四十五、隠れ里暮らしときんぴらごぼう・前編
皆様初めまして、ヌルです。
目覚めたときには川辺にいて、自分が誰なのか何者なのか、どこから来たのか全く覚えていない記憶喪失の人間です。
『……果たしてボくは何者だったんだろ?』
川で皆さんの服を洗濯していながら考えていました。
ふと川を見ると、自分の顔つきが見える。
左目は白濁していて、髪にはまだらに白髪を生やしていた。
顔つきだって旦那の皆さんとは違うし、髪の毛だって主としては黒い。
どうもゼロ様曰く、『元々真っ黒な髪の毛だったけど、段々と白髪が増えた』ということらしいです。
旦那に言わせると『精神的負荷と肉体的損傷から、なんかの影響が出たんだろ』とのことみたいです。本当かな?
ちなみに左目だけど、白濁してるのに失明はしてない。ちゃんと見えてるのが不思議だ。
『とと、急がないと』
ボくは洗濯を終わらせて、急いで帰路につきました。
森の中を疾駆し、集落へ戻ります。
森の中を切り開いて作られた、十家族ほどの村です。藁葺き屋根に木造の家。どれも大きな家なのです。畑や牧場、鍛冶場まであり、この村の中だけで生活が完結しています。
しかし、それぞれの家には各々の役割があるらしく、内装は結構違います。
鍛冶場、畑の種籾管理、牧場の資料置き場、物資の管理等などと。
ボくはその中で、武器庫の管理をする家に置かせてもらっているのです。
山から下りて、家に帰ったボくは集落の中を歩きます。
『ようヌル。元気にしてるか』
『やぁ。リン様、おはようございます』
その家の中で、鍛冶の仕事をしている店の前を通りがかったら声を掛けられました。
いかつい風体をした男性で、鍛冶仕事のための革を使った仕事着を身につけている人。
ボくはその人に向かって一礼しました。
『全く、ノーリさんところはいい坊主を拾ったもんだ。家事も料理を完璧、俺らの言葉も話せるときた。実に使える奴隷だ』
『それはどうも』
『それに比べてうちはいけねぇ』
リン様は後ろの店の中を見やると、忌々しげに唾を吐きました。
『拾ってきたものはいいがどうにも言葉を覚える気がねぇからな。何を言っても理解しやがらないから、使えもしねぇ。家事も料理も、うまくできねぇ奴だよ』
『ボくが今度、言葉と家事を教えましょうか?』
『そうしてくれると助かるが……ノーリさんがなんというかねぇ』
ボくの言葉にリン様は苦笑いを浮かべました。
『うちとしてもヌルが欲しいくらいだ。全く、ゼロとレイは運がいい!』
『ボくとしても、拾ってもらえて命があっただけ感謝しています。ご飯も食べられますし。
と……そろそろ行きますね』
『おうそうだ! ちょっと待ってろヌル』
そう言うとリン様は店の中に引っ込むと、少ししてから出てきました。
丁寧に布に包まれた短い棒状の道具を数本、ボくに手渡したのです。
『これ、スィフィルさんに頼まれてた道具な。調整も削りも研ぎも終わってるって伝えてくれ』
『わかりました、伝えておきます。では、失礼します』
ボくは頷いて、リン様と別れました。
さて、家に帰ったら家事と昼ご飯を作らないとな。急ごうか。
この集落の坂を上り、段々畑で農作している土地のいくつかの家の一つが、ボくが現在お世話になっている家です。
ボくはその家の横開きの扉を引いて、家の中に入りました。
『ただいま戻りました』
が、今は誰もいません。全員が仕事で外に出ているのです。
今の時期だと、どうやら畑作と狩猟と訓練とやらが主な仕事らしいのです。
ボくは靴を脱いで家に上がり、囲炉裏の横に洗濯籠を置きました。
そして置いてあるタンスの上に、リン様から渡された道具とやらを慎重に置いて料理を作ろうと竈の方へ向かいます。
実は、ボくはこの家の人たちが主にどんな『仕事』をしているのか知りません。
訓練して、狩猟して、畑作して、はわかります。
ですが、何のために訓練してるのか知りません。何の『仕事』の合間に狩猟や畑作をしているのか知りません。
というのも、一度聞いてみたことがあるんですよ。なにしてるんですかって。そしたらスィフィル様がボくの喉を指二本できゅっと挟んで。
『知らなくて良いことも、あるのよー』
と、目が笑ってない笑顔で言ってきたので、それ以来聞いてません。
