してサンドイッチにかぶりつく。
冒険者向けのサンドイッチは大きくて、目いっぱいまで口を開けないと食べられない。
「……」
今日のサンドイッチはシーザーサラダに似た味だった。
この宿で出る料理は日本で食べていた味付けに近くて食べやすい。
聞いた話だと、ここの主人の祖父の代に旅の冒険者に教えてもらったレシピだそうだ。もしかしたら昔私と同じような境遇の人がいたのかもしれない。
「……おや、ユース様」
「……?」
ルートの声に、顔を上げて正面を見る。
何故かルートがこちらに手を伸ばしてきた。
「付いてますよ」
「……あ」
ルートが頬をハンカチで拭った。
見ると、ハンカチにはサンドイッチの具らしきものが付いている。
「……」
少し驚いて、目を見開いてルートを見る。
今のは完全に予想外だった。
「すみません、お嫌でしたか?」
「……い、いや、その……いやじゃない、けど」
申し訳なさそうな顔をするルートに慌てて否定する。
嫌だとか、そういうわけじゃなくて――。
――その、こんなことをされるのは、記憶に残る限りだと初めてだったから。
多分本当に小さい赤ん坊のころとかなら拭いてもらったこともあるんだろうけど、物心がついてからは一度もない。
物心がつく頃には、両親はすでに優秀な兄に夢中で僕――私のことなんて見ていなかった。
口の周りに何かが付いていても、ティッシュ箱を投げられた記憶しかない。
「……ありがとう」
「いえ、勝手なことをして申し訳ありません」
何故か、少し頬が熱い。
きっと恥ずかしいからだ。いい年した大人が口を拭いてもらっているんだから。
一つ言い訳をすると、この体になって口が小さくなったからだ。
この体にはまだ完全に慣れたとは言えない。そのため一口の大きさを誤ることがあった。
「……」
注意しないと。
私は先ほどよりも小さめに口を開けて、残りを食べ始めた。
◆
「はいどうぞ、お茶です」
「……ありがとう、ございます」
食事が終わり、看板娘さんがお茶を入れてくれる。
注いだコップから湯気が立ち上って、いい匂いがした。
「ユース様、明日の探索の件についてなのですが」
「……?な、なに?」
そんな穏やかな雰囲気の中、ルートが口を開いた。
探索について?
「明日はストライド湖にしませんか?」
「ストライド湖?」
聞き覚えのある名前だった。
あの小説にも出てきた地名だ。要するに聖地の一つになる。
「……うん、いいよ」
もしかして私を湖に沈める気だろうか……などと考えながら頷く。拒否する理由はない。
しかし奴隷が主人を沈めるとか、あながち笑えない感じだ。
――と、そこまで口を挟まなかった看板娘さんが口を開いた。
「ストライド湖に行くんですか?
いいですねえ、あそこって確か……」
「あ、それはちょっと待ってください」
看板娘さんが何か言おうとしたのをルートが遮る。
ルートが目配せし、看板娘さんが一瞬驚いた後、笑顔で頷いた。
……なに?なんだろう。
確か……って言いかけてたけど。
説明してくれないかとルートを見る。
「了承、ありがとうございます。ではその予定で準備しますね」
「……なにかあるの?」
「……それは、明日のお楽しみということでお願いします」
しかし、ルートは説明してくれず、いたずらっぽく笑った。
こういう顔ができるのもイケメンの特権だ。
「……まあ、いいけど」
何があるんだろう。
少し不安になりながら、私はお茶の最後の一滴を飲み干した。




