森とドラゴン
俺には、昔から信じている言葉が一つある。
五分先を予想して行動しろ。という言葉だ。
それは、いろいろな人間から何度も言われた言葉であり、同時に俺自身がいろいろな人間に言ってきた言葉だ。
真面目な話、その言葉を念頭に置いて考えれば大体の事はうまく行く。
これをこうしたらどうなるか、そう考える事で無意識に行動に慎重さが加わるからだ。
人間、慎重さを忘れなければ大体上手くいくのだ。
そう、大体は…。
「……でも、これは予想できんよなぁ」
涼しい風の吹く森の中、俺はスーツを着たまま小さく呟いていた。
俺の周りでは、そんな俺をからかう様に木々が風に揺れてさざめきを奏でている。
だが、ここで平常心を見失う事が最も危険な事だ。
慌てたところで、何か解決するとは思えない雰囲気を察する事は容易いだろう。
ただ、もし仮にここが日本なら、きっとどこかに道があるはずだ。
それに悩んだって何も解決しない事は事実、なら周りに何か無いか探そう。
そう考えた俺は、森の中を歩きはじめる。
海外、なんて言う予想も生まれたが、そんな予想が産まれたから何が出来ると言う訳では無く、俺は黙って歩を進めた。
森の中の特別変化のない景色をズンズンと進む。
舗装どころか道すらあいまいな状態で、木の根を越えたり泥を飛び越えたりしながらの為、既にスーツはドロドロだ。
「……ん? なんだ?」
そして、しばらく進んだ所で俺の目に何かが映る。
ほんの一瞬だったが、目立った何かが木の間に映った。
目を凝らしてそれを見ると、どうやら離れた位置に赤い様な何かがある事が分かった。
大きさは、はっきりとは分からないが木々の向こうに赤い壁でもあるかの様になっている事から、かなり大きい事は分かる。
「……確認に行くしかないか」
誰に言う訳でもなく呟いた俺は、その赤い物の方に足を進める。
徐々に、木々の間から見える赤い物が大きくなっていき、それが小さく動いている事に気が付いた。
「なんだ……生き物か……?」
まるで、呼吸する様に動くその物体に俺は姿勢を低くする。
そっと忍び寄る様に歩き、さらに近付く。
そして、ほんの茂み一つ隔てたところまで来て、俺はその物体の全貌を見た。
「これは……」
最初に抱いた印象は、真っ赤で巨大な蛇。
鱗に覆われる様な質感の赤い肌、てらてらとしている質感、そして、何よりその長い尾がその印象に至った理由だった。
だが、それだけでは説明できないモノがその生物にはあった。
赤い肌に沿う様にして折りたたまれている蛇には絶対存在しない部分。
その部分が羽であると気が付くのに、それほど時間は掛からなかった。
そして、同時に俺が今居るのがその生物の背中側だという事にも気が付く。
「ドラ……ゴン……?」
その外見から、無意識に口から出た名前は架空の生き物の名前だった。
だが、俺の前に居るその生物を他になんと呼べばいいか俺は知らない。
「と、とにかく……ここはやばいな……」
そう考えた俺は、来た道を引き返そうと振り返る。
そして、一歩足を踏み出した時、足下から何かが折れる音が響いた。
「やば……」
その音が、木の枝を踏みつけた時の音だと気が付いた時には、時すでに遅し。
背後から、聞こえる何か巨大な物が起き上がる様な音と低い唸り声が俺に向けられたモノだと察するまでには一秒も必要としなかった。
ゆっくりと首だけで振り返る。
そして、飛び込んでくる景色に俺は思わず小さく笑った。
そこに居たのは巨大な二つの足で立ち上がり、高く伸ばした首の先にある双眼で確実に俺を見下ろしている、正しく俺の知るドラゴンであった。
低い唸り声を出しながら、木々の隙間に見えるドラゴンの頭がゆっくりとこちらに迫ってきている場景に、俺はただ硬直するしかなかった。
そして、ドラゴンが小さく息を吸い込む様な動作をした途端、ドラゴンの口の中で何かが光った。
そして、ドラゴンが口を開いたと思った一瞬先に、俺の視界に広がっていたのは此方に向かって落ちてくる巨大な火の玉の姿だった。
「……ははっ」
もはや、俺の口からは乾いた笑しか出なかった。
まさか、こんな短い間に二つも致死な体験をするなんて誰も思わないだろう。
一瞬して、鼓膜を震わす様な轟音が響き渡る。
それが、俺の目の前で起こった爆発の起こした物なのは確認するまでも無い事実だった。
俺に火の玉を撃ちこんで満足したのか、翼をはばたき始めるドラゴン。
そして、感じる凄まじい風と羽音からドラゴンが飛んでいくのを目を閉じたまま錯覚する。
その羽音が小さくなるのを聞きながら、俺はまだある自分の意識を頼りに俺の体がどうなっているのかを目を閉じたまま確認した。
あの爆発に巻き込まれたのだ、ただで済むなんてことは無いだろう。
むしろ、こうやって生きているのが奇跡みたいなものだしな…。
ゆっくりと、右腕が動くことを確認する。
同時に、感覚はある事も確認。
そして、左腕、右足、左足、と順々に動かして確認していく。
あれ?と違和感を覚えた俺は、静かに目を開ける。
上半身を起こしながら、自分の全身を見ると本当に無傷の状態で俺はその場に倒れていた。
ドラゴン自体が、夢だったのか?という疑問が浮かんだが、俺の周囲の地面や木々が抉れるようになぎ倒されている様子を見ると、どうやらドラゴンは幻ではなく、事実のようだ。
だが、何故か俺は無事である。
未だに、周囲にちらほらと炎が燃えている程の熱量を受けたはずなのに、全くなにも感じない。
一体、何が起こったのか…なんて考えている俺の中から出た結論は一つだった。
「……日頃の行いかな」
あまり自信はないが、それ以外に考えは浮かばなかった。
普段は運も良くはなく運動神経は普通な俺が激運や火事場の馬鹿力に守られているとは考えられなかったのだ。
だが、そうと決まれば先を急ごう。神様が見ていてくれているうちにこの森も抜けてしまいたい。
「動くな」
「え」
そう納得してその場で振り返った俺の喉元に何か冷たいモノが触れる。
それが、目の前で剣を構えた執事服を着た長髪の男(?)の剣先だと一瞬で理解した俺は動きを止める。
「お嬢様がお呼びだ。侵入者」
「……侵入者じゃなくて、遭難者です」
どうやら、俺は本日三度目の致死な体験に巻き込まれたらしい。