三十六、本当の理由と茶碗蒸し・前編の終
「それは、不老不死ということですか?」
「正確には不老不死じゃない。寿命がなくなっただけだ。言ってしまえば、老いて死ぬことはないということだ」
僕の質問に、信長さんは楽しそうに答えました。
しかし、僕の背中には冷たいものが流れる感触を覚えます。
どれだけ想像を絶するほどの苦痛なのだろう、と。
人は寿命が来れば死ぬ。もしくは外的要因によってもあっけなく死ぬ。
それは生物として当たり前にある、終わりの時間です。でも、この人にはそれがない。 どれだけ多くの出会いがあったのでしょう。
同時に別れだってあったはずです。
多くを看取りながら、共に逝けなかったのかもしれません。
辛かったかもしれません。悲しかったかもしれません。
なのにこの人は笑顔で、なんてない顔でそれを語る。
もしかしたら、この人の心はすでに壊れてるんじゃないか? そんな考えだって浮かんでしまう。
「……辛くは、なかったのですか?」
「辛く? 辛くはないな」
信長さんは得意げに語ります。
「俺がこの世界に来た最初、まず言葉が通じなかった。意思の疎通ができなかったんだよ。
そこからは酷かった。百年前からこの大陸は戦ばかりでな。俺は夜盗団に捕まって売り飛ばされてな。転々と奴隷生活をしていた。言葉や文字はその頃に学んだ。
そして、俺はある富豪の家に売られた時、富豪の家族や使いのもの全員殺して財産を奪って、そこから商売を始めたなぁ。懐かしい、何百人もの人間を騙して財産を騙し取って奪い取って、さらに財産を増やした。
増やした財産を使って、ある国に取り入った。この国の前身だったものだ。王族に取り入って、功を上げた。ひたすら地位を上げたな。
そして、あるタイミングでクーデターを起こし、この国を奪い取った。そして、この国の改革を行った。信長のように楽市楽座といった、うろ覚えの知識を総動員させて国を発展させた。
もちろん、失敗も山ほどやった。それを責めた大臣を殺したな。どのみち、口ばっかりの無能を殺す必要はあったから、ついでだついで。
失敗の山の上に成功も積み重ねた。国を発展させながら文化を変化させ、そしてグランエンドの土台を作った。
そこまでいくのに50年。そこで気づいた、俺は全く年を取っていないことに。
玄孫までいるのに、外見は全く変わらない。寿命で死ぬ気配もない。
俺は決意した。この大陸を支配し、外の世界に打って出るとな。かつての織田信長がそれをしようとして志半ばで死んだ、その偉業をこの異世界で為してやるとな。
この戦乱の世の中に終止符を打ち、外の世界の全てを平らげて、俺がその頂点に立つとな!!」
信長さんの語り口が穏やかなそれが激情へ変わり、穏やかな顔が怒りへと変わります。
そのあまりの変わりぶりに、僕は恐怖を抱かざるを得なかった。
どれほどの屈辱と怒りが、この人にこれだけの所業を可能としているのだろう。
奴隷の時代、死にたいと思っても自決ができず、仕打ちで死ねず、かといって寿命でも死ねない。
苦しみから逃れられる死という安息を奪われ、人間の尊厳すら奪われ、それでも生きることを強いられたこの人の苦しみは、どれほどのものだったろうか。
それを想像するだけで、僕の体全てが冷え切り、恐怖のあまり汗が流れます。
死にたくても死ねない。生きるしかない。
「あなたは……いったいどれだけの怒りを……?」
僕の言葉に、信長さんの体が止まる。激情のあまり行動が大げさになっていたそれが、まるでゼンマイの切れた時計のようにピタリと。
そして目だけがギョロリと僕の顔を映す。
空虚だった。何もない。何かを映しているように見えません。何を見ているのか、検討もできません。
「怒り? そうだな……怒りと言えば怒りだろうな。だが、今となっては怒りとはいえんな。野望だ、野望。
結局、俺がこの世界に来た原因もわからなかった。お前がこの世界に来た理由もわからん。だが、これだけは言える」
信長さんは再び居住まいを正し、僕に向かって言いました。
「お前が来れば間違いなく、俺の天下統一の道は開かれる。
さあ、来いシュリ。お前と俺とで、この大陸を我が物にしよう」
信長さんの言葉に、嘘はない。僕を引き入れることで天下統一ができると信じてる。
僕は腕を組み、静かに目を閉じる。そして考えます。
ガングレイブさんのことを。
アーリウスさんのことを。
クウガさんのことを。
テグさんのことを。
リルさんの、ことを。
ははは、やはり考えるまでもありませんでしたねー。
僕は腕を解いて、目を開け、そして薄く微笑んで答えました。
「お断りします」
ああ、やはり僕はガングレイブさんたちと一緒にいたいんだなぁ。
たとえこの場で殺されるのだとしても、両腕を奪われるのだとしても。
他の誰かのところに仕えなければいけないなんて、考えたくもないんだろうね。
僕の返答に、信長さんはやはりかという顔をして頭を振りました。
「愚かだな」
「僕もそう思います」
「ここで死にたいのか?」
「死にたくはありません」
