三十四、『食えなくはない』の意味とビーフシチュー
「どうでしたか? リュウファさん」
「食えなくはない」
くそ! またか……! これで何度目になるんだろう。
晩ご飯を食べた後、リュウファさんに味の感想を聞いた僕は、再び同じ感想を聞くことになりました。
悔しい気持ちになりながら、僕は食事の後始末をします。その間にリュウファさんはさっさと幌馬車に寄りかかって寝る始末。
こうなったら意地でも、美味しいと言わせてやるからな!!
どうもシュリです。
早いものですね。リュウファさんに攫われてから、もう一ヶ月が過ぎようとしています。
これだけ日にちが経つと、すでにアプラーダ領からは離れており、見たことのない景色の国を進んでいることになります。
片付けが終わって思わず空を見ると、月明かりがとても明るく星がよく見える。良い天気だ。
正直リュウファさんとの旅は、そんなに楽しいもんじゃない。リュウファさんはそんなに喋らないし、話題もないし、任務に忠実すぎて堅苦しい。
ヘタに行動すると殺されるかも、とか思っちゃうのでそこまで踏み込んでいけないのも原因ですね。いつものように笑いも取れない。
ああ、結局ガングレイブさんたちと会えなかったなぁ。そう考えると、リュウファさんは凄い人なんだな、とこの状況でも思っちゃうわけです。
思わずリュウファさんを見ますが、今の顔は『儂』さんというご老人。無防備に寝ているようで、ちっとも身じろぎしない。完全に寝てるわけじゃなさそうです。
後片付けが終わった僕は、とっとと寝ようと思って幌馬車の中に入ろうとしました。
「そうじゃ、言い忘れておった」
そんな僕に、『儂』さんが話しかけてきました。
そちらを見ると、『儂』さんはこちらを見ず、口だけ動かしてるようです。フード被ってるからよく見えんけど。
「あと数日で、目的地に着く。覚悟しておれ」
……ん? 目的地に着く?
それってまさか!!
「てことは、ここはもうグランエンドの領地っ?」
「そうじゃ。できるだけ人里を避け、人の目を避けるルートで来たからの。気づくのが遅れるのも仕方があるまい」
「そんなに早く着いたのか……」
グランエンドが詳しく、アプラーダ領からどれだけ離れた場所にあるのかはわかりませんが……それでも一ヶ月で着くのか。
僕はそれを計算しようとしますが、駄目だ。わからん。
なんせリュウファさんが言ったとおり、人里と人目を避けるルートでここまで来ました。
それはつまり、人の目にとまるような目印も特徴も、そして人気がないことが特徴の景色の単調さが、時間感覚と地理感覚を狂わせる。
そこまで考えてここまで来たと言うのなら、リュウファさんは相当に計画を練って僕を攫ったのか、それともそういう機転が出来る頭の良い人なのか。
どちらにせよ、リュウファさんは凄い人だ。
「着いたら、他の三宝将に引き渡して儂の任務は終わりだ。後は……着いてから知るといい」
「知る、とは」
「己の沙汰。殺されるか、引き抜かれるか、それとも人質か。儂は知らん。お前を連れて来いという話だけじゃからな」
そういうと、リュウファさんの体が少し沈んで……黙りました。これは寝たな。
僕は幌馬車の中に入ると、横になって考えます。
「引き抜かれるか、殺されるか、か」
そういえば考えてなかったな。僕の処遇がどうなるかなんて。
そもそも……なんで僕は攫われたんだ? それがわかんない。
そうだ、そこから考えなきゃいけなかったんだ。グランエンド……確かレンハさん、ギングスさんの母親の故郷だったはず。それを今思い出しました。
僕は所詮料理人だ。料理を作る事でしか、この世界での居場所を確保することができなかった。
そんな僕を攫って、どうするつもりなんだろう? どうして攫う必要があったのだろう。
攫う、必要? ……なんか引っかかるな。
そもそも料理人に用事があるなら、国家間での外交なりなんなりと穏やかに済ませる方法はいくらでもあったはずだ。どうしてガングレイブさんにこんな喧嘩を売る真似をしたんだ……?
