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傭兵団の料理番  作者: 川井 昂
一章・僕とターニングポイント
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二十七、結婚衣装とピザ・前編

 砥石に刃物が研がれる音が響く。誰もが喋らない中で、僕は次に向けて包丁の手入れをしていました。

 クウガさんも持ち物の剣の手入れを行い、リルさんは馬の手綱を握って運転を。

 エクレスさんはというと、僕のしていることをジッと楽しそうに見ています。

 青空の下、幌馬車の中で、僕たちはゆったりと過ごしていました。

 どうもシュリです。皆様こんにちは。


「次の村はどこですかね?」


 揺れる幌馬車の中で、僕は包丁を研ぎながらエクレスさんに聞きました。

 主要となる村々の理解を得るための旅。次は果たしてどんなところなのか。


「ん? 次の村?」


 僕の包丁研ぎを見ていたエクレスさんは、あざとく首を傾げながら答えます。くそ、可愛いじゃねえか。


「次はね、かつてのスーニティで糸や布を納めてくれていた村だね。名前はシュカーハ」


 ふむ。糸や、布。それはまた重要なところだなぁ。

 当たり前ですけど、糸や布は人が文化的な生活を送る上で重要なものですからね。服に始まり、医療用の布、料理用の糸とかいろいろと。

 それを納めていた村、か。そこもガングレイブさんに良い感情を持ってないんだなぁ。


「糸や布といったら結構大事なものですね。今はどうなってるんですか?」

「うーん。向こうから書状は来てたんだよ」


 エクレスさんは幌馬車の端に寄りかかって言いました。


「私たちはスーニティだから、納税の義務を果たしてきた。しかしこの国がスーニティでなくなったのなら、その義務を果たす義理はないってさ」

「うわ。それはまた盛大に喧嘩を売られてますね」


 僕は思わず顔をしかめて言いました。

 一介の農村がそこまで言い切ってガングレイブさんに逆らうとは、よっぽど自信があるんですよ。支配を離れても生き残れるとか、新しい後ろ盾を得たとかそういう奴。

 一番面倒くさいパターンじゃないですか。関わりたくないです。


「エクレスさんの感想としては、向こうさんはどういう計算でやってると思います?」

「新しい販路を得たとか、別の領主の庇護下に入れそうだとかかな。

 ……どうだろうなぁ。シュカーハ村の糸と布は確かに質が良いけどね。だからといっていきなり別の領主や取引先を見つけて売れる、みたいなことはないと思う」

「それはどうして?」

「簡単だよ。あの村はあくまでも糸と布を生産する村であって、商売する態勢は整えてないんだ。まあそういう風に扱ってきたってのもあるけどねー。下手に外と商売されても敵わないから、うちで適正な値段で引き取ったり、納税としての布の質や量も気を使ってきた。うちと取引して、庇護下に入っていれば商売まで気を回さずに製糸と織布に集中できるって楽ができるようにね」


 なるほど。つまりは生産する職人としては一級品だけど商売人としては未経験のはずだ、と。

 でもなぁ……。


「そうは言っても、商人が見たら取引させて欲しいって言うもんじゃないですかね? 品質の良い糸と布ってのは」

「まあね。あるいは、それかなぁ……でもね、この考えをさっき訂正したのは、ボクが視察に訪れたときには彼らはあくまでも職人って感じがしたからなんだよねぇ。付き合いがないうちに、向こうの気質が変わったのかなぁ?」


 エクレスさんが指を組みながら言っていると、チンと納刀の音が響きました。

 そちらを見ると、剣の手入れが終わったらしいクウガさんが剣を鞘に収めています。


「気質なんてそう簡単に変わらせんと思うがの」


 ここでクウガさんが口を開きました。剣を手入れするための打ち粉や砥石といったいろいろな道具を片付けながら続けます。


「特に職人なんてのはその最たるもんやぞ。自分が生涯で得た技術と、それに裏打ちされた経験、そして世間の評価。そうやって手に入れて形成された気質って奴は頑固なもんや。別の理由があると思うけどな、ワイは」

