三十九、辛党改善とシャーベット・後編
アユタの今までの人生は、どことなくぼんやりとしたものだった。
幼い頃は姫らしく、女の子としての教育と作法を叩きこまれ、政略結婚の道具として作られた。
だけど、アユタはそれに全く馴染めなかった。
何故女性だからと可愛くならなければいけない?
何故女性だからと男性受けが良い仕草をしろと?
何故女性だからと好きなことを止めろと言われる?
そして十歳を超えた頃、そういった苛立ちが爆発して、姫らしい仕草も教育も作法も全てかなぐり捨てた。
すでに婚約者が決まっていたんだけど、その相手が居る場で爆発したもんだから婚約は無かったことになり、アユタはいなかったものとされた。
だからアユタは好き勝手やった。
好きな武術をコフルイから学び、外で思いっきりネギシと一緒に暴れて回って遊んだ。
そして、とうとう父上である国主様から完全に見切られて、このダイダラ砦に押し込められた。
多分、反省するまで本国には帰れないだろう。
でもアユタはそれで良い。
あんなところ、帰る気にならない。
グランエンドの末姫、アユタ。それが自分の肩書き。
でも今、アユタは末姫という立場も全てどうでも良くなるほど、好き勝手に自由に生きている。
ダイダラ砦に押し込められたときはどうしてやろうかと思ったけど、肉壁代わりの訓練兵のみんなと一緒に日々鍛錬に励んでいる。
最初はみんなやる気がなかったけど、ネギシとコフルイと一緒に訓練兵をしごき、同時にアユタ自身も努力していたら、次第に一緒に頑張る人が増えて、今ではこのダイダラ砦はグランエンドにおける特殊訓練施設みたいな扱いをされてる……と思う。
というのが、年々送られてくる訓練兵の質が変わってきたからだよ。
最初はそれこそ、まだ新兵になったばかりの青二才が多かったけど、次第にやる気がある訓練兵が来て、今では実力は良いけど性格が悪いとか将来大器晩成となるだろう兵士が多くなったからね。
だから、アユタとコフルイはより一層鍛錬に励み、彼らと一緒に努力をしている。
ネギシは自分勝手に鍛錬してるけどね。それでも、ネギシは強いから許されてる。
こうして、アユタの日常は回っていた。
しかしある日のこと、唐突にその日常が変わってしまった。
シュリという人間が、アユタの下に現れたからだ。
彼を一目見た第一印象は、「存在していることが不思議」な人間かな。
なんて言えばいいんだろう? 彼は本来、ここにいる人間じゃない気がする。
それは別に、彼が元はガングレイブのところで働いていたのに、リュウファが攫ったからここにいるとかそういう意味じゃない。
この地上にいること自体が奇跡……といえばいいのかな……?
それくらい、彼の存在はフワフワして見えた。
でも彼の実力と存在感は、想像以上にしっかりとしていた。
話は変わるけど、アユタは生まれてこの方、料理を好んだことがない。
というのも、アユタは自分でもどうかしてると思うくらい、辛い料理が好きなのだ。
幼い頃、料理人に辛い料理を頼んだことがある。でも、作られたのはいたずらに胡椒や塩をたくさん使っただけの料理。
それからも、作られるのは塩辛いだけの濃いスープだったりする。
だから、アユタはもう自分好みの料理を食べることを半ば諦めていた。
でも諦めきれず、とにかく辛くて凄い料理と言い続けてきた。
そんな願いをシュリが叶えてくれたんだ。
忘れもしない、初めて彼がこの砦に来たとき。
料理人を庇い、アユタに無礼な態度を取って自信満々に料理を作ると言ったとき、アユタは気に入らない料理を作りやがったら、それこそボコボコにしてやるつもりだったからね。
だけど、シュリは見事にアユタの好みの料理を作ってくれた。
辛いには辛い、汗が噴き出て舌が痛くなるほどの料理。
でもその奥には、しっかりと料理としての美味しい土台があった。
まさにこれこそ、アユタが好む理想の料理。
それからアユタはシュリを側に置いて、あれこれと側用人としての仕事を叩き込んでいる。
正確にはアユタのための、だけど。
そんなシュリが、アユタのために激辛のギョウザを作ってくれた日のことだ。
「甘いものを食べてみませんか?」
「甘いもの……?」
「甘いものです」
シュリはアユタにとって、苦手な味を提示してきたんだ。アユタは知らず知らず、嫌そうな顔をしていたに違いない。
ギョウザが乗せられていた皿を片付けるシュリを見ながら、アユタは思い出す。
あれは幼い頃。甘い菓子だと言われた出されたクッキーを食べたときのこと。
あまりの甘ったるさから、胸焼けがして大変だった。
そして、望みの辛さを得られないことで一時期甘いものに手を出したけど、それも甘ったるくて食べられず、挑戦はすぐに終わった。