幌馬車の天幕を見ながら考えても、結局結論が出ませんでした。
それでも少しわかったのは、相手方は何やら僕に攫うという行為に走らせるほどの価値を見いだしたと言うこと。そしてそれが僕にはわからないということです。
「……あ、そういえばこの旅も、あと数日で終わるのか」
ふとそれを思いつくと、僕の胸にグラグラと悔しさが湧き上がる。
結局、リュウファさんに美味しいと言わせることができなかった。旨いという言葉を、聞けなかった。
確かに限られた物資という制約はあるけども、それにしたってご飯を作ってもらってる相手にお礼も感想も言わないのはどうなんだ!
「よし、あと数日あるんだ。最終日に合わせて、とっておきを出してやる」
僕はそう決めると、物資の中を探り、必要な材料と手順を確認しました。
こうなったらとことんやってるよ!
そして、数日が経ちました。
とっておきの一品を出すために、数日掛けて下ごしらえをしてる僕です。物資の確保とか、リュウファさんへの食事も手を抜いてませんよ。
「……食えなくもなかったよ」
そして昼。リュウファさんはいつも通りの感想を言って、御者席に戻ろうとしていました。
が、そこでこちらを振り向きました。今の顔は『うち』さん。美少女の人です。
「ところで、何をしてる?」
「え?」
「とぼけないで。あなたが数日前から何かしてるのは知ってる」
「そんなことないですよ?」
「なら後ろにある下ごしらえされた食材は何」
バレたっ。段々と積み上がる物資の陰に隠してたのに!
「それは、料理のために」
「……まあいい。どうせ明日には到着する。何をしてももう遅い」
「遅くはないです!」
僕は思わず叫んでいました。
「遅くはない! まだ今日、晩ご飯があります! そこで」
「そこで? 逃げる算段?」
「逃げませんよ!」
ジトーッと『うち』さんが見てきますが、危ねぇ。口を滑らせるところだった。
まさかとっておきの料理を出そうとしてるなんて言える訳がないからなぁ……驚かせてやんよ!
「……下手なことをすれば四肢を切り落とす。いいね」
「あいさー!」
怖!! 『うち』さんの目が本気だよ! 怖くて仕方が無い!
『うち』さんはそのまま御者席に戻り、手綱を握って幌馬車を進めました。
……まだ遅くない。あと一回、晩ご飯で必ず美味しいと言わせてみせるからな!
そして晩。僕は幌馬車の外のたき火に鍋をセットして、最後の調整をしていました。
まだ月明かりがあるので、明るくていいな。調理しやすくて助かる。
「……戻った。晩ご飯にしよう」
いずこかに消えていたリュウファさんですが、これまたいきなり現れてきました。
なんか、リュウファさんがしょっちゅう消えるんだよな。何をしてるんだろ? 辺りの調査かな。
「ええ。出来てますとも」
そして僕は得意げな顔をして言いました。
「今日は最後みたいですからね。とっておきの料理を出しますよ」
「あっそ」
く、リュウファさんが冷たいっ! 今の顔は『僕』さん。この人は寡黙で反応が淡泊なんだよなぁ。
だからこそ旨いと言わせるに相応しい。僕は自信満々に料理をリュウファさんに出しました。
「……これは?」
リュウファさんが僕に聞いて来ました。
「それはビーフシチューですよ。すげえ美味しいんで、食べてみてください」
僕は得意げに答えました。
そう、時間をかけて作ってたのはビーフシチューです。これ、時間と手間と材料を増やすと味が凄くよくなるもんね。
今回はかなりの材料を使いました。
牛肉、塩、砂糖、リンゴ、黒胡椒、たまねぎ、ニンジン、ジャガイモ、にんにく、小麦粉、オリーブオイル、赤ワイン、トマト、はちみつ、水、コンソメ、ローリエ、バター、デミグラスソースです。