「へー、クウガはわかるんだ。試しに聞くけどなんだと思う?」


 エクレスさんが茶化すように聞くと、クウガさんは腕を組んでそれを見た後、答えました。


「例えば、やが」

「うん」

「その仕事について貶された、からとか」

「なんだよそれ?」


 クウガさんの答えに、エクレスさんはむくれて言いました。


「ボクは彼らの扱いには、特に気を払ってきたつもりだ。鍛冶師や大工と同様、彼らも職能領民で技術屋だよ。領民はみんなそうだが彼らも大事な領民だ、尊重してきたとも」

「いや、ワイはあくまで予想で言っただけや。なんとなく技術屋がキレる理由なんてそれくらいしか思い浮かばんかった。それだけやぞ」


 そういうとクウガさんは横になって楽にしてしまいました。


「ワイはそこまで頭がええ方じゃないんでな。勘しか言えんわ」

「ボクが彼らをないがしろにした、と?」

「いや、お前やないわ。あるいはガングレイブかもしれんし。これも勘やけど」

「それってどういう」

「着くまでワイは寝るわ。着いたら起こしてくれや」


 え、ちょっと説明は?

 僕がそれを聞く前に、クウガさんは本当に寝息をたてていました。

 傭兵団時代からの習慣で、寝たいときに寝て起きたいときに起きるという、なかなか便利な特技をここで発揮したわけです。発揮すんなよ。

 しかし困ったなぁ。僕が困って頭を掻いている横で、エクレスさんも困った顔をして溜め息を吐いていました。


「はぁ……合理的な理由の他の可能性か」

「え?」

「クウガが言いたかったのは多分ね、利益や合理的、効率的と言えばいいのかそういう理由じゃないって意味だと思うんだよ、ボクはね。

 つまり、感情論だよ。単純に許せないってこと」

「それは……ガングレイブさんが新しい当主になって領地の名前すら変えてしまったことが?」

「そうだね。その可能性を考えるべきだった。彼らにしてみれば、故郷を他人が勝手に変えちゃったんだ。名前も、伝統も、何もかも。感情的に許せない人がいてもおかしくなかったよ」

「それだと説得は難しくないですか?」

「ボクもそう思う」


 もう一度エクレスさんは大きく溜め息を吐いて、困ったように目を閉じました。

 まあエエレ村でも似たような感じだったし……仕方が無いでしょうね。


「お話のところ悪いけど」


 ここで前の方から……リルさんの声が聞こえてきました。


「地図が正しかったら、もう二時間したら目的地に到着する予定。休むことをオススメする」

「あ、もうそんなところですか」


 僕は幌馬車から顔を出すと、確かに周りの様子が変わってきました。

 具体的に言うと、街道の整備が良くなった。途中まではただ道がある程度でしたが、ここら辺は道が均されてる感じ。あと景色も先ほどとは随分と違う。


「まあ、到着してから考えよう。シュリくんも休んだ方が良いよ。ボクも少し休むから」


 振り向くと、エクレスさんは眠そうに欠伸をしてから、体を伸ばして横になりました。

 寝ようとして目を閉じてる辺り、この人も結構旅慣れてるよなぁ。視察してたって言ってたから、こういう旅にも慣れてるのかも。

 じゃあ僕も少し休もうかな。そう思って適当に横になろうとしたら、いきなりエクレスさんが目を開き、自分の隣をバンバンと叩き始めました。


「ここで可憐な少女が寝てるんだから、それに甘えて隣で寝るのが一番良いんじゃないかな!?」

「遠慮します」

「なんでだよ!?」

「なんか……変なことされそうだから」

「ボクはそんなことしないよ! 寝てるんだから、ちょっと足が絡まっても仕方が無いよ!」

「それですぞ」

「やかましいぞ!」


 クウガさんにうるさいと怒られました。





 で、少し仮眠を取っていたら微睡みの中でリルさんの声が聞こえてきました。


「シュリ」

「む……」

「シュリ……そろそろ起きて」

「はい……了解です」


 僕は眠たい目をこすって起き上がろうとすると……なんだか体が重いぞ?

 しっかりと目を覚まして首を動かしてみると、なんとエクレスさんが抱きつくように寝てやがるじゃないですか。


「むにゃむにゃ……そんな……! そんな恥ずかしいこと……! でも……」


 不穏な寝言が聞こえてきますが、誓って僕は何もしていません。

 隣を見ると、なんと幌馬車に寄りかかって寝てたはずのクウガさんが健やかな寝顔を見せて寝ているじゃないですか。


「……そこやシュリ……そこで一撃を……」


 え? どんな夢見てるの?

