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傭兵団の料理番  作者: 川井 昂
二章・僕とリュウファさん
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三十六、本当の理由と茶碗蒸し・前編の参

「……勧誘ではない、と聞いてたんですけど」


 僕は自称信長さんからちょっと離れ、しかめっ面で言いました。

 すると信長さんは、伸ばした手で顎を撫でます。


「うむ、勧誘ではない。命令だ。お前は俺と来るんだ。この大陸のためにな」

「……いろいろと聞きたいことが、あります」

「おう、一つ一つ説明してやるよ。その前に」


 信長さんはもう一度、僕の方に手を伸ばしました。


「腹が減ってるんだ。こっちに来てから食事を取らなくても生きていけるが、それでも食事に対する欲求は消えてねぇ。茶碗蒸しは冷めたら食えたもんじゃねぇ、スが入った茶碗蒸しはさらに食えたもんじゃねえ。だろ?」

「まあ、それはその通りですね」


 まあ、一理ある。

 せっかく料理を作ったんだから、食べてもらいたいし無駄にしたくないですから。

 僕は座敷牢の檻の下にある、食事の差し入れ穴から茶碗蒸しと匙を入れて渡しました。

 今回の茶碗蒸しに使った材料は、卵、茶碗蒸しのための出汁、鶏肉、シイタケ、塩、砂糖、醤油です。全部厨房にあったんだから、よほどこの信長さんは茶碗蒸しが好きなんだろうな。

 作り方としては、シイタケは千切りにして、鶏肉は一口サイズに切っておく。

 そして具材を茶碗に入れて、泡立てて濾した卵を出汁と一緒に入れて砂糖、醤油、塩で味を調えたものを入れる。

 そんで、蒸し器で蒸して完成です。簡単に言うけど、結構蒸すのが難しい。時計がないからね、勘だよ勘。

 それを受け取った信長さんは、満足そうに茶碗蒸しを見ています。


「これだこれだ。こっちの世界の奴らじゃあ,まともな茶碗蒸しも作れなくてな」

「そうなんですか?」

「マシになったのはここ最近だ。それもスが入ってねぇ程度、出汁が旨くねえんだよ。やっぱ、戦争は料理を台無しにするわ」


 そういうと信長さんは茶碗蒸しを嬉しそうに食べ始めました。

 ぷるり、と震える茶碗蒸しの感触を楽しんでいるようです。


「あー、やっぱこれだ。これが一番だ」

「そうですか」

「出汁そのものがうめえ。これ、厨房にあった鰹節や昆布から取ったろ?」

「わかりますか?」


 この人、舌が鋭いのか? 他にも使える物がないかと探したところ、鰹節と昆布が見つかったので使ったのですが……。

 僕が怪訝な目で信長さんを見ても、信長さんは茶碗蒸しを楽しんでる感じです。


「やっぱり、旨い茶碗蒸しはこうでないとな。ふるりと震える身は、口に含んでもつるんとしていて口の中を滑るようだ。歯を使わなくても、舌や唇で柔らかく崩れる感触……蒸しすぎて固くなった茶碗蒸しじゃあ、この食感は出せないねぇ。

