三十五、理由とバタークッキー
「どうぞ」
「……あぁ」
時刻は夜。空に浮かぶ月明かりと星明かりに照らされて、僕はリュウファさんと焚き火を挟んで向かい合っていました。
二人とも、拾ってきた大きな木片に腰掛けています。焚き火で湧かした湯で、物資の中にあった茶を蒸らして渡します。色は抹茶に近い。こんなものも、この世界にはあるんだな。
リュウファさんは受け取ると、少しだけ飲みました。そしてしかめっ面を浮かべる。
「どうしました?」
「……これは我慢が必要なんだ」
「あ、それは失礼しました。なんなら」
「いや、いい。もうこの国はグランエンドだ。『俺』たちは、昔っからこのクソマズい茶を飲んできたからな。慣れてる」
「すみません……今さっき、あなたのことを考えるように心掛けたというのに」
「構うな。そして今さっき俺が言ったことを思い出せ。『俺』は馴れ合うことはできん。この対応で間違いは無い」
そう言いながらリュウファさん……『俺』さんは顔をしかめながら茶を飲み続けます。
僕も試しに飲んでみると……なんというか、麦茶と緑茶の中間みたいな、香ばしさと香りがあります。僕にとっては美味しいけど、リュウファさんにとってはこの二つの美味しさが、逆に舌へ悪影響を与えているのかもしれません。
「良ければこれをどうぞ」
僕は荷物の中から紙包みのものを取り出し、リュウファさんへ差し出しました。
「これは?」
「お茶請けです。お口にあえば良いのですが」
そう言って紙包みを開くと、そこにあったのはクッキーでした。
それもバタークッキーです。これは作るのが簡単なものです。
材料はバター、砂糖、小麦粉、オリーブオイルだけ。本当はもっとこだわろうと思えばいろんな材料を使うのですが、今はこれだけあれば良し。
作り方は、バターと砂糖を混ぜ、そこに小麦粉を入れてさらに混ぜる。
できたら鍋にオリーブオイルをしき、好きな形で作ったクッキーを入れ、軽く押さえながら焼く。で、焼き色が付いたら出来上がり。
本当はオーブンとかを使えばあっという間なんですけどねー。ないのでフライパンで代用できるものを作りました。
『俺』さんはクッキーを一つ摘まみ、口に運びました。
二度三度と咀嚼し、続いてクッキーを三、四個手に取っていきます。
「どうですか?」
「食えなくはない」
「そうですか」
僕は苦笑しながらクッキーを口に運びました。
やはりオーブンで焼いたものとはちょっと違うなぁ、フライパンクッキーは。
バタークッキーにある味を踏襲しながらも、使ったオリーブオイルの香りも口に広がります。これ、量を間違えたらバターとオリーブオイルの香りがうるさいことになるので、使うオリーブオイルの量には注意。
そしてフライパンで作るクッキーで独特なのは、砂糖が溶けてちょっと焦げること。香ばしさもちょっと付与される。
久しぶりに作ったにしては、なんとか香りをまとめることができてよかったです。ヘタしたら香りが大変なことになるからね。
「……久しぶりだ」
「はい?」
『俺』さんはしみじみと言いました。
「任務の間に、これだけ気を休めることができたのは」
「そうなのですか」
「そうだ。いつもは……いや、止めよう」
「どうしたんですか?」
「余計な情報は渡さない。余計な情は抱かない……それだけだ」
『俺』さんは、とことん任務に忠実というか。
「そこまで主様という方に忠義を尽くしているのですか?」
「そうだ」
『俺』さんは茶を飲んで答えました。
「……これは他国にも知られていることだから言うが、『リュウファ・ヒエン』というのは一種の称号だ。この、『俺』たちの存在というのは象徴に近い」
「象徴?」
「グランエンドで一番強い将、と言う意味だ」
「三宝将で一番強い……」
前にエクレスさんが口走った言葉。
グランエンドの三宝将、剣宝リュウファ・ヒエン。
つまり、リュウファさん以外に二人、将軍と呼ばれる人がいるってことですよね。字面から考えると。
「だから、俺たちはこの体に選ばれることを、光栄に思っている。人としての生は捨てることとなるが、望んだ武の極みに至るのだからな」
「武の極み、に……」
「だが、クウガと出会って初めて、俺はあいつに脅威を感じた。殺さなかった、殺せなかったことを。初めて悔やんだ」
え? クウガさんを?
