08●“船の折り紙”の謎……隠れた血縁者の物語、その記憶の変容
08●“船の折り紙”の謎……隠れた血縁者の物語、その記憶の変容
“トキさんは、宗介君の父親である耕一の祖母……実のおばあちゃん……だった”
これは、物語中に一切説明がないので、筆者の勝手な妄想……と解釈していただいてもよろしいでしょう。
ただ、ほぼ矛盾なく幾つかの謎を説明できる仮説のひとつとして、ご理解下さればと存じます。
とすれば、トキさんは宗介君からみて、父親のおばあちゃん……すなわち曾祖母であり“ひいおばあちゃん”となります。
西暦2007年現在、90歳(推定)のトキさんからみて、宗介君は実の“ひ孫”です。
この関係は成り立つのでしょうか?
まず、“大正時代の夫婦”の母親が「だれかと思ったら、宗ちゃんね」(FC4巻43)と、親しく宗介君に呼びかけたことです。
ということは、宗介君と無関係な人物ではありません。
とはいえ、明らかに90年前の人であり、おそらく2007年現在は幽霊ということになるでしょう。
宗介君と無関係ではない幽霊……となると……
一方的な推論ですが、ポニョが2007年のデボン紀の海に召喚した“大正時代の夫婦”は、1917年(推定)のリアルな夫婦そのままでなく、“肉体は1917年だけど、その中の魂の部分は2007年の幽霊”だったのではないでしょうか。
それならば、亡くなって霊体となってからも、お盆のたびに子孫たちの生活を見守ってきたのだから、リサや宗介君のことも知っていると解釈できます。
一方、宗介君は、“大正時代の夫婦”からみて、子供の子供の子供の、そのまた子供に当たります。
子孫の家庭は数多く、宗介君のことはあまたある親戚連中の一人となりますので、「宗ちゃんね、リサさんとこの」(FC4巻43)と、“〇〇さんちの〇〇さん”的な呼び方になってしまいますが、これも納得できます。
そのときポニョが「そうちゃんじゃないよ、そうすけだよ」と言い換えたのは、“大正時代の夫婦”が宗介君からみて“高祖父母”にあたる血縁者なので、“ご先祖様だから、呼び捨てでいいよ”と言いたかったのか、それとも、“あたしの好きな宗介を、なれなれしく子供扱いするな”という意味なのか……どちらかなのでしょうか。
ともあれ“大正時代の夫婦”の二人が宗介君のことを知っていたのは、“幽霊だから”と考えるしかなさそうです。
そしてこのとき零歳児だったトキさんは、間接的ながら、ポニョのおかげで母乳をもらい、つつがなく生き延びることができました。
たぶん、そのことを後日、父母から聞かされていたのでしょう。
“自分のことを、おさかなだった、という女の子からもらったスープで、あなたはお乳がもらえたのよ”……とか。
ポニョ自身がその時「おさかなだった」と自己紹介しています。(FC4巻43)
そして、その直後に零歳児トキは、半魚人モードのポニョから、ほっぺをグニュグニュされて、顔面を直接、頬ずりされています。(FC4巻57:フィルムコミックでは明確でありませんが、DVDの動画では、確かに直接、顔を接触しています)
おぼろげな記憶と、父母からの話を聞かされているうちに……
“津波のとき、魚の顔の少女に助けてもらった”という場面が、いつのまにか記憶の中で改変され、“人面魚に出会うと津波が来る”というネガティブなイメージに固着されたものと思われます。
あくまで憶測ですが、トキさんのその後の人生は、暗澹たる不幸と苦難の連続だったかと思われます。
零歳児だった六年後の1923年、関東大震災。
二十代には、日中戦争と太平洋戦争、東京大空襲。
敗戦の年、1945年には28歳になっていました。
おそらく結婚と出産がその時期です。
相当な苦労があったものと思われます。
他人に騙されたり、いじめられ、わけなく蔑まれたこともあったでしょう。
根は優しいのですが、辛酸をなめるたびに、人前では頑なで意固地な性格に変貌していったとしても無理はありません。
物事を斜に構えて、ネガティブにとらえる癖が、苦労の日々の中で身に沁み着いたのかと思います。
だから、宗介君のバケツのポニョを見たときに、「人面魚が浜にあがると津波が来るんだ」(FC1巻125)と、けなしまくってしまい、ポニョから報復の放水を食らったことで、パニック混じりの反応をしたのではないかと思います。
まあ、自業自得ではありますが……
トキさんが戦前から戦後、激動の昭和を生き抜いてゆく間に……
トキさんの子供たちが子供を産み、その中に孫の耕一を授かりました。
宗介君の父です。
西暦2007年時点では、耕一は30歳とされます。
90歳(推定)のトキさんとの間には60年の開きがあり、孫として年齢的に問題はありません。
ただしその後トキさんは、何らかの原因で、耕一とその妻リサの家庭とは、疎遠になっていったものと思われます。