 端から見たら美女二人に寄り添ってもらって寝てる平凡男の絵柄だけど、片方は男だし片方は男装女性だし。下手したら男三人で寝てる……いや、考えるのは止めよう。

 ていうか、クウガさんはこんな安らかな表情というか穏やかに寝てる、というのを初めて見るな。顔つきも相まって綺麗な寝顔だ。

 しかし、いい加減ここから起きないとリルさんに怒られてしまうでしょう。

 そこで僕はエクレスさんを起こさないように抱擁を解き、隣に寝ていたクウガさんの足に絡まるように動かしておきました。


「くけけ、起きたら驚くが良い」


 イタズラ心でそのままにして、僕は御者席に出てリルさんの隣に座りました。


「おはようございます。着きましたか?」

「うん。ほら、あそこ」


 リルさんが指差した先を見ると、確かに家が見えてきました。木造の立派な家々がいくつか。

 そしてその中で目を引く、大きな木造の工場らしき建築物が二つ。あそこで製糸したり織布してるわけかな……?

 なるほど、あんだけ立派な工場があるなら領主に糸や布を納めていた、と言う話も頷けますね。それができるだけの施設があるってことなんですから。


「それと、シュカーハ村特産の綿花畑の景色もそっちに」

「おお」


 リルさんが示す先を見ると、そっちには畑いっぱいに広がる綿花が。広大な面積の土地を綿花栽培に使ってるらしく、かなり先まで綿花が見えます。

 しっかし……これは。


「食糧問題ってどうなってるんですかね」

「というと?」

「いえ、肝心の自分たちの食べる分の食料はどこで畑作してるのかな、と。これだけの綿花を管理して栽培するなら、相当な労力と人員が必要なはずですから」


 当たり前ですが、ここは地球ではありません。農業機械も殺虫剤もない。

 それなのにこれだけ広大な畑を管理、維持する労力は半端じゃないはず。

 その上、肥料とか水もどうしてるんだろう? 綿花の肥料が普通の畑の肥料と同じで良いのかわかんないですけど、少なくとも畑の土の品質を保つためには何かが必要なはず。

 それだけの労力が必要な中、自分たちが食べる分の畑はどうしているのか? 気になるなぁ。


「当然の話ですけど、畑だってほっときゃいいわけじゃないですからね。管理、維持、保護を考えたら自分たちの食料を作ってる場合じゃないかなと」

「おわああああああ!?」

「なんじゃ!?」

「このすけべ!!!」

「おべ!?」


 そんな感じでリルさんと話していると、後ろから叫び声と怒鳴り声と悲鳴が聞こえました。どうした!?

 後ろを見ようとしたら、僕の隣に勢いよく誰かが出てきました。


「シュリ!! 聞いてくれ!」

「どうしましたクウガさん?」


 そこにはクウガさんが居ました。そして右頬には赤い手形が……。


「なんか良く知らんが、寝てたらいつの間にか床で寝ててエクレスが足を絡ませてきとったんじゃ! ワイは知らんのにいきなりエクレスが張り手をしてきたんじゃが、どうなっとんじゃ!」

「それはこっちの台詞だよ!」


 さらに後ろからエクレスさんが涙目で出てきました。


「ボクはシュリくんと寝てたはずなのに、どうしてクウガがボクの隣で寝てるのさ! どうなってるのさ!?」


 そこから二人とも叫びながら自分たちの話をしますが、僕は正直なところ内心で冷や汗をかいていました。

 まさかイタズラがここまで酷くなるとは……ここは一つ。


「さあ?」


 とぼけました。





 そしてシュカーハ村に着いた僕らは幌馬車を村の入り口に置いて、村に入りました。


「このエロ野郎」

「色情男装女」


 後ろでエクレスさんとクウガさんの呪詛のような争いが延々と聞こえますが、ちゃんといつか誤解を解かないと……解けるかな?