あんな時間を無駄にした感覚、自分らしくない女の子教育を受けていた頃に似てたね。
しかし、シュリが説明するところによると、あまり辛いものを食べ続けるのも体に悪いらしい。
そして、説得を受けて……ていうか否定する間もなく、アユタは甘いものを食べる事になった。
「どうされました、姫様」
その声に、アユタの意識は戻った。
剣を構えていて握っていた手から汗が垂れる。額から流れた汗が顔を伝い、顎から雫となって落ちた。
現在、アユタは炎天下で、鍛錬場で稽古をしていたんだった。
考え事をしてボーッとしてしまっていたらしい、相手をしてくれていた兵士から、心配の声で目を覚ました気分だよ。
「いや……なんでもない。アユタはどれだけ寝ていた?」
「いえ、一瞬の間でしたので……いつもなら攻めてこられるところで来なかったものですから、つい……」
「いやいい、助かった」
アユタは担ぐようにして剣を構え直す。
「戦場では一時の気の緩みで死ぬのに、アユタはそれを怠ったからね。死んでも文句は言えなかった。
それより、続きをやろう」
足の幅を広げ、足の指でしっかりと地面を噛む。膝から力を抜き、自然体に腰を落として敵の攻撃に備える。
「アユタは、かのクウガのように強くなりたいからね」
そうだ、アユタには目標がある。
噂でしか聞いたことのない、かの剣術の達人……剣鬼クウガ。
リュウファに負けたとの話だけど、それでも凄いことだ。
あのリュウファと戦って生き残った人間なんていない。
それまで数々の戦いをしてきたリュウファ・ヒエンという人物だけど、あれは規格外の化け物だ。
一人で六人分の達人の技を持つ、生粋の怪物。
それに対して、たった一人のただの人間が戦って生き残った。
きっと、凄いことがあったんだろう。
きっと、知らない何かがあるんだろう。
それを思うと、クウガという人間に興味が尽きない。
彼が使うという、空我流という体系の剛剣術と柔剣術。
伝聞のままに聞く技を習得しようと躍起になるけど……どれも無理だった。
人間技を超えている。
反射速度、身体操作、筋力、柔軟性……どれか一つが欠けても成立しない、繊細で豪快な技。
できれば彼に直接、技を習ってみたいものだ。
そして、その技で彼に勝ってみたい。
「では、続きといこう」
「はい」
そこからアユタは、訓練兵を相手に本気で稽古に打ち込む。
相手には手加減をしないように厳命しているため、容赦のない木剣の打ち込みが襲いかかってくる。
それでいい。それを乗り越えて、アユタは強くなる。
アユタらしく生きるために、アユタの我が儘を貫くために。
そうして数刻、稽古に打ち込んでいたアユタだったけど、そろそろ相手にも疲労が見える。
構えを解いて一礼したアユタは、そのまま鍛錬の輪から放れる。
「お疲れ様です、アユタ姫様」
「ん、ああシュリか」
そんなアユタに、シュリが話しかけて来た。
どこから見ても平凡な男、それでいて奇妙な雰囲気を身に纏っている。
彼が来てから、アユタの食事は楽しいものになっている。
「どうぞ、タオルです」
「ありがと」
シュリがアユタに、片手に持っていたタオルを差し出してきた。ありがたい。
腕で拭っていた汗をタオルで拭き、体の各所に流れる汗を取り払う。
「もう少し、もう少し鍛錬を続けたい。小休止したら、もう一度鍛錬の輪に加わる」
「その前に、休憩がてら冷たいものでもいかがですか?」
「断る」
シュリがアユタに提案してくるが、アユタはそれをバッサリと切り捨てて言った。
「鍛錬中にいたずらに体を冷やすのは、後の動作効率に影響が出て来るから」
体が適度な熱を持っている状態なら、いたずらに体の内側から冷やすと動作効率に影響が出る。主に内臓が冷えるのが駄目だ。
こうして冷たいタオルで汗を拭うのはいいけど、アユタは意識して鍛錬中に冷たすぎるものを飲んだりしないようにしてる。
けど、
「いえ、いえ、先日言った甘いものですよ」
シュリが言ったのは、甘いものの話だった。
アユタは明らかに嫌そうな顔をしてることだろう。
「……ここで食べる必要がある? それなら鍛錬が終わって落ち着いてからでも」
「ちょっと失礼」
シュリはアユタの手首を掴み、脈を診ているのか血管辺りの感触を確かめている。
あまりに不躾な行動だけど、シュリはこういうところで厭らしい目をしないからね。
とりあえず信用して触らせてるけど、いきなりどうしたんだろう。
目つきは真剣そのもので、何かを感じ取ったのか苦い顔をしている。
「何をする?」
アユタが聞いてみるが、シュリは何も答えない。
そしてアユタの手首から手を離すと、ようやく答えた。
「アユタ姫様。ちょっとネッチュウショウ初期の一歩手前じゃないですかね」
