四十四、別れと終わり、再出発へ。――またいつか会おう、友よ――
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あれから月日が経った。残酷な現実が起ころうと、優しく、無情に時は過ぎていく。
アーリウスは俺を甲斐甲斐しく世話をしてくれるが、どこか影を見せている。
テグは己を責めて警備隊や訓練といった仕事に没頭している。
リルは部屋に閉じこもって出てこない。
クウガはいつも一人で剣を振っていた。
エクレスは悲しみを見せながら仕事をし、ギングスはそれを支えていた。
ガーンとアドラはシュリがいなくなってからも、料理人としての役目を果たしてくれている。
各々が己の無力さを痛感し、作戦の失敗を責めて、心を癒やすことができていない。
そして、一ヶ月が過ぎた。
「……本気で言っているのか?」
「本気や」
執務室で仕事をしていた俺の前に、クウガが立っていた。
旅装束に身を包み、荷物をまとめている。
「本当に、ここを去るのか」
クウガが、この国を出奔すると言ってきたのだ。
いきなりすぎて、俺は驚くこともできなかった。できるだけ冷静に理由を問うことしかできない。
「どうしてだ」
「ワイは、弱い」
ずぐ、と俺の心が軋む。
「あのときは」
「いや、ガングレイブの言葉だけが原因やない。ワイが、弱いからこうなった。強ければリュウファに負けなかった。強ければすぐにシュリの元に駆けつけることができた」
「全てお前が弱いのが原因だと言うのか」
「……その方が、他の奴らのためになるやろ」
クウガは自嘲して笑う。確かに、他の奴らは自分が悪いと責め立てて、体調を崩すものもいた。
だが、そんなもんクウガが背負うもんじゃない。
「ふざけるな。お前がそれを背負う必要はない。俺が」
「そうやってお前も自分を責めとるやろ。お前、眠れてないんやろ」
見透かされていた。クウガの真っ直ぐな目が、俺の心の内を見ている気分だ。
一ヶ月前のあの日から、俺はまともに眠れていない。深く眠ると夢を見る。
シュリが俺を責める夢だ。どうして助けてくれなかったのか、守ってくれなかったのか。
それを延々と、血塗れの顔でシュリが俺に聞いてくる。
悪夢だった。どうか安らかに天に召されてくれ、すまなかった。それを繰り返し繰り返しシュリへ懺悔する。
起きたときには汗塗れで涙を流した痕があった。そんなもんで満足に眠れるはずがない。
「そういうことや。じゃあな」
「待て! お前が去ったら残された奴はどうすれば」
「……お前が考えろ」
クウガは床に置いていた革袋の紐を持ち上げ肩に担ぐ。
その顔は、もう疲れ果てていた。
「ワイは、もう考えとうない」
そのままクウガは部屋を去っていった。
俺は椅子に座り直し、両手で顔を覆う。
まだ泣くな。泣いてはいけない。泣くわけにはいかない。
俺が自分にそう言い聞かせていると、ドアがノックされた。
「誰だ……?」
「テグっス。入るっスよ」
「ああ、入れ」
扉が開くと、そこにはテグが旅装束に荷物を背嚢にいれて背負っていた。
……まさか。
「お前、その荷物は」
「ガングレイブ。すまんス」
テグは頭を下げて言った。
「お暇をいただきたいっス」
俺は頭が真っ白になる気分を感じた。
「……ここを、出て行くのか? 去る、のか?」
「そうっス。目的を果たすまでは戻らない……もしかしたら、一生戻らんかもしれんス」
「許さないぞ」
テグが次の言葉を言う前に、俺は叫んでいた。
「クウガが出て行ったんだ。お前まで出て行かれては困る!」
「オイラ、シュリを探したいんス」
だが、テグが真剣な顔で言った内容に、俺は固まってしまった。
シュリを探したい。それはこの一ヶ月、ずっと俺も考えていたことだ。
確かにあの状況、リルから聞くだけ聞けば死んだと思うだろう。腹を刺されて砦から落ちて、崖下の川で流される。万に一つも生存はない。
だが、遺体を見たわけじゃない。確実に死体を確認しているわけじゃないんだ。
万に一つもなくても、もしかしたら奇跡が起きて生きているかもしれない。
そんな夢想を、俺は何回もした。
でも所詮は夢想なんだ。あり得ないんだ。状況的に、生きてるとは思えないんだ。
腹を刺され、爆風で飛ばされ、崖下の川に流される。
そんな状況で生きてるのなら、どんな奇跡でそれが為されたのか。