まあ、訓練と狩猟と畑作なら昼と晩に帰ってくるし、仕事になったら数日は帰ってこない。
そういう認識で、毎日家事と料理をこなしているわけですね。
『さて、もうすぐ帰ってくるだろうから何か作ろうか』
ボくは置いてある食品と調味料を確認して、悩みます。
『肉は大前提として必要。塩をしっかり効かせた焼き肉を食べないと、旦那様の機嫌は悪い。
あとは……副菜として何かを作ろう』
と、呟いていたところで何を作るかを決めました。
『よし、きんぴらごぼうでも作ろうか』
決めたのはきんぴらごぼうです。焼き肉は狩猟で採取されて処理されたものに塩コショウで下ごしらえしたものを使うとして、こっちはこっちで料理を開始しましょ。
必要なものはごぼう、ニンジン、ごま油、醤油、料理酒、唐辛子となります。
この集落、意外と外との交流も結構あるのか、食材の種類が多いんだよなぁ。いろいろ作るのに助かる。
では早速調理開始。
まずはごぼうをしっかり洗います、皮も削ぎ落としてしまいましょう。なお、この工程ではごぼうは水につけておくと変色しないぞ。
出来たらごぼうを細切りにする。そして水気も切っておきましょう。
ニンジンは皮を剥いてこれも切っておく。
そして火を入れた竈の鍋にごま油を入れてごぼうを焼く。軽く混ぜながら焼いたら今度はニンジンを入れてもう一回さっと炒めましょう。
ここで鍋を火の気から離し、醤油、料理酒、唐辛子を混ぜて作っておいた調味料を入れて、もう一度火にかけて炒めます。今度は調味料の水気が無くなるまでです。
最後にもう一度ごま油をふって、皿に盛り付けて完成。
『味は……よし、これでOKだ』
さて、外を確認すると太陽が上まで昇っていますね。そろそろ帰ってくるでしょう。
ボくは囲炉裏の周りに焼いた肉ときんぴらごぼうを盛り付けた皿、それと瓶から用意した飲み水を入れた杯を用意して、待っておく。
ちなみにボくの分はないよ。まだ仕事はあるし、家人と一緒に料理を食べる立場じゃないからね。
『ただいまー』
『おかえりなさい、ゼロ様、レイ様』
引き戸から入ってきたのは、まずはゼロ様とレイ様でした。
二人は今日は訓練で、汗まみれになっています。ボくは濡らしておいた布を二つ用意し、二人に渡しました。
『どうぞ。これで顔と腕を拭いてください』
『おう、いつも助かる』
『気が利くね』
二人とも嬉しそうに受け取ると、顔やら腕を拭き始めました。
そして靴を脱ぎ、囲炉裏に上がって寛ぎ始めます。
『うちの奴隷が仕事が出来て助かる』
『全くだ兄者。他のとこの奴隷は逃亡しようとしたり仕事ができなかったり、そもそも言葉が通じなくて苦労するからな』
『お前の意見を聞いて大正解だよ』
『戻ったわよ』
二人が機嫌良さそうに話しているところに、今度はスィフィル様……奥方が戻ってきました。
おおぅ……手に血が付いている。そうだ、奥方は狩猟の獲物の処理に出てたんだったな。
ボくは瓶の水を汲んだ桶と乾いた布を用意しました。
『お疲れ様です奥方。こちらの水で手を洗ってください』
『そうするわ』
奥方は手と顔を洗って布で拭き、囲炉裏の側に座りました。
『あら? お父さんはどうしたの?』
『もうすぐ帰るだろ、お袋殿。今日は畑作で、そんなに時間が掛からないはずだ』
『今年の実りも順調らしいから。天候に恵まれてるって』
『なら今年は行商人からやたら買わなくて良いわね。助かるわ』
三人が楽しそうに話しているところを、ボくは離れたところから見ていました。
まあ、輪に入らないからね、ボくは。家人と一緒に輪に入る奴隷ってのもなかなかないでしょ。
『帰ったぞ!』
と、少し話をしているとズカズカと旦那様が帰ってきました。
泥汚れが酷いな。ボくは桶と布を二つ用意し、一つは濡らしておきます。
『おかえりなさい旦那。こちらで顔と手を拭いてください。そこに腰掛けてもらえれば、足を洗いますので』
『おう』
そういうと旦那は縁側に座り、濡れた布で顔を拭きました。
その間にボくは旦那の靴を脱がし、泥で汚れた足を桶の水につけて洗います。
触ってみるとわかるけど、凄い筋肉だ。がっしりしてる。四六時中歩いて走って、他にも何か足を酷使し続けて鍛え抜いた足だ。というか、旦那は全身が筋肉でガチガチなんだよな。