「……ネッチュウショウ?」
そこから、シュリが簡単に説明してくれた。
ようするにネッチュウショウ……熱中症というのは、人間の体温が上がりすぎたときに起こる体調不良?の一種らしい。
体温が上がりすぎると体の各所に異常が起こる。その原因は人間の頭にある脳が茹で上がるかららしい。
そうなると、脳の機能に障害が発生して、大変なことになる。下手したら廃人になるとのことだ。
この話の恐ろしいところは、一度茹で上がった脳は二度と元に戻らないこと……そんなことになるとは……。
対処法としては、体が熱くなりすぎないように冷やすこと。これが一番らしい。
「そ、そうか……今度から全員に、適度な休憩と体を冷やすことを周知させよう」
アユタは自分のことを省みて、改めて反省した。
自分の稽古のためにこの炎天下に、相手には長々と付き合わせてしまったからね。
もしかしたら、現在稽古をしている者の中にそういう熱中症一歩手前の人間もいるかもしれない。
そうなったら怖いな。気を付けようと思うし気を付けさせよう。
「なので、適度に休んでもらうためにも、間食で栄養補給も必要です」
「栄養」
「そうです。なので、これを作りました」
そういって、シュリはもう片手に持っていたお盆の蓋を開けて、中身を見せてくれた。
「シャーベット、です」
そこにあったのは、三つの皿に盛られた不思議なお菓子。
太陽の光に反射して煌めくそれは、どことなく氷を彷彿とさせる。
赤、紫、橙色の三つのそれは、それぞれが自己主張するように輝いていた。
しかし……こんなお菓子は、見たことがない。
オリトルのお菓子でもこんなものが作られていた、とは聞いてないし。
「……なんだこれ?」
「だから、シャーベットですよ」
シュリはお盆に乗せていた匙をアユタに渡してくれた。
「さ、急いで急いで。氷菓子は急いで食べないと溶けますから。
あ、急いで食べ過ぎても頭が痛くなるのでほどほどに」
「どうやって食べろと?」
急がなきゃ駄目、急いでも駄目って……。
しかし、氷菓子? 氷菓子と言ったのか、シュリは?
なるほど、アユタが感じた氷を彷彿とさせる光の反射は、それで合ってたってことか。
「……ま、まあ、いただきます」
まあ、今更シュリが毒を盛るとも、食べられないものを出すとも思えない。
アユタは内心楽しみにしながら、まずは赤色の氷菓子から口に付ける。
「! これは、旨い!」
アユタはお盆から皿を取り、ドンドン食べ進める。
急いではいけない、という話ではあったけど火照った体には良い塩梅で、匙が止まらない。
「この赤いのはなんというか、好みの酸っぱさだな! こちらの紫は酸味が強めだがクセになる! この橙色は甘みが強い酸味!
いや、酸っぱいだけじゃない! なんと言えば良いのか詳しく言えぬが、この氷菓子だからか? 不思議な感触がする!」
「これ、一応全部果実から作ってるんですよ」
「果実からか! なるほど、この爽やかな酸味は果実由来だからか!」
これは驚いた。お菓子と言ったら、砂糖をふんだんに使ったそれだと思ってたから。
でもこれに、過剰な砂糖の甘みは感じない。そもそも、前に断念したのだってそれが理由だったのだから、アユタはそれに敏感なのだ。
「赤いのは薄らとした酸味を、何かを加えることで甘みとともに味を強調させているな。
この紫は酸味はあるが、なんというかまろやかさがある……これがわからん。でもこのまろやかさが、紫の酸味を優しく包んで食べやすくしている。
橙色はシンプルだな、これ。多分果汁をそのまま調理したんだろうね。だから、これが一番果実っぽさが強くてアクセントがある。
そして何より、これだ! これらをどうやったのか知らないが氷にして菓子にまとめたというところ!
ほとんど噛むことがいらない! 口に入れただけで、溶けていく! 溶けた瞬間にそれらの味が一瞬で広がり、同時に冷たさで口の中が一杯だ!
くぅー……たまらない。火照った体にはちょうど良い塩梅だ!」
この氷菓子の良いところは、何よりも暑い季節に食べるのが美味しく感じることだ。
それも今日のような炎天下だと、尚更それを感じる。
アユタは今まで、体の内部をいたずらに冷やすのは良くないと思ってた。
でもこれを食べて思う。ちゃんと体の活力になる冷たいものなら、ちゃんと食べるべきなのだ。
熱いだけが料理ではなく、冷たいもまた料理を美味しくする要素だ。
口の中に入れた瞬間から溶け始める氷。それを軽く咀嚼して飲み込み、胃に落とす。
一連の行動に力は全くいらず、どんどん体の内部のいらない熱を取り払ってくれるのがわかる。
氷自体も美味しいので、食べ進めていて飽きることがない。
なるほど、こういうのなら美味しいわけだ!
