四十三、ターニングポイント2・結末
「シュリいぃぃぃぃいぃ!!」
リルの前で、破壊された壁から落ちていくシュリが。
慌てて壁から身を乗り出させて下を見ると、そこは崖だった。
下には川が流れていて、シュリらしき人物は見えない。
どこにも見えない。どこにもいない!
「シュリ、しゅり!!」
「リル!」
そこに、クウガが扉を破壊しながら入ってきた。
体中に傷を刻みながらも、致命傷を避けている。だけどこれだけ時間がかかったことを考えると、あの老剣士は相当手強かったとらしい。
クウガはアユタの様子を見て、リルの顔を見て、顔を歪めた。
「リル……嘘やろ」
クウガは怒りの表情で剣を鞘に納めながら近づいてくる。
「シュリはどこや? 別のところに避難させたんやろ? そこから下に落ちたとか言わんよな?」
「しゅりが、しゅりが」
リルは言葉にならないままに、崖下を指さす。
それで全てを悟ったクウガは悲しみに顔を歪めきり、膝から崩れ落ちた。
顔から表情が消え失せ、口が僅かに動く。
「嘘やろ。ワイはまた、シュリを守れんかったんか」
「クウガ……」
「強くなっても、強くなっても……仲間も守れんかったんか、ワイは?」
その言葉に、リルも立ち上がれないくらいの衝撃を背負う。
あのときと同じだ。リュウファと対峙して、情けなくもシュリを守れず連れて行かれた。
いや、これはさらにあのときよりもたちが悪い。
シュリが死んだ。
シュリが、死んだ。
「は、ははは、はははははっ」
クウガの口から乾いた笑いが漏れる。
立ち上がりながら、クウガは腰の剣を抜く。
「情けないのぅ。何が剣の達人や。守るもんを失うなんぞ、意味がなかろうに」
そのままクウガは振り返り、地面に突っ伏しているアユタへと近づく。
「で? お前がこの戦いの原因か?」
しかし、アユタは動かない。肩を震わせて突っ伏しているだけだ。
クウガは業を煮やしたようにアユタの肩を掴み、顔を上げさせる。
「聞いとるんじゃ! お前がシュリを攫った首謀者かい!?」
アユタの喉元に剣を突きつけ、クウガはさらに怒号をあげる。
リルがクウガの側に寄ると、クウガの顔を見て驚愕した。
クウガが泣いていた。
あのクウガが、泣いている。その顔を見てリルは何も言えなかった。
アユタはアユタで、虚空を見つめながら泣いている。
そして口がボソボソと動いた。
「そんなつもりじゃなかった」
「ああっ?」
「アユタは、ただシュリと一緒に居たかっただけ」
誰に言うでもないアユタの言葉に、リルとクウガは黙って耳を傾けていた。
「美味しいご飯と一緒に、あの笑顔と居たかったの。アユタが初めてご飯を美味しいと思わせてくれた人だから。返したくなかったから。
だけど、こんなことになるなんて思わなかった。刺すつもりもなかった。殺すつもりはなかった。ごめんなさい。ごめんなさい……」
そこからは壊れたようにごめんなさい、と言うばかりのアユタ。
クウガはその姿に激高して剣を振り上げる。そのまま喉を突き破らない辺り、クウガも混乱している。
しかし、クウガは手を震わせているだけで、剣を振り下ろす様子はなかった。むしろ、振り下ろせない様子だ。
「あああああくそ!!」
クウガは剣を下ろし、アユタを突き飛ばした。
そしてゆらりと立ち上がってアユタの背を向ける。
「……リル、帰るで」
「……うん」
「もうここに用はない。ここにいる価値も意味も失ってしもうた」
クウガは幽鬼のようにふらつきながら歩き出す。
その後に続こうとリルも立ち上がり……アユタを見た。
仰向けに倒れたまま、虚空を見つめている。
「はは、ははは、ははははっ」
そして乾いた笑いをあげた。壊れたように笑っていた。
気持ちは、わかるつもりだ。リルだってあんな風に壊れて笑っていられたら楽だろう。
アユタ姫の姿を見て、リルもそうなれたら楽だろう。
でも、リルはそうなるわけにはいかなかった。
「ワイは……なんのために……」
すぐ側に、今にも壊れそうなクウガがいるのだから。リルまで壊れるわけにはいかなかったんだ。
「お前がいながら何をしてたんだっ!!!」
怒号と共に、クウガが吹っ飛ぶ。
