2. 黒地を白には染められない(1)
「アリスです、今日はよろしくお願いします」
夜会当日、伯父の執務室手前の廊下にて。
彼が私に紹介したのは、うら若き少女と彼女の父親だった。
――どうりで私に頼んできたわけだ。
「いやー。アルタイル語が話せる人がいて助かったよ。
しばらくの間、娘をよろしく頼む」
「えぇ、もちろんです」
温和そうな彼女の父――リュシー伯爵と軽く挨拶を交わす。
彼曰く、デネブ語が十分に話せない娘を一人にするのは心配だから、
両国の言葉が話せる付添人をさがしていたとのことだ。
「男兄弟の末娘でね。デネブの夜会についていきたいというから――」
慈愛がこもった眼差しで語る姿は、いかに彼が子煩悩なのかがうかがえる。
娘もあきれつつも嫌がらない様子から、きっと良好な親子間気なのだろう。
「私も同じ一人娘なのに、どうして父上は――」
彼も彼女も、私には関係がない人たちなのに。
仲の良い家族の雰囲気を見て、心の中で薄暗い感情がちらつく。
しまったと思い、明るい表情を浮かべさも会話に好感を抱いているように取り繕った。
そういえば、ふと思い出したように伯父が話し始める。
「アリス嬢は、オレンジの木を見てみたいそうだ。だが、ちょうど温室のドアの調子が悪くて
直してもらっているところなんだ。八時半頃には修理もいったん終わっているだろうから、
彼女を裏口から連れて行ってほしい。鍵は持っているだろう?」
「え、そうなのですか? わかりました」
思わず、伯父の言葉に不可解そうな表情で答えてしまった。
いつの間にか温室のドアが壊れてしまっていたとは。
――私が昼間に通った時は、ちゃんと開いたのだけれど……。
「それではアーネスト子爵、そろそろ……。アリス、くれぐれも無礼の内容にな」
「えぇ。オフェーリア、彼女のことを頼んだよ」
そういうと、彼らは執務室に入って行ってしまった。
他の親族たちも手伝いに来ているとはいえ、夜会の主催が引き下がってしまってよいのだろうか。
いつもの社交的な伯父らしからぬ様子を見て、つい気になってしまった。
夜会という開かれた場所の個室でしか話せない事……。
しかも相手は私の故郷アルタイル国の伯爵だ。
何か貿易の重大な仕事でもあるのだろうか。
「とりあえず、大広間のほうから案内しますね」
もやもやした考えを頭の中から振り払う。
母語とはいえ久しぶりに話すのだ、頭を存分に動かして言葉を引き出さないと。
私はうまく、彼女をエスコートすることができるだろうか。