洗い終わったボくが旦那の足を乾いた布で拭き終わると、旦那は囲炉裏の側に座ります。
『全員揃ったな。では、食前の祈りを捧げよう』
旦那がそう言うと、みんな手を組んで胸の前に出します。目を閉じ、頭を伏せ、祈るような形です。
ボくもそれに習い、同じ祈りを捧げます。
『我らを見守る荒神様へ、今日も食をいただける命がありますことを、感謝致します』
『『『感謝致します』』』
いったいなんの神様に祈っているのかは知りませんが、まあ食前の大切な作法なのでしょう。ここ二年ほど、彼らのそんな姿を見ているので、ボくも一応一緒に祈りを捧げるようにしました。
最初は戸惑いながらだったけど、それからはまあ作法はわかったつもり。
まあボくは今は食卓に着かないんだけど。
『じゃあいただこう』
祈りが終わった彼らは、まず肉にかぶりつきました。
日常生活、ものすごく体を使うのか彼らは肉を大量に食べます。この集落の周りにはたくさんの動植物が生存しており、この小さな集落はそれらを採取、狩猟することで食材を確保しています。
それでも足りない分、時間がある分は畑作で作った野菜を食べるそうですが、肉が主食なので野菜は最低限だったみたいです。
だけど、今は違う。
『ううむ、旨い』
旦那は肉を一口食べた後、ボくが作ったきんぴらごぼうを食べます。
『ごぼうの旨みにニンジンの甘み、それらが少しの辛味でまとめられている』
『ニンジンもごぼうも歯ごたえ十分だ。顎にしっかり効くな』
『こういう塩っ気のある野菜は好みだよ』
『そうね。私もヌルから料理をいくつか教えてもらうけど、ここまで美味しくはできないわ』
他の方々も食べてくれていて、好評なようです。良かった。
『汗をかいて塩っ気が欲しいからな。こういう味がしっかりしていて歯ごたえがある副菜が、助かる』
旦那はそのままきんぴらごぼうを食べ尽くすと、残りの肉も齧りついて食べました。
ちなみにここの人たちは、汁物以外は匙とかの食器は使わないんだよな。手掴みなんだよ。
だからボくは、食事についてもらう前に手を拭いてもらったりしてたわけなんだよな。
文化の違いって、衛生概念との折衷が難しいときがあるからね。
『いつも旨いからな、ヌルの作る料理は。こういっちゃなんだけど、お袋殿が作ってた料理よりも同じ品目でもどこかひと味違って旨いもん』
『そうね。私もそう思うわ。仕事の合間の料理だけじゃなくて、ヌルの作る料理は私のよりも手間を省いてあっても美味しいもの』
『ワタシは良い拾いものをした。そうでしょ?』
『全くだな』
四人が楽しそうに話しながら食事を取っているところで、ボくは瓶から水を用意し、さりげなく他のみんなの杯の水を補充しておきます。
良かった、料理は成功らしい。
『あー……ヌル』
ボくが離れたところで、後ろから旦那が話しかけてきました。
『なんでしょう、旦那』
ボくが不思議そうな顔をして振り向くと、旦那は恥ずかしそうに顔を背けます。
『お前がここに来て、二年が経つな』
『はい』
『お前はうちに来てから、十二分に仕事をしている。家事も、料理も、家の細々としたこともお前は十分な働きを見せた』
『はぁ』
ボくが不思議そうにしていると、旦那は何かボソボソと呟きました。
しまった、聞こえなかった。
『え? も、申し訳ありません旦那。聞こえませんでした。もう一度』
『今度からは、ヌルも食卓につきなさい』
そんな中で、奥方がボくに優しく微笑みかけながら言いました。
『この二年であなたの仕事っぷりはわかったわ。私も大助かり、細やかな気配りもしてくれるから、毎日助かってるのよ』
『俺もそうだ。家に帰れば旨い飯と綺麗な家、整理整頓された広間は気分を晴れ晴れとしてくれる』
『ワタシも。帰ったときの用意は嬉しい』
『あ、はい……』
ボくが戸惑っている様子を見せると、顔を背けたままだった旦那が膝をバシンと叩いて鳴らしました。
『まあなんだ! お前もよくやってるからな! 認めるんだ!』
『……わかりました』
ボくは微笑みながら言います。
『今度からは、ご一緒させていただきます』
これがボくの日常だ。
この家の人たちの身の回りの雑務を引き受け、毎日仕事に明け暮れる。
未だにボくの記憶は戻らないけど、まあいつか戻るだろう。