 出汁そのものも上手に作れてるな。これだ、この優しい出汁の味が、茶碗蒸しの醍醐味よ」


 信長さんは次に、茶碗蒸しの中から鶏肉を取り出しました。


「そして、出汁と卵に包まれた具材を一緒に頬張る豪華さよ。

 ……ほう、鶏肉にシイタケ、か。エビとニンジンがあれば嬉しかったがな。

 それでも、鶏肉はふわりと柔らかく、シイタケは旨味に溢れているわ。香りも良い。シイタケはこう、香りが良くなるように使わねばなぁ。これが良いのだ」


 なんか、悦に浸りながら食べてるなぁこの人。

 ですが僕から見ても、信長さんは実に美味しそうに食べてらっしゃる。懐かしむように、惜しむように、一口一口を大事に食べてくれます。

 これには、作った僕も嬉しい限りです。が、油断はできません。

 なんせこの人は、僕を攫った張本人ですから。何を考えてるのかわかるまで、警戒は解けません。


「……あー、旨かったぁ……久しぶりだな、俺の舌を満足させる茶碗蒸しなんてよ」

「お粗末様でした」

「お粗末なもんかよ! 俺がこっちの世界に来てから、初めて食べたご馳走だ! ハハハ!」


 信長さんは快活に笑いながら、茶碗を床に置きます。

 カチャン、と音が鳴ると同時に、彼の顔が真剣なものになる。


「さて、本題に入ろうか?」

「……本題、ですか」


 信長さんの畏怖さえ感じさせる声色。僕の体も否が応でも震えてしまいます。

 聞きたいことは山ほどあります。それこそ、一晩では足りないほどに。

 でも、その前に。


「それは、僕が信長さんの下に着くかどうか、という話で宜しいでしょうか」

「それで間違いない。だが、その前に」


 ン? 信長さんは足をあぐらに組んで言いました。


「まずはそっちの質問に答えてやろう。いろいろと聞きたいことがあるんだろう?」

「……どういうつもりで?」

「なんてことはない。お前が俺の支配下に入るなら、いずれにせよ話さなければならんことも多いということだ。それを餌にする方法もあったがな。止めた。

 これは、料理に対する返礼と思え」


 それなら、僕も遠慮なく。僕も足を崩して座り、聞きました。


「では、遠慮なく」

「おう」

「まず、あなたはどうして“織田信長”を名乗っているので? 僕が一見すればすぐに嘘とわかるその名前を、どうして?」

「そこからか。……簡単だ」


 信長さんは薄目になって言いました。


「もし、俺と同じような人間がいるとすれば……少なくとも日本人なら“織田信長”の名前を知らん奴はいない。有名な偉人だからな」

「それは、確かに」


 織田信長は、日本の歴史上で一番名の知れてる人物でしょうからね。


「だから、この名前を聞いて俺に会いに来る奴がいるかもしれない。そう思ったわけだ。当時は心細くて、一個人として行動していたからな。仲間を集めるのに、名前を使うのは一番効果的だった」

「それは、確かに。僕だって拾ってもらったからよかったけど……そうじゃなかったら、多分何かの手段で仲間を探すと思います」

「だろ? なんせここは異世界だ」


 信長さんは手を広げて、大げさに言いました。


「周りは全部異世界人! (えん)(ゆかり)もなく、信じられるのは己一人のみだ!

 そんな状況下で、お前と俺は幸運だったと言えるな」

「幸運、ですか」

「そうだ。庇護してくれる後ろ盾を得ているわけだからな。幸運さ。ほとんどはこの世界に来たときに、野盗に殺されてるだろうよ」


 言われてみれば確かにそうなのですが……何故だろう、この人に言われてもなんとも思えない。


「それにしては、あなたは牢に囚われて他の人に会えてないように見えますが」


 座敷牢のようなところで、本の山に囲まれてこの人は何をしてるんだろうか? そう思って聞いたのですが。


「ああ、これか? これはな」


 信長さんは本の一つを取ると、僕の方に差し出しました。


「お前もこっちの文字は少しは読めるようになってるだろ? これが読めるはずだ」

「はぁ……」


 僕はその本を受け取り、中をパラパラと読んでみます。

 内容なんて、ありきたりな軍略論というかそんな感じ。

 僕はそれを確認すると、信長さんへ差し出しました。


「まあ、なんというか軍略論ですね。これが?」

「気づかねえかな? それとも地球の感覚が残っちまってて、これの希少性がわかんねぇのかな?」

「はい?」


 僕が訳がわからないって顔をすると、信長さんは楽しそうに笑いました。


「だからな、こういう世界じゃ本は貴重なのさ。昔の偉人が書いた、知識が詰まった本なんてさらに貴重でな、俺はそれをかき集めて読みあさってるのさ」

「それは、何のために?」

「知識を独占するためだ」


 信長さんはあぐらを掻いた足を組み替えて続けました。


「いいか? こういう世界じゃ技術や知識ってのは奪われねぇ財産なのさ。その中で本って奴は昔からの知識や見識を残した宝だ。俺はそれを独占して、この世界で一歩先を行きたいんだよ」