「だが、お前の言葉は死を選ぶことと同義だぞ」
「そうですね」
「それでも、俺を選ばないと?」
「僕はもう選びましたから」
「……それが答えか」
「はい」
僕の淀みない返答に、信長さんは顔を右手で押さえました。
僕は僕で偉そうなことを言いましたが、実のところ恐怖で胃が縮み上がりそうです。
はっきり言って、死にたくないですもん。
でも……。
心が先に死ぬのは、耐えられない。
きっとそれは、僕がこの世界で譲ることができない最低ラインなんだと思います。
「さて、それなら」
瞬間、僕の右頬に何かがかすった。ほぼ同時に破裂音、炸裂光。
あまりの衝撃に、僕は吹っ飛んで仰向けに倒れた。
猛烈なまでの耳鳴りと、目の前で起こった強烈な光、右頬から流れる熱い液体の感触。
僕は恐る恐る耳頬を触って見ました。そして目の前に触った手を持ってくる。
赤い、血。それが僕の頬から流れていたのです。
「まさか……そんな」
僕は震える体を起こして、信長さんを見ます。そこには信じられないものがあった。
それは、銃だった。
フリントロック式の短銃。この世界にはありえないはずの武装。
そう、この世界には魔法がある。魔工がある。今までの戦で、火薬が使われたのを見たことがない。
当然だ、全部魔法でできる。
火薬を作るための材料……木炭、硫黄、硝石でしたか? それを集めなくても、全部魔法と魔晶石を使った魔工道具で代用ができる。だから、この世界では火薬を見たことがありませんでした。
なのに、この人の手元には銃がある。火薬がある。弾がある。
「あ、あなたはそれをどこで!?」
僕は思わず叫んでいました。これは、ある種の悪夢に近い。
地球の歴史が示すとおり、銃の登場は戦の歴史を変える。刀の時代が終わったように、騎士道や武士道が衰退したように。
それだけ銃というものは、歴史に与える影響が大きいのです。
そんなものをこの世界に持ち込んだ……いや、開発して実用化するのは正気の沙汰じゃない。
日本の歴史でも、銃が登場してから戦の死傷者数は爆発的に増えた。
この世界で同じことをやれば、どれだけ多くの人が死ぬか!!
「いや、どこでじゃない。きっとあなたが作ったんでしょう!
正気ですか!? 銃を作って実用化するというのが、どういうことなのか!!」
「知っているとも」
信長さんは撃鉄を起こし、取り出した火薬と弾を銃口に詰める作業をしていました。
「銃の登場がこの世界にどれだけの影響を与えるのかなんてな。
銃の長所は調練の簡単さだ。弾と火薬を詰める動作、狙いの付け方……訓練に必要なものなんて、主にこの二つだ。現代地球のような銃による戦争の仕方ならともかく、フリントロック式までの銃ならば、その運用方法は数限られる。
数を揃え、兵を揃え、火薬などの備蓄を揃える。それだけで十分に脅威となり得る。
そう、それができるまで後五年といったところか」
「五年……まさか、あなた」
「そうだ、硝石塚を作っている。死体や硝石の材料なんて、そこらに転がっているからな。抽出方法も確立している」
僕は今度こそ、恐怖のあまりに震えてしまいました。
狂気だ。最もやってはいけないことを、信長さんはしている。銃を安易に作ることがどういう結果を招くのかを全て承知の上で、それを実用化させようとしているのだから。
「さて、同じ質問はしない。お前は俺に従わないと言った」
弾込め作業が終わり、再び信長さんは僕に銃口を突きつけました。
「ここで殺すのが一番良いだろう。銃の情報はできるだけ外部に出ないようにしたいからな」
「そ、それは」
「ああ、一つ言っておこう。こういう銃は現代の銃よりも威力や飛距離はない。それにこれは短銃で、そのうえフリントロック式だ。詰められる火薬の量は少なく弾の質だって悪い。不発もありうる。一発で殺すには頭や心臓を狙うしかないが、まだ短銃の筒の精度がよくなくてな。狙いがそれる。つまり」
かちり、と銃の音がなる。
「楽には死ねないぞ」
「あ、ぐ」
「だが」
殺される、ここで確実に。苦しんで。
そう思った僕ですが、何故か信長さんは銃を下ろしました。
「お前を殺すのは惜しい。俺に従わないと言ったが、ここで失うにはお前の腕は惜しすぎる」
「え、え」
「だから、お前が従うようになるまで手元に置いておこう。なに、天下統一の道の半ば、俺の快進撃を見れば心変わりもしよう」
信長さんは短銃を床に置くと、手を打ち鳴らしました。
「ギィブ!」
「は、ここに」
信長さんの声に反応して、ギィブさんが階段を降りて現れました。どうやら階段の上で待機していたようです。
「こいつをダイダラ砦へ移送しろ。あいつの世話をさせる」
「は……あの癇癪姫の、ですか」
「そうだ。そのように取り計らえ」
「かしこまりましてございます、御館様。ほら、いくぞぃシュリよ」
「え、ええ」
僕は抵抗する間もなく、ギィブさんによって連行されました。
これは、マズいことを知った。まさか僕と同じ異世界人が、銃を作ってるなんて!
なんとかしてガングレイブさんに知らせないと……!!