リルたちはすぐに合流し、その場を離れて集合地点だった場所に集まっている。
そこでガングレイブが怒りのまま、クウガを殴り飛ばしたんだ。
「止めてくださいガングレイブっ、クウガを責めてもなにもなりません!」
「離せアーリウス!!」
「きゃあ!」
ガングレイブが暴れると、抑えていたアーリウスがを後ずさった。
慌ててリルが駆け寄り、アーリウスの体を支える。
「あ、ありがとうございますリル……」
「大丈夫?」
「ええ、なんとか」
アーリウスを気遣っていると、もう一度殴る音が響く。
そちらを見れば、吹っ飛んだクウガの胸ぐらを掴んでガングレイブが拳を振り上げているところだった。
クウガは虚ろな目をして、なすがままにされている。
「なんとか言えよ!」
「……」
「この野郎が!!」
「止めるっスガングレイブ!!」
振り下ろされる拳を止めたのはテグだ。
肘の辺りを掴んで、動かないようにがっちりと押さえ込んでいる。
ガングレイブは暴れるものの、さすがにテグの力を振りほどけずに苛立っていた。
「離せ! 離せテグ!」
「これ以上クウガを責めてもどうにもならんス! クウガはリルを行かせるために、達人二人を相手にしていたんスよ!? どうしろって言うんすか!?」
「こいつはいつも、自分の剣に自信を持っていた! そして実績を上げた! 信頼して送り出した奴が、肝心なところでいないなんて情けないにもほどがあるだろうが!
「それを言ったらリルはその場にいたのにシュリを助けられなかった!」
リルの叫びに、ガングレイブもテグも動きを止めてリルを見た。
アーリウスから離れて、リルはガングレイブの前に立つ。
今のガングレイブは怖い。今まで見たことないほどに、怖い。
だけど、言わないといけない。
「りるは、りるはその場にいたのにっ……りるを庇ってシュリが刺されて、魔法で吹っ飛ばされて、崖下に落ちていくのを見るだけだっだっ!
りるのぜいだ! りるが! だずけられなかったからっっっ!」
後半になると、涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになってしまって言葉にならなかった。
そうだ、リルのせいだ。リルがその場にいたくせに、助けるべきシュリに助けられて助けられなかった。
ボタボタと流れる涙を拭うこともできず、リルは嗚咽を漏らす。
それを見たガングレイブは絶望した顔をした。クウガの胸ぐらから手を離し、ふらふらと歩く。
「……お前ら、すまなかった」
ガングレイブは部下たちに頭を下げた。あまりの剣幕と空気に何も言えなかった部下たちは、徐々にシュリが死んだことを、自分たちの任務が失敗したことを悟る。
そして、誰ともなく泣く。
ここにいる部下は全員、傭兵団時代からの人たちだ。
シュリの料理を食べて、シュリの人柄に触れてきた古参のメンバー。
だからこそ、彼を知るからこそ、悲しみは深かった。
「……クウガ……俺は」
「言うな、ガングレイブ」
クウガは殴られた頬と口から流れる血を拭って立ち上がった。
「お前が言うたことは間違っとらん……ワイは、ワイは肝心なときに役立たんかった……。
シュリが攫われたときにはリュウファに負けて、シュリが大変なときにその場におらん……はは、何が剣の達人や、空我流や」
腰に佩いていた剣を鞘ごと抜いたクウガは、それを振り上げた。
「ふざけんな役立たずっ!!!!」
そのままそれを地面に叩きつけた。ガチャン、と金属音が響いた。
あまりの態度にその場にいる全員が驚いた。クウガは剣一つでここまで成り上がった。
いつも剣の整備をして、大切にしてきたクウガが、その剣をぞんざいに扱う姿に全員が言葉にできなかった。
大きな悲しみと喪失感と絶望と挫折。
まさか、シュリを失うことになるとは思わなかったみんなが感じる、負の感情。
「クウガ」
そんなクウガの側によって、アーリウスは剣を拾い上げた。
「剣を取りなさい。捨てることは許しません」
アーリウスは剣をクウガに差し出す。
クウガは驚くが、受け取る様子はない。だけど、アーリウスはさらに剣を突き出した。
「クウガは傭兵団の剣なのです! 折れてはならず、曲げてはならず、欠けてはいけません!!