いや、止めよう。そんなことを考えてもキリが無いんだ。
「ダメだ。捜索は」
「諦められるわけないじゃないっスか!!」
テグは泣きそうな顔で叫んでいた。
子供のように、泣きそうな顔だ。
「せめて、せめて遺品や遺体を、回収したいんス……それすらしなかったら、シュリはどこを彷徨うことになるか。
死んでいたとしても、魂はこの地で鎮めてやりたいじゃないっスか」
泣きそうな顔だが、泣かないように必死だった。
「そんくらいは、してやりたいんス」
テグも、俺も、泣かないように目尻に力を入れていた。
「……そうだな」
わかるよ。お前の気持ちは良くわかる。俺も、そうだ。いや、そう行動しなければいけなかった。
シュリが居なくなった後の悲しみに、耐えることしかできなかった。
耐えて耐えて、今の状況に慣れるしかなかった。
俺は……顔を俯かせ、言った。
「許す」
「……ありがとうっス」
「ただし」
俺はテグに顔を見せないようにしていた。
「必ず帰ってこい。……いいな」
「……見つからなくても、スか」
「見つからなかったからこそだ」
死んでいるのだとしたら、いつまでも死人の影に囚われるわけにはいかないんだ。
涙をこらえ、嗚咽が漏れるのを我慢しながら、俺は言わなければいけない。
「だから、わかったな」
俺の言葉の意味がわかったのか、テグもまた震える声で答える。
「わかったっス」
顔を上げると、テグは背を向けて扉に手を掛けていた。
「テグ!」
俺の呼び止めに、テグは動きを止めた。
「……帰ってこい」
「……すまんス」
テグはそれだけ言って、部屋から出て行った。
静かになった部屋で、俺は顔を手で覆って涙を堪える。
あれは、帰ってこない。延々と探し続けて、死ぬまで探し続けて、どこかで野垂れ死ぬ。
それだけの覚悟を持って出ていったんだ。もう、二度と帰ってこれないことを覚悟を胸に、ここを出て行った。
二人、いなくなった。
「入るよ」
そしてもう一人、俺が涙を無理矢理拭って顔を上げると、そこにはリルがいた。
しかも背嚢にこれでもかと荷物を積んでいる。旅用の外套まで用意して、だ。
もう、それだけでわかってしまった。
「リル、お前」
「悪いけど出て行く」
「お前までか!」
俺は机を殴りつけた。
「お前も、出て行くのか!」
「うん」
だがリルは悪びれもせず、驚くこともなく、淡々と口を開いた。
「シュリが居なくなって、リルは考えた」
「何をだ」
「リルは、シュリのことをどう思っていたのか」
俺は黙ってしまった。
「……」
「リルは多分、シュリのことが好きだったんだと思う」
「え」
「仲間としても、友人としても、シュリのことが好きだった」
そこに女として、と言わない辺りがリルらしく思えてしまい、笑みがこぼれてしまった。
「まあ、あいつは良い奴だったよ。本当に、良い奴だった」
「うん。リルが一番、拠り所にしてた人だった」
「女として、好きだったのか?」
「……どうかな」
リルは困った顔をして頬を掻いた。
「多分、そうだったんだと思う」
「思う、か」
「無くしてから気づくなんてマヌケだったけど、そうだったんだと思う」
その照れくさそうな顔を見て、俺はもう覚悟を決めた。
もう、引き留めてもダメだな。こいつは止まらない。
「それで、出て行くんだな」
「シュリと旅したいろんなところに行って、思い出を遺したい」
「……帰ってくるのか」
「いつか、必ず」
リルはハッキリと言った。
「消えない思い出を遺せたら、気持ちに整理を付けたら、必ず帰る」
「わかった……その間、あちこちで仕官したり離れたり、か?」
「金稼ぎは大事だよガングレイブ」
ハハハ、と俺たちは笑い合った。
俺は椅子の背もたれに寄っかかり、頭の後ろで手を組んだ。
「あーあ。他の奴らも出て行っちまったし。俺も投げ出して逃げ出したいよ」
「他の?」
「クウガとテグも出て行った」
「あ、だから荷物を持ってたんだ」
「なんで気づかなかったんだよ?」
「どうでも良かったし。リルのことで精一杯」
リルもまた、皮肉めいた笑みを浮かべて答えた。
ああ、そうだった。こいつはそういう奴だったよ。シュリが来てから変わったが、こいつは仲間に対してもこんな感じだった。
それがシュリと出会ってから、人を見るようになったんだ。
素晴らしい変化だった。人を知り、人を見て、人を思う。それができるようになった。