「一歩先に行って、どうするんですか? この大陸を支配するつもりでも?」

「その通りだ」


 信長さんは目を細めて言いました。


「お前が聞きたかっただろう質問に、先に答えてやる。お前がこの世界に来たのは、俺が原因だ」

「……は?」


 今、この人はなんて言った? 僕がこの世界に来た原因だと? 目の前の信長さんが?

 いや、待て、思い出してみろ。僕がこの世界に来た最初を。

 この世界に来た直接の原因は、確か車に轢かれた……からだったはず。もう昔のことだから、思い出すのが難しいけど……。

 そこから、確かリィンベルの丘でガングレイブさんたちに拾われて……あれ?

 僕はリィンベルの丘でガングレイブさんたちに会う前は、どうしてたんだ? 来た直後の記憶がない。

 僕が考えていると、信長さんは愉快そうに笑いました。


「そうだろうな、混乱するだろうなぁ。これを言ったのはお前で二人目だ」

「ふ、二人目?」

「そうだ。二人目だ」

「その、最初の人はどうなったんですか?! どうやって僕をこの世界に、いや、その前に僕は元の世界に帰れるんですか!?」

「よし、一つずつ答えてやろう。

 一つ、最初の一人はすでに死んでいる。俺の言葉を信じずここから抜けだし、夜盗に殺されている」

「え?」


 愕然とするしかありません。僕と信長さん以外にも誰かがいたのに、それがすでに死んでいるなんて。


「元に世界にだが、これは帰れない」


 帰れ、ない?


「そうだ、帰れない。少なくとも、俺が生きている中で確認した異世界人が、無事に地球に帰れたという話はない」

「そんな……」


 僕は意気消沈して、思わず地面に手を突いていました。

 確かに、僕はこの世界で生きる決意はしていた。この世界で生きて、この世界で死ぬ。

 ガングレイブさんと一緒に生きて、一緒に死ぬ。

 それを覚悟して生きてきました。

 だけど、心のどこかでまだ願っていたのかもしれない。

 いつか、地球に帰れる日のことを。そして、またこっちの世界に来ることを。

 そんな甘い現実なんて、あるわけないのに。そう願ってやまない自分が、心の奥底にいたのです。お笑いぐさだ。

 そんな僕に、信長さんは神妙な顔で言いました。


「悲しむばかりじゃないぞ」


 僕は信長さんを見ました。


「と、言いますと?」

「簡単だ。俺たちはこっちの世界に来た時点で、この世界の魔力によって何かしらの影響を受けている」

「影響、ですか?」

「考えたことはなかったのか?」


 信長さんは手を広げました。

 自分の体をまざまざと見せつけるように。まるで何かを示そうとするように。


「この世界には魔力がある。俺たちの世界……地球には魔力というものはなかった。魔力というのが分子や原子と同じようなものなのか、それとも太陽光のような波長みたいなものなのか? それはわからない。

 だが、これだけは言える。魔力がない世界から来た俺たちは、魔力があるこの世界に来た時点で体に変化が起こっている」

「変化……」


 僕は地面から手を離し、改めてあぐらを組み直して言いました。


「それは、例えばどんなのですか?」

「目の前のこれだ」


 これ、とは?


「俺はこの世界に来て、寿命というものがなくなった。さっきも言ったが俺はな、すでにこの世界に来て百年近く生きてるんだよ」

 

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