四十三、ターニングポイント2・後編
「リルさん……?」
僕は酷く困惑していた。
目の前のアユタ姫が僕に剣を突きつけていることも、今も砦で戦闘が起こっていることも。
そして、会いたく会いたくて仕方が無かった仲間が、僕の視線の先に立っていることも。
何もかもが、困惑の原因だった。
「どうして、ここに?」
僕が震える声でそれを聞くと、リルさんは笑った。
久しぶりに見た、リルさんの安心できる笑顔。リルさんはそのまま僕に近づくために歩き出す。
「助けに、来た」
リルさんは歩を止めることなく続ける。
「いなくなってからずいぶん経ったけど、まだ生きてて安心した。元気そうで、良かった」
「はい。僕も、リルさんが無事で良かったです」
「そう。なら、帰ろう」
だけど、そんなリルさんの前にアユタ姫が立ちはだかった。
手に持った剣をリルさんの喉元に突きつける。
「返さない」
「ん? あなたは?」
「アユタだ。今はシュリのご主人様だ」
「そう。でもシュリはこっちの料理人だから、帰ってもらうね」
「いやだ!!」
アユタ姫の怒号が響き渡る。思わず僕は驚いて肩を震わせました。
「シュリはアユタのだ、アユタだけのもんだ! 何が帰ってもらうだ、シュリが帰るのは後に先にもここだけだ!」
「アユタ姫様……」
僕はアユタ姫の背後に立ち、その肩に手を置きました。
震えてる。肩が、震えてるんです。アユタ姫はリルさんへ剣を突きつけたままこちらを見ませんが、その肩が本人の不安は如実に示していました。
こんな様子のアユタ姫は、初めて見る。
いつも不機嫌そうで、言葉が少なくて、それでも美味しいものを食べたら笑顔になるアユタ姫。
これだけ不安で不安定なのは、見たことがありません。
「僕は、ここで帰る必要がありそうです」
「ダメだ。絶対に返さない」
ぶわ、とアユタ姫の髪が靡いた。それを確認した瞬間には、僕の体は回転して地面に叩きつけられていました。
「うぐっ!」
そして、僕の腹の上に馬乗りになるようにアユタ姫が乗っかってきました。
思いの他軽い体躯をしていたことに驚きましたが、アユタ姫はすかさず僕の喉元に剣を突きつける。
鈍色に輝く刃が、僕の喉に少しだけ食い込みます。あとちょっと力を加えたら、僕の喉を切り裂くほどの力加減で。
「シュリはアユタのものだ。アユタだけの料理人だ。絶対に返さないし帰さない。
ずっとここにいて、一緒にいるんだ」
「ふざけたことを言うな!」
リルさんが僕に近づこうとしますが、そのたびに鋭い視線がアユタ姫からリルさんに向けられる。
「それ以上近づくなら、シュリをここで殺す」
「シュリはリルたちの仲間だ! こっちに帰ってくるのは当然のことだ!」
「アユタだけの料理人だ! お前たちのことなんか知らない! 知らない!」
アユタ姫は狂乱したように叫ぶ。
これだけ感情を乱すアユタ姫は、初めてです。不安そうな先ほどの姿といい、今日のアユタ姫はとことん荒れています。
どうしてそこまで、と口にしようとした僕に向けて、アユタ姫が言う。
「シュリだけだ」
「アユタ姫様」
「シュリだけが、根気よくアユタと付き合ってくれた」
苦しそうだった。悲しそうだった。
アユタ姫の様子を正確に言うならば、そういった言葉が良く当てはまってしまう。
「蹴っても遠ざけようとしても、根気強くアユタと一緒にいてくれた。
そして、アユタに食事の楽しさを教えてくれたんだ」
「……そう、ですね。それが僕の仕事でしたから」
仕事。
その言葉に、アユタ姫はなおさら苦しそうで悲しそうな顔をしました。
わかってるんだ。こういう言葉を言うのは、卑怯で嫌なことなんだってことくらい。
でも、言わなきゃいけない。
「仕事なんです。それが、ここで生きていくためにするべきだった、役目なんです」
「言わないで」
「そうでなければ、僕はここにいませんでした。今頃、リルさんたちと一緒にいて、料理を作り、食べてもらってました」
「言わないで!!」
「あなたと出会うことも、おそらくなかった」
突きつけないといけない。突き放さないといけない。
アユタ姫は泣きそうな顔をしながら、手に持つ剣の握りをさらに強くしました。
「ここで一旦、お別れです」
言った。言ってしまった。僕は最後の言葉を言い切った。
「……そう」
「シュリ!」
アユタ姫が諦めたように剣を握る手を緩めた瞬間、リルさんが動いた。
こっちに突っ込んできて、アユタ姫を突き飛ばした。アユタ姫は床を転がり、力なく倒れました。ガチャン、と剣が転がる音が響く。
リルさんは僕は起こすと、剣が食い込んでいた喉元に視線を向けます。
「無事? 痛くない?」
「大丈夫です……なんとか」
「そう、よかった……」
リルさんは心底安心した顔をしました。
「……心配かけてごめんなさい」
「もういい。これで帰れる。帰ろう」
「はい」
僕はリルさんの手を借りて立ち上がると、アユタ姫へ視線を向ける。
アユタ姫は力なく剣を手にして立ち上がり、僕たちを見ました。
目に力がない。どこか虚ろだ。光がない。
「そうか」
アユタ姫はゆらりと動く。
「そいつがいるからシュリは帰るのか」
……!! これはまさか!