あなたには、まだ剣を握らなきゃいけない責任がある!」
「だが……ワイはシュリを」
「それでもです!」
アーリウスは無理矢理クウガの手に剣を握らせて、押しつけた。
「あなたは剣を手放してはいけません」
凜としてハッキリと言い切ったアーリウスを前に、クウガは震える手で剣を受け取った。
傷ついた鞘と鍔を撫で、そしてクウガは崩れるように座り込み、涙を流した。
さめざめと泣くその姿に、部下も俺たちも何も言えない。
「ガングレイブ」
そして、次にアーリウスは俺の前に立つ。
気づいたときには、俺はぶたれていた。
俺はぶたれた右頬を押さえながら、呆けた顔をしてアーリウスを見る。
アーリウスは涙を流しながら、俺にビンタしていたのだ。
さらにアーリウスは往復して俺の左頬も叩く。
「ちょ、お前っ」
「一発目は、部下に情けない姿を見せたこと」
俺が何かを言う前に、アーリウスは涙声で言った。
「二発目は、クウガを必要以上に責めたことです。目が覚めましたか、アプラーダ領主ガングレイブっ」
何も言えなくなった。俺はただ俯き、黙るだけだった。
アーリウスは腕を組んで、俺を睨み付けた。
「あなたは領主なのです。領主になったのです。もう傭兵団団長ではありません!
今から何をすべきか、ハッキリと示しなさいすぐに!」
まるで母親から叱咤されてる気分だ。アーリウスが俺を叱りつけるなんて、滅多にないはずだ。
「俺は……っ。……とりあえず撤退だ、ここを離れる! 追っ手が来ないか警戒しつつ、アプラーダへ帰還するぞ!」
俺が声を張り上げても、部下たちは動かない。誰も、動こうとしない。
「どうした! 早く行動を開始しろ!」
「あの……」
その中で、部下の一人が恐る恐る俺へ発言してきた。
「せめて、シュリの遺体を見つけたいです……」
俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。部下も、他の奴らも、ここにいる全員が俺を見てそれを懇願しているようだった。
俺は周りの連中の顔を見て、冷や汗が流れる気分を持つ。
何故その考えに及ばなかったのか、それを後悔した。
そうだ、リルはシュリが崖下に落ちるところしか見てない。しかも下は川だ。もしかしたら、どこかに流れついているかもしれない。
早ければ早いほど、その発見率も高いだろう。むしろ、ここに集まって争っている暇があったらそれをすべきだったのだ。
「それは……だが、すぐに撤退しなければ、グランエンドから追っ手が来る」
「ですけど、シュリが本当に死んだのか、死んだのなら……手厚く葬ってやりたいです。最後にせめて一目顔だけでも……」
「わかってるんだよ、わかってるんだよそんなこと……っ」
俺は絞り出すように言った。
「こっちはグランエンドの国内に侵入して、砦を襲撃したんだ……明らかな宣戦布告行為だ、向こうから報復措置が来る可能性が高いんだ……。
早く帰還して、それに備えないと……領民全員が犠牲になるかもしれない」
「でも、でも」
「頼むから!!!!」
俺は声を張り上げた。涙を流しながら、嗚咽を漏らしながら、それでも残酷なことを言うしかない。
「撤退の準備をしてくれ……シュリのことは、後日調査するから……」
「……っ、わかり、ました」
部下の顔には明らかな不満があった。他の奴らからの視線も痛い。
それでも、それでも俺は、この決断を下さざるを得なかったんだ……。
「ガングレイブ」
アーリウスが俺の側に寄ると、ふわりと俺の涙を拭った。
「よく頑張りました……」
「アーリウス……」
「私だけでも、あなたの判断が正しいと支持します……。シュリのことは、後で必ず調査を……」
「ああ、ああ……わかってるよ」
俺はアーリウスの手を退けて涙を拭った。
「すまない……シュリ」
俺はただひたすら、シュリに詫びることしかできなかった。