家庭内の問題なので、憶測するしかありませんが……
トキさんは、水が嫌いなようです。
零歳児のときの、津波と人面魚が関連する記憶が原因かもしれませんし、それ以外の理由があるのかもしれません。
だから、耕一が船乗りを志すことに反対したかもしれません。
そんな危ない仕事、絶対にやめなさい、と……
そしてもうひとつ、おそらく大きな問題として、耕一とリサの結婚があったでしょう。
これにもトキさんは、反対したのかもしれません。
2007年時点で宗介君は5歳であり、リサは25歳とされています。
宗介君が生まれたとき、耕一は25歳、リサは20歳。
“できちゃった婚”で、リサが成人した途端に、親に黙って二人で電撃入籍したのかもしれません。
性格的にサバサバして、何事も“やっちゃえ”的にアグレッシブなリサ。
あのクルマの危うげな転がし方からして、かつてヤンキー少女だった……かもしれませんね。
戦前的な“お育ちの良いお嬢様”でないことは確かです。
ましてや本当に“元ヤン”だったとしたら……
トキさんは、耕一とリサの結婚に疑義を唱え、猛然と反対した可能性があります。
リサとトキ、二人の女性はおそらく性格的にも、そりが合わないでしょう。
耕一とリサは親族の反対を押し切って結婚し、家庭を持ったのではないでしょうか。
耕一と結婚した20歳のリサからみて、義理のおばあちゃんになるトキは、このとき推定85歳。年齢差はあまりにも大きく、トキの価値観は硬直し、認知症も進みつつあったと思われます。
“ひまわりの家”のおばあちゃんたちの中でも、一人だけ電動車椅子ですから、体力的にもかなりの衰えがあるでしょう。
思い通りに動かない身体能力にいらだち、より短気になっていったかと思われます。
両親は既に亡くし、おそらく夫にも先立たれ、孤独にさいなまれる中、自分の息子か娘の家で暮らし、昼間は“ひまわりの家”に通うようになったのでしょう。
不自由な身体ゆえ、介護士の女性たちに些細なことで当たるようになっていったことと察せられます。そのような場面が一瞬垣間見えます。(FC2巻114)
そうして、日々老化が進み、自分の過去の人生の記憶も混乱してゆき、船乗りとなった耕一とは長年、顔を合わせることがないまま……
ほとんど、耕一の存在すら、忘れかかっていることと思われます。
しかも皮肉なことに、はからずも“ひまわりの家”で、義理の孫となるリサに介護される羽目になってしまいました。
しかし、元々リサとの関係は希薄で、他人同士です。結婚前に会ったことも無いでしょう。
耕一に妻がいることは知っていても、それが誰であるか、多分、わからなくなっています。
思えば、寂しい関係です。
その代わり、憎しみというほど否定的な感情が無いのは救いです。
リサとは、“ひまわりの家”の利用者と介護士という関係で、それ以上の付き合いは無いと思われます。
トキさんはリサにとって、義理のおばあちゃん。
しかし“おばあちゃん”と呼ぶことはありません。
“ひまわりの家”には何人ものおばあちゃんがいますから、紛らわしくて、その呼び名は使えないのです。
しかし宗介君はトキさんにとって、可愛い可愛い、実のひ孫であるはずです。
そのことはたぶん、まだトキさんの記憶の中にはあるのでしようが、それすらも、最近は時々、忘れがちになっているのではないでしょうか。
隣の幼稚園からやって来る、可愛い男の子だ……という程度に。
おそらくそれほどに、今の90歳(推定)のトキさんは老化にむしばまれ、寂しい死の訪れをそこはかとなく予感して過ごしていると思われます。
だから、嵐の夜を迎える夕刻、宗介君はトキさんにだけ特別に、“船の折り紙”をプレゼントしたのだと思います。
父・耕一のことを、これで少しでも思い出してほしい……と。
しかし、トキさんは「わかった、バッタだ」と断定します。(FC2巻125)
何故、バッタなのでしょう?
トノサマバッタなら、頭部がずんぐりしていて、船の形からは連想できません。
舟の形に似たバッタといえば、ショウリョウバッタ(ショウジョウバッタ)があります。川船の舳先のように頭部が尖っていて、メスは体長8センチほどもあるので、船の形の折り紙から連想しても不思議はありません。
折り紙の、船体上部構造を模したらしい白い紙の部分は、ショウリョウバッタの羽根に見えたのかもしれませんね。
このショウリョウバッタは、八月の旧盆の時期に現れるとのことで、死者の魂を祀って送る“精霊流し”の“精霊船”に形が似ているから、この名前がついたと言われます。
老いにむしばまれ、希望をなくしているトキさんの心情が、宗介君からもらった“耕一の船”から“精霊船”に似たバッタを連想させたのかもしれません。
否応なくトキさんに近づく死の影を、ふと感じさせるシーンです。