デミグラスソース、コンソメに関してはここ数日で作りました。めっちゃ苦労したわ。器具が限られてるから、使えるもの全て使ったよ。
まず肉の下ごしらえでは、美味しく柔らかくするために前日からお肉の仕込みをします。
牛肉、塩、砂糖、りんご、黒胡椒、を、一緒にボールに入れて揉みます。
シッカリと揉み込みますけど、牛肉は手の温度でも牛脂が溶け出してしまいますので
冷たい手で手のひらではなく指先でシッカリと揉み込むように、かつ手早く揉み込みます。
次の日に玉ねぎを櫛形切り。、半個はすりおろしにして、人参はタテ半分に切ってから乱切りにします。じゃがいもは皮を剥いて丸ごと切っておきます。
にんにくも半分に切ってから、すりおろしにしておきます。
ここで芽を取っておき、焦げ付きにくくするためとにんにく独特の臭みが残りにくくしておきましょう。
すりおろした玉ねぎとすりおろしたにんにくをオリーブオイルを炒め煮る感じにします。
いい香りが立ってきたら、お肉を入れます。つけておいた牛肉を漬け汁ごと入れて肉の面が鍋にしっかりと付いて表面に均等に火が入るようにします。野菜分を炒めながら、両面、表面だけ火を入れる状態に焼きます。
小麦粉をダマができないように全体にふりかけながら、お肉の両面に焼き色が入るまで焼きます。一番良いのは薄力粉ね。小麦粉は、旨味を逃さないようにと、後はとろみの手助けになります。
玉ねぎの水分があるので、焦げ目はつきにくいですが、お肉の色が変わるまで焼きます。
煮込むので、ここで火を完全に入れませんよ。
ここに赤ワインを入れて、トマトの角切りを入れまして、さらにはちみつを入れます。
後はここに柔らかく煮込むために水を入れます。そしてコンソメを入れましょう。
んで、フタをして煮込みます。んで、灰汁が出るので取っておきます。全部捨てないのがポイント。できたら切った野菜は、一度に全部入れます。
できればウスターソースが欲しい……! でも現状で作るのが難しいので、仕方がありません。あったらもっと美味しくなるんだけどなぁ……。
っと、ローリエを入れてフタをして煮込みます。煮込んだらバターとデミグラスソースを入れてさらに煮込めば完成。
一日おけばもっと美味しいぞ!
「では食べましょうか」
僕も料理を取り、口に運びました。
うん、旨い。色んな食材を、いろんな工程を踏んで入れた美味しさがある。
肉も柔らかく出来てるし、口の中いっぱいに旨みが広がる。
ビーフシチューは、その使われる材料の多さから、キチンとした調理を施せば多くの食材の旨味を楽しむことができます。
だからこそ、口いっぱいに広がる肉と野菜の旨味がたまらない。
もう少し時間があれば肉も野菜ももっと柔らかくできたのでしょうが、今の段階でもスープの旨味を吸った野菜はほどよく歯ごたえを残し、噛めば噛むほど内包する旨味を楽しめる。
口に運び、鼻で少し呼吸をすれば、口に広がる風味を鼻でも楽しめる。施された臭い消しによって嫌みな臭いは何もなく、さらに食欲を沸き立たせる匂いに頭が冴える気持ちです。
これならどうだろうと、ビーフシチューを食べながらリュウファさんを見ましたが。
いつもと変わらないなぁ。黙々と食べてる。
「リュウファさん、どうですか?」
僕は意を決して聞いてみました。はたして、答えやいかに……。
「……うん」
『うち』さんは表情を変えずに言いました。
「食えなくはない」
……。
「そうですか……悔しいなぁ」
僕の言葉に、『うち』さんが驚いて僕を見ました。
初めて見たな、こんなリュウファさんの表情の変化を……?