「褒めていただきありがとうございます」
「これは良い。疲れて火照った体に良く染み渡るようだね……」
活力になる果実を使い、体の内部から疲れと熱を取る氷の菓子。
アユタはタオルで口元と額の汗を拭って言った。
「これ、毎日出して」
「無理です」
「なんで?」
なんと。なんで出せない? これだけ美味しいのに。
アユタは甘いものは苦手だが、これなら美味しく食べられるのに。
シュリはアユタが残念そうな顔をしているのを見て、皿を片付けながら言った。
「これ、かなりコストが掛かるんですよ」
「コスト?」
それは、食材費が掛かるってこと?
いや、でも砂糖はともかく果実はそんなに経費は掛からなかったはず。
シュリは片付け終えて、苦笑しながら言った。
「ほら、前にアユタ姫が肝いりで導入したけど、結局魔晶石を喰うってことでお蔵入りにした冷凍庫。あれで作ったんです」
「あれか! すっかり忘れてたな……」
アユタはやっと思い出して、手を叩いて答えた。
確かに、そんなものを導入した記憶はある。というか、昔過ぎて忘れてた。
確かに数年前、あまりに暑い時期があった。アユタも稽古が苦しかったよなぁ、あの時は。
なのでアルトゥーリアから高額の冷凍庫……氷製作器? みたいなものを買った。
だけど、作れる氷の量はとてもみんなに行き渡らないくらいしか作れなかったし、何より魔晶石をバカ食いしてしまうので、なくなく稼働を停止してお蔵入りにしたのだ。
だけど、今は違う。
「なら、それを解決すればまた作れる?」
「多分ですけど……」
「そうか……」
これは、コフルイに相談だな。これは絶対に必要なものだ。
熱を持ちすぎることの危険、体を冷やすことの重要性。
何より美味しい氷菓子。これを逃す手はない。
「シュリ」
「なんですか?」
「コストの問題が解決したら、また作って」
アユタがそういうと、シュリは一瞬驚いた顔をした。
しかしてすぐに笑顔を浮かべて答えた。
「もちろん」
「……ということで、氷製作器……冷凍庫? の常時稼働を目指したいんだけど」
「なるほど……」
アユタはその夜、コフルイと相談していた。
コフルイは最初、冷凍庫の常時稼働について苦い顔をしていた。当然だよね、魔晶石のコストがバカにならないんだから。経費だって無限じゃない。
だけど、シュリから説明された熱中症の危険を聞いたコフルイはすぐに思案してくれた。
「確かに、数年前のあの時期でも、訓練兵はかなり体力を消耗してございました。
実際、倒れるものもいました。あの時はすぐに水をぶっかけて砦の中で休ませていましたが……まさか、それが正しかったとは」
「ああ。無理に仕事をさせていたら、もしかしたら……死人が出てたかもしれない」
アユタは自分の部屋でコフルイと話をしている。いつもの椅子に座り、二人で相談しているわけだ。
アユタはそこから窓の外の月を眺める。
「しかし……こういうところにも気がついて注意してくれるシュリは……かなり有能だね」
「彼なりの立場と経験で注意してくれたのでしょう。そして、それは現実に起こりうること。あとは現場の我々が行動して、事故を防ぐのが一番でございます」
「そうだね」
「して、どうなさりますかな?」
コフルイは腕を組んで言った。
「事実、あの冷凍庫では氷がそんなに作れずコストもかかります」
「なら、最新式の冷凍庫を作るか買うしかない」
「……やむを得ませんな。兵士のことを考えたら、やらねばならんことです」
「で……購入先はどうする?」
「そうですね」
アユタが聞くと、コフルイは顎に手を添えて言った。
「新興の国に、とても性能の良い魔工道具を作る国があります」
「ほう」
「そこから、二重三重に身分を誤魔化し購入元を特定されないようにしてから、冷凍庫の製作を依頼しましょう。それが一番です」
「……? 何故誤魔化す?」
「それはですね」
コフルイは顎から手を離して答える。
「そこが、シュリのいたアプラーダだからです」
「……そうか。良いように頼む」
「了解しました」
コフルイは椅子から立ち上がり、部屋から出て行った。
残ったアユタは、月を眺めながら呟く。
「……帰りたいだろうけど、帰さないよ、シュリ。シュリはここに必要な人間だから、決して」
冷凍庫の購入先がアプラーダと知ったら、シュリは帰りたいと思うだろう。
だからとことん隠させてもらう。
悪いけど、帰す気はないから、ね。