「なら、そいつがいなければいい」
瞬間、アユタ姫が走る。ものすごい速さだ、まるで弓から放たれた矢のように、アユタ姫は疾駆する。剣を腰に構え、体ごと剣を突き刺すように。
リルさんはそれに対して、一拍子遅れて行動する。だけど、間に合わない。
気づいたときには、僕の体は動いていた。
リルさんの前に体を差し出し、二人の間に入り込む。
両腕を広げて、リルさんを庇うように立ちました。
「シュリ!?」
「っ!」
リルさんが気づいて、アユタ姫が驚愕に表情を染める。
アユタ姫は驚いて途中で止まろうとしましたが、それでも遅かった。
僕の体に、切っ先が突き刺さる。
「!!」
僕の体を灼熱が走る。剣が突き刺さった腹から、全身へ強力な毒が回ったように熱と痛みが回る。
次にその熱が、手先足先頭の先から一気に突き刺さった剣を伝って抜ける感覚を覚えました。
熱が回り、熱が抜け、増していく体の痛みに僕は硬直して動けなくなる。
「……うぶっ」
視線を下に向けると、浅いけど剣が僕の腹に突き刺さっている。体を突き抜けるほどじゃないけど、それでも異物が体の中に入り込む嫌悪感は凄まじい。
「え」
アユタ姫は蹈鞴を踏むようにして、震える足で後ずさりしました。
浅く突き刺さっていた剣はその拍子に抜け、腹部から今まで経験したことのないほどの出血を確認。
血と共に抜ける熱を逃がさないように、僕は血が流れる腹部に手を当てその場に膝を突く。
立ってられなかった。
「う……ぐ……が……っ!」
痛みと熱と寒さに、僕は喋ることができなくなりました。
よく創作物に中で、こういった腹部に重傷を負う展開は見たことがありましたが、まさか自分がそれを経験することになるとは思ってもいません。
だからこそ、実際に体験するそれはあまりにも衝撃的で。
そして動けるようなものではないのだと、自覚させられました。
「シュリっ!!」
リルさんの慌てる声が聞こえる。
僕が視線をそちらに向けると、リルさんが泣きそうな顔をして膝を突き、僕の腹部に手を沿えました。
血で汚れるのも構わず寄り添ってくれるリルさんが、ただただありがたい。
「リル、さん……」
「喋らないで! ああ……治療道具なんて持ってきてない……! ここじゃ応急手当もできない……! リルがシュリを担ぐから、頑張って耐えて!」
「それは……」
無理でしょう、という言葉が続きませんでした。
僕とリルさんとでは体格が違いすぎる。担ぐにしたって無茶がある。
ここで、死ぬのか?
僕は身近に迫った死を自覚しながら、視線を前に向ける。
がらん、と剣を取り落としたアユタ姫がいた。
「どうして」
アユタ姫の声が、震えていました。
「どうして」
自分が何をしたのかを、両手を見つめて自覚し始めるアユタ姫。
僕は痛む体を、燃えるような体を、凍りつくような体に叱咤して歩き出す。
「どうして、そいつを……庇って……アユタは……シュリは傷つけるつもりは!」
「アユタ姫様」
僕はアユタ姫の前で頭を下げました。
「今まで、お世話になりました」
そのまま、僕は足取りがおぼつかないまま、後ずさりしてしまう。
血と共に体温が抜けていき、力が抜けていき、意識も抜けていくようだった。
それでも、僕は帰らないといけない。
帰ろう、みんなの元へ。
「シュリ!!」
視界が狭まっていく中、僕を心配するリルさんがいた。泣きそうな顔をして、僕に駆け寄ってきている。
ああ、帰らないとな。
僕がそう思っていると、突如として部屋に爆発が起こった。窓をぶち割るように火炎と爆風が巻き起こり、それに巻き込まれて僕たちは転がった。
一体、何が? そう思ったが、次々と砦に向かって何かがぶつかって炎が弾けているようで、考える余裕がなかった。
「馬鹿な、アーリウスはこんなことをするはずがない! いったい誰が!?」
「この威力……魔鬼が、ローケィがここに? なんで……?」
リルさんとアユタ姫が何か言ってるようですが、それを問い返す体力が僕にはありませんでした。床に転がった影響で、傷がどんどん酷くなっていく。
僕は気力と体力を振り絞り、なんとか立とうとした瞬間、僕の横を炎の玉が通り過ぎて背後の壁をぶち破った。
そしてさらに目の前に炎の玉が着弾し、爆発。その爆風で僕は吹っ飛ばされた。
「シュリ!!」
遠くからリルさんの声が聞こえる。視線の端にアユタ姫の涙顔が見える。
だけど、僕には声も出せない状況だ。血と共に力が抜けていき、声を出すことができない。
そして、唐突に感じる浮遊感。
そうか、壁を吹っ飛ばされた箇所から外に出てしまったのか。しかも、下は川が流れる崖だ。遙か下にそれが見える。
「ここで終わりか」
ようやく出せた言葉が、諦めの言葉か。
僕は自嘲を交えた笑みを浮かべ、目を閉じた。落ちていく浮遊感の中で、僕は今までのことを振り返る。
唐突に異世界に落ちた。
ガングレイブさんに出会えた。
みんなと戦場を駆け抜けた。
いろんな国に行った。
国を手に入れた。
誘拐された。
新しい出会いを得た。
そして、仲間が助けに来てくれた。
ありがとう、みんな。僕は幸せでした。
さようなら。
僕はそう考えながら、水の中に落ちた。
そして、頭に何かがぶつかる感触と共に血も抜けていき。
僕はとうとう意識を失った。
これで、僕こと東朱里の物語の終わりだ。
残りはガングレイブさんの物語に托すとしよう。
僕は、ここで退場だ。