なのに元に戻ったのか? そうではない。
こいつはこいつのまま、普通に過ごしているだけだ。
「行くのか」
「すぐにでも」
「別れの挨拶は」
「いらない。別れじゃない。必ず帰るから」
「……じゃあ、またな」
「うん、また」
そう言って、リルは去って行った。
入れ替わりにアーリウスが入ってくる。驚いた顔をしてリルを見た後、手に持った書類を俺の机に置いてくれた。
「ガングレイブ、リルの荷物はなんですか?」
「旅に出るんだそうだ」
俺の言葉に、アーリウスは目を見開いた。
「旅に?」
「シュリとの思い出を遺しに行くそうだ。二度と忘れないように。
それと、クウガとテグも去った」
「去って行った?」
「ああ。喪失の旅、二度と戻るつもりのない旅、思い出を遺す旅……。様々だよ」
「どうしてそれを許してしまったのですかっ」
アーリウスは俺の胸に縋り付くようにしなだれかかってきた。
「シュリが居なくなってしまって悲しいのはわかります。だけど、だからこそ一丸となってこれからの国難に備えるべきでしょう。
なのに……」
「止められなかったんだ」
俺はアーリウスの頭を撫でる。サラサラと銀髪が俺の指を流れる。
「あいつらの気持ちがわかるからこそ、もう止められなかった。
失意も、喪失も、郷愁も、わかるから」
だからこそ、俺は。
「あいつらの心に、寄り添ってやりたい」
「……ガングレイブ、あなたまで去りませんよね?」
「去らないさ。去れない。だって」
去れないものがあるからこそ、ここにいる。
「お前と俺の間にできた命を、守らないといけないからな」
今のアーリウスのお腹には、俺の子がいる。そろそろお腹の張りが目立ってくるだろう。
決意したんだ。生まれてくる子供に、俺と同じ悲しみを味わわせてはならないとな。
「そうですか……そうですね」
アーリウスは立ち上がると、優しくお腹を撫でた。
「シュリの分も、この子には色んな世界を見て、この世を生き抜いて欲しいです」
「ああ、全くだ。……すまんが俺はちょっと出てくるよ」
「どちらへ?」
俺は椅子から立ち上がり、歩を進めた。
「報告に行ってくる」
俺が向かったのは、領主の城の裏手にある広場だ。
そこにうずたかく積まれた土と、大きな石が置かれている。
「来たぞ、シュリ」
俺は厨房から失敬した酒を持って、その石の前に座った。
石に酒をかけて、残りを飲む。
「報告がある。クウガとテグとリルが、ここを去った」
当たり前だが返答はない。
この石は、シュリの墓の代わりだ。遺体がないため、形だけであるがな。
「お前を守れなかったこと、お前を探すこと、お前を想うこと。理由は様々だ。
……あいつらの旅の無事を、どうか頼むよ」
俺はそういうと、もう我慢ができなかった。
涙が溢れてしまう。ボロボロと涙が溢れて止まらなかった。
「どうして、どうしてお前を助けられなかったんだろうな。俺は」
何度も何度も同じことを考えた。
何度も何度も同じことで後悔する。
「俺が、俺がお前を守れなかったばかりに仲間たちはここを去った」
俺はもう、ここでしか弱音を吐かない。
「俺のせいだ。そして、お前はいつの間にかみんなの中心になってたんだな」
もう、弱い姿を他の奴には見せない。
「ありがとう。ここまで俺を導いてくれて。俺を守ってくれて。
ありがとう。一番の親友」
俺は涙を拭い、立ち上がる。
「俺はもう泣かない。涙は涸れた。悲しみは乾いた」
だから、ここで誓おう。
「俺は、お前が生きていたかった分も生きる」
俺の、決意だ。
「だから、ここがガングレイブ傭兵団の終わりだ。そして、もう一度ここからアーリウスと二人、アプラーダを盛り立てていく。
あいつらが旅を終えてまた戻ってきてくれるときのために、俺たちと同じ悲しみを領民が抱かなくて済むように。
俺、頑張るから。また、ここから再出発だ」
だから、また、俺が死んだときに。
あの世でまた。
「またいつか会おう、友よ」
俺はそう言って、墓の前を去る。
これからやることは山積みだ。領内の掌握、経営、戦争……考えればキリが無い。
エクレスとギングスも、シュリを喪ってからも頑張ってくれている。
ガーンとアドラもシュリから教わったことを必死に残そうとしてくれてる。
アーリウスが、残ってくれている。
まだ、頑張れる。
じゃあ、またな。
シュリ。