「悔しい? 何故悔しいの?」
「結局、あなたの口から『美味しい』と聞けなかったので」
僕はビーフシチューを食べながら言いました。
「僕はですね、途中からあなたに『美味しい』と言ってもらえることを目標にして、料理を作ってたんですよ。くだらないかもしれませんけど、この旅の中で叶えたいと思った目標なんです。
せめて料理で『美味しい』と言わせたなら……ただ誘拐されてる僕でも一矢報いれたかな、と」
「だからこの料理を」
「そうです。現在、今ある物資で作れる最高のものを作った……つもりです。でも駄目かぁ」
僕はうつむき、苦笑しながら言いました。
「悔しいなぁ」
僕はそう言うと、ビーフシチューをおかわりしようと手を伸ばしました。
すると、その手をリュウファさんが握る。驚いて引っ込めようとしたけど、力が強くてできませんでした。
「な?」
「それは誤解だ。うちたちリュウファ・ヒエンという人物は、シュリの料理に不満はない」
「不満は、ないですか」
「そうだ。この旅の中で、少なくともうちらは料理で不満を思ったことはない。誇って良い」
「誇れるのですか、それ?」
不満はなくて食えなくもない料理で、誤解とはなんだろう。美味しいという言葉が欲しかったのですが。
リュウファさんは手を離すと、自身の舌を指差しました。
「うちらは六人で一人、肉体を共有している。つまり、臓器や感覚器官もだ。舌だって例外じゃない。うちらは、それぞれが好む味がバラバラだ」
「え? ……あ」
「わかった? リュウファは食べた食事の味の感触が滅茶苦茶なんだ。美味しいと思って食べた料理も、誰かと表面を交代したときに舌の感覚が変わるから次に食べたときに、同じ美味しさを感じることがない。それは一口食べれば味が変わるようなもの。だから、うちらは食事を義務だと思って、味に関して無頓着でいようと思った」
そうか、それを考えて無かった! リュウファさんの特異体質に関して、あまりにも無頓着すぎた。そして、自分の不甲斐なさに腹が立ちます。
リュウファさんは六人で一人。だから、感覚器官だって人とは違う。顔に目玉が表れるような人だから、舌だって違うはずなんだ。
変化すればするほど、舌の味蕾が感じる味に変化が出てしまう。美味しいと思える食事にだって、美味しいと思えないときがあるかもしれない。
だから僕は聞くべきだった。『リュウファさんが不満なく食べられる食事はどんなのですか』と!
相手のことを思いやることを忘れ、ひたすら僕が、『シュリ』が美味しいと思う食事しか出さなかったんだ。
「……ごめんなさい。リュウファさんのことを何も考えてなかった」
「いや、うちも説明しなかったから。うちらは君に、できるだけ情報を渡さないように気を張ってたから。でも、君がうちらのことを考えていろんな料理を出してくれたのは、嬉しかった」
「でも、食えなくはない。美味しいものを出せませんでした」
「うちらにとって、最後まで食えなくはないは最上級の褒め言葉なんだ。なんせ、舌の感覚が違うから。この旅路で君が作ってくれた料理はどれも、最後まで食べられた。不満はない。だから、君にありがとうと言いたい」
え?
「うちは少なくとも任務を全うしようとした。でも、君がうちらに美味しいと思える料理を出そうと努力してたのはわかったから。その上で一線を引くために、『俺』以外はあえて君と距離を取ろうとした。……君はそんなうちらのために努力をしてくれた。だから、ありがとう」
「リュウファさん」
僕が言葉を続けようとすると、リュウファさんの顔が変化しました。
変化が収まったときには、『俺』さんの顔が。
「そういうことだ。他の奴らはお前に感謝してる」
「あ、はい」
「だが、馴れ合うことはできん。少なくとも『俺』はな」
「……」
「それが互いのためだ」
そう言うとリュウファさんは、鍋からおかわりを取って食べ始めました。
「……久しぶりだよ。俺たちが最後まで食べきれる料理が出たのはな」
「そうですか」
僕は思わず、笑っていました。
「なら、鍋にある料理を最後までどうぞ」
「そうする」
人が変われば、味覚も変わる。
そんな人として当たり前の、気遣うべき注意。
それを思い出せた、僕でした。