「あなたはクウガさんに、その……勝ったでしょう」
「だが殺し損ねた。お前を誘拐するために、あいつを見逃さなければお前を逃がしていた。俺にとって、屈辱以外の何物でも無い」
静かに言いますが、『俺』さんの眉間に僅かながら険が浮かぶ。
「『リュウファ』と成り果ててから初めて、俺は敵を殺せなかったんだからな」
それほどにまで、自身の『リュウファ』という称号に誇りを……。
「……俺にしては、喋りすぎた」
「そう、ですか」
そんなに喋ってないと思うけどなぁ。結局、僕が攫われてる理由何にも語ってないし。
「もう、休め。明日には首都に着き、主様と謁見が待っているだろう」
「主様……ですか」
「そうだ」
「その前に、いいですか?」
リュウファさんは怪訝な顔をしました。
「なんだ?」
「なんで喋りすぎる、と思うほど僕にいろいろと教えてくれたんですか?」
「気まぐれだ。馴れ合っているつもりはない」
ぴしゃり、とリュウファさんは断言しました。これ、馴れ合いじゃないのか……?
リュウファさんの中で、越えてはいけない一線をきちんと見定めた上での会話、ってことでしょうか。うーむ、わからん。
「ただ」
「ん?」
「俺も人間だったってことだ。……精進が足りない」
リュウファさんはそう言うと、幌馬車に寄っかかって動かなくなりました。
これは、寝たな。クッキーを食べるだけ食べて、さっさと寝てる感じですね。
結局、ここに来るまでで詳しくわかった事なんて一つも無い。リュウファさんの仕事は完璧だ。こちらに有用な情報は何一つ渡してない。
ただ、この人を見て思った。敵側にも、こういういろんな考えを持ってる人も居るんだって。
「……味方側からしか、戦争に関わろうとしなかったもんな」
ぽつり、と呟きました。
そうだ、敵側にだって何か事情もあったはずだ。
僕たちはそれを踏み越えて、ここまで来てる。
後ろを振り返れば、殺された人たちで道が出来てるだろう。
「……ガングレイブさんはこんな重みを背負ってたんだな」
そう思うと、改めて尊敬の念が出てくる。
あの人は、夥しい数の死体を踏み越えて、夢を叶えたんですから。
「さて、寝る」
か、と続けようとしたとき、幌馬車の中に何かが放りこまれました。
驚いて体を起こすと、そこには一枚の紙が。丸められた紙が、幌馬車の中に。
「何故?」
思わず呟きますが、すぐに黙ります。
もしかしたら、これって……。淡い期待を抱きつつ、音を立てないように紙を開きました。
そこには……見慣れた文字が。リルさんの文字だ!
「どこかに、いるのか……!?」
幌馬車の外に出て確認したいけど、それをするとリュウファさんにバレる可能性がある。何故かこの状況で、リュウファさんが来ない。よほど気を休めてるのか……? いや、それはどうでもいい。
ともかく中身だ、中は……内容を見て、僕は紙を閉じました。
書かれた内容は簡単なもの。
『リルの発明品で、シュリを追跡しました。でも、発明品がどこにあるかまでリルは追えません。この手紙を受け取ったなら、目印と一緒に埋めてください。それを追います』
埋める……? ともかく、この手紙を埋めて目印をすればいいのか。それでわかるってことか。
どういう発明品なんだろう? 僕に関係する何かを追跡してるのか?
いや、それは考えるべきじゃない。
目印は……焚き火の後を処理するときに埋めれば良い。それでなんとかなる。
ただ埋めるのではなく、紙にどこに向かってるかを書けば、より助かりやすくなる。
……それでいいのか? 僕は余ったクッキーを食べて、考える。
結局、理由も目的もわからない。
なら、懐に飛び込むしかないのでは?
「……良し」
僕はやることを定めて、紙に文言を付け加えました。
内容は、
『グランエンドの首都に向かっています。ですが、すぐの助けは不要です。
彼らが何を目的にしているのか、これを利用して内部から調べようと思います。
死なないようには気を付けますので、ご心配はいりません』
これが正しい選択かはわからない。多分、最悪の決断かもしれない。
でも、最悪を乗り越えないと何もわからないんだ。なら、やるしかない。
「……僕にできる精一杯を、ここに」
僕はその決意とともに、紙を懐に入れて寝ることにしました。