09●“閉じられたほころび”の謎……よみがえる家族の愛
09●“閉じられたほころび”の謎……よみがえる家族の愛
西暦2007年、推定90歳のトキさんにとって、孫の耕一とリサの一家は、老化によって混乱する記憶のカオスの中で、静かに存在を無くしつつあります。
忘却です。
そしてリサも、トキを介護しながら、もう、一人でそっとしておいてあげよう……という心境に落ち着いているのではないでしょうか。
しかしそれでも、嵐が収まったら、暗夜であるにもかかわらず、リサはひとり救援物資を車に積み込んで、“ひまわりの家”の人々の避難先を目指して出発します。(FC3巻95-101)
“ひまわりの家”のおばあちゃんたちには介護士がついているはずなので、そこまで心配するものかどうか、多少疑問に思えますが、そのおばあちゃんたちの一人がトキさんで、愛する夫・耕一のおばあちゃんであるとしたら、なるほどと思えます。
やはり心配であり、そこへ単刀直入なリサの性格もあいまって、“ここは、ゆかねば”となったのだろうと思われます。
そして、“ひまわりの家”で……
物語の前半、日々寂しく死を待つ思いだったトキさんの心を大きく揺るがしたのが、ポニョでした。
まあ、口から水鉄砲の攻撃には、まいったことでしょうが……
“人面魚”を見せられたとたん、ある種の既視感に襲われたことでしょう。(FC1巻125)
90年前の零歳児の時の記憶はすっかり風化して、歪められていましたが、それでも、忘れ去っていた過去を少しずつ取り戻すきっかけになったのではないでしょうか。
これがスイッチとなって……
そして、あの感動的な、東屋の前の再会シーンにつながります。
“ひまわりの家”の人々は、リサも含めて海中のドームに囲われた同施設へ降りて行きましたが、トキさんは頑固にも、水上の東屋に残っています。(FC4巻113)
宗介君を心配してのことです。
暴風と高潮に襲われる中、沿岸にあった“ひまわりの家”から“山の上ホテル”、もしくは“山上公園(映画パンフでは“前山公園”と表記)”へと避難したトキさんたちでしたが、そこへ不審人物フジモト氏が現れて、どうやってかわかりませんが、その魔法力で説得を試み、いまや海底基地と化した“ひまわりの家”へ全員を連れて行きました。“あとから宗介君も行きます”……と。
しかしトキさんはおそらく、“宗介の元気な顔を見るまでは、あたしゃここを動かないよ”と頑張っていたのでしょう。
老化のため、たぶん宗介君が自分のひ孫であることも時々忘れかけていたトキさんでしたか、災害の中で宗介君がいなくなり、独力でこちらへ向かっていると聞いて、宗介君に関する記憶がよみがえり、心配だ心配だ……と、いてもたってもいられない心境になったのでしょう。
そんなトキさんにはリサがついていてあげたいところですが、多分フジモトから、人間になりたいポニョの願いや魔法力のことなどを聞かされて、海底に降りてグランマンマーレと打ち合わせをしなくてはならず、“しばらくここで待っていて”と、トキさんを東屋に残したことと思われます。
そこへ現れたのが、宗介君と、バケツに入った人面魚モードのポニョ。
トキさん、「宗介、こっちへおいで!」と叫びます。(FC4巻115)
“宗介”と呼び捨てです。
血縁者だからこその、呼び方ですね。
“ひまわりの家”の他のおばあちゃんたちは、宗介君のことを“宗ちゃん”“宗介ちゃん”と呼んでいますが、呼び捨てにはしていません。
宗介君はあくまで“よその子”だからです。
そしてトキさんだけは、ここで“宗介!”と呼びます。
最初、この場面を見たときには違和感を覚えましたが、なるほど、ひいおばあちゃんとひ孫の関係ならば、十分に納得がいきます。
柵の上を走り寄る宗介君を、両腕を広げて抱きとめるトキさん。(FC4巻121)
このとき彼女は、なんと自力で歩いています。
奇蹟です。
過去の宗介君の記憶がよみがえり、ひ孫への深い愛情が、そうさせたのだと思います。
そしてこのとき同時に……
人面魚のポニョが、トキさんの顔面に、ぴたーっと張り付きます。
必死の思いでひ孫を守ったトキさんの脳裏に、零歳児だったあの時の記憶……別れ際にぐずった時に、駆け寄ってきてぐにぐにと頬ずりしてくれた半魚人の少女(FC4巻57-59)の記憶が……もちろん零歳児でしたから、おぼろげな潜在記憶でしょうが……そして両親から聞かされていた“おさかなみたいな女の子に助けてもらった”という話の正確な記憶が再び、強烈にフラッシュバックしたことと思われます。
きっと、これで思い出したのです。
人生の苦しみの地層の下に押し込めていた本当の記憶がよみがえり、トキさんは、あの時のポニョの好意を、90歳(推定)の今になって、改めて知ったのです、きっと。
だから……
海底の宮殿となった“ひまわりの家”の庭で、グランマンマーレを前にして抱き合う宗介とリサ、そして ポニョとの友情を目の当たりにして、二人を食い入るようにじっと見つめて、トキさんは悟ったのでしょう。(FC4巻139-146)
あたしは宗介を愛している……と。
もちろんリサもポニョも、好きになっているのだと。
このときグランマンマーレは宗介君に、ポニョが人間になるための条件を確認します。(FC4巻135-138)
“彼女の正体が魚でも半魚人でもいいですか、それでも愛せますか?”
ということですね。
この言葉はそのまま、家族の愛に通じます。
“家族なんだから、何があっても愛せますか?”
ということですね。
この言葉はリサの心にも沁みたでしょうし……
同時に、トキさんの心にも沁み渡ったはずです。
だから最後に、宗介君をいとおしく抱きしめたのでしょう。(FC4巻147)
フジモト氏の“命の水”が混じったことで生命力にあふれた海の中に立って、トキさんは他のおばあちゃんたちと同じように、自分の体細胞が一つ残らず活性化し、若々しい力が通っていくことを自覚し、そこで感じていたはずです。
幸せは、ここにあると。
さきほど、東屋の前では、自分の力だけで立ち上がり、歩いた。
そして今は、魔法の海の力を受けて、楽々と歩いている。
それに加えて……
魔法の海は、おそらく脳細胞も活性化して、老化によって衰え、混乱した記憶を生き生きと蘇らせてくれたことでしょう。
死をただ待つだけだったトキさんの心を救い、いつのまにか風化して消え失せそうになっていた家族の愛情を取り戻させたのは……
宗介君とポニョ。
大正時代の1917年から、2007年までの90年間を結ぶ、時空を超えた家族のドラマが、ここに結実した……と、作品から読み取れるのです。
「世界のほころびは閉じられました」とグランマンマーレは宣言しました。(FC4巻146)、
このとき、ポニョをめぐるひとつのささやかな家族のほころびも、幸せの中に閉じられたのです。
*
以上が、『崖の中のポニョ』の物語の水面下に潜航していたと思われる、もう一つのシークレット・ストーリーです。
これはあくまで、作品の一鑑賞者である筆者の、個人的な感想にすぎません。
これが真実であると主張するつもりは、一切ありません。
このような読み取り方もできる、という単なる一例としてご理解賜れば幸いです。