「それで、エクレスさん。ここの村長さんは……」

「多分この時間だと、あっちの製糸工場じゃないかな? 紡績もやってるんだよ」

「紡績も」


 そうか。製糸と言えば蚕の繭から糸を作ること、紡績は綿花等の動植物から糸を作ること。

 よくわかってなかったんですが、製糸と言えば糸を作る事とひとくくりに考えてましたけど……ということは。


「てことは、あっちの別の工場は蚕の養殖場か何かで?」

「正解。あれだけの規模で作っておかないと、需要と供給が釣り合わなくてね」


 なるほどなー。


「ちなみに食料なんかはどうしてるんですかね? そういう畑が見当たらないですけど」

「基本的に狩猟と野草の採集、それと定期的に訪れる商隊からの買い付けかな。うちも補助してるから、食糧不足にならないようにはしてるつもりだよ」

「なのに、言うことを聞かなくなったと」


 なるほど。糸を納めると同時に糸を売ってると。そうかなとは思ってましたけどね。

 さて、そうなると村長さんはどういう人かな。気になりますね。


「じゃあ会いに行こう。こっちだよ」


 僕はエクレスさんに誘われるままに、製糸紡績工場の方へと足を向けました。

 入り口の扉を開けると、僕は驚きました。


「こりゃ富岡製糸場みたいだな……」


 中は熱気が凄い。確か学生の頃の社会見学で製糸工場へ見学に行ったことがありますが、そんな感じでした。

 繭から糸を作るために煮繭と呼ばれる、湯を使って繭を解きほぐす工程をしてるために、湿気と熱気が凄い。あちこちで糸を作るための作業をしてる人がいます。

 同時に紡績も行われていて、その作業も見えました。へー、こうなってるんだー。

 そんな感じで感激してる横で、リルさんがブツブツ呟きながら何かを考えてました。


「リルさん? どうしました?」

「この機械……魔工道具も使われてる……? 単純な作りだけど……職人がその性能を使い切るとこうなるのか……」


 どうやら魔工師の目線で、作業道具を見てるみたいでした。


「なんでもええけど暑いわ。さっさと用事を済ませて帰ろうや」

「うーむ、正直僕もクウガさんと同感ですかね……」


 見てて面白いのですが、なんせ暑い。暑くてジットリしてる。たまんないです。

 その中でエクレスさんが工場の奥に進んでいると、老人が出てきました。


「これは! エクレス様ではございませんか……っ! よくぞご無事で!」

「久しぶり村長さん。……え? 無事?」

「ここまで逃げてこれたのですね……すぐに他の村と連絡を取り、匿う準備をしますとも」


 なんか村長さんが早口でまくしたててるけど、エクレスさんは何が何だかって感じで戸惑ってます。何だあれ?

 ……あ、そうか。


「なんやあれ? どうしたんや?」

「多分、ガングレイブさんのもとから逃げて来れたって思ってますね、あれ」


 僕の言葉にクウガさんがギョッとした顔をしました。

 よく考えたら、そう思われる可能性だってあったんですよね。ガングレイブさんの体制に不満があるって人の中には、エクレスさんが不当に扱われていて逃げ来るんじゃないかって信じてる人も居るって。

 ここもそう思ってた節なんですね……。


「ご安心くださいエクレス様。このシュカーハ村、エクレス様には多大な御恩を受けたことは忘れておりません! 当面の生活、と不義理なことは言いません。 いつまでも居てくださって構いませんし、繋がりのある商人を使って人を集め、あの残虐非道のガングレイブからこの領地を」

「ま、待った! 誤解をしてる!」


 ここでようやくエクレスさんが正気に戻ったらしく、村長さんの言葉を止めました。


「落ち着いて話そうか……村長の家に行こう」


 こうして、村長さんの家に行くことになりました。





「そうでしたか……エクレス様はご自分で引退なされたのですね」


 村長さんの家に招かれた僕たちは、そこで改めて説明をすることになりました。

 最初の頃は僕たちがガングレイブさんの仲間だと知って、今にも掴みかからんばかりの様子を見せていましたが、どうにか落ち着いた様子。

 村長さんの家の外の窓には、どうやら僕たちが来たことを聞きつけた村人の方々がこれでもかと詰めかけて、僕たちの様子を伺っていました。


「そうだよ。ボクでもギングスでも、この先の乱世を渡りきる才能はないからね。ボクは内政を、ギングスが軍事を担当してたわけだけど、お互いが地位と仕事で能力を磨いたようなもんだから、お互いの長所を補えば良かったんだけど……」

「ですが、領主の座は一つ。派閥は二つ……なるほど、確かにいずれは崩れますな。だから、いっそのこと自分たちの長所を兼ね備えた第三者に任せた、と」

「もちろんボクとギングスも、新しい領主が暴走しないように監視する。そのための部門を持つことをガングレイブは了承している」


 え? そうだったの?

 エクレスさんと村長さんの話を隣で聞いていた僕は、思わずクウガさんとリルさんの顔を見ました。

 二人が頷いたので、確かにそうらしいです。知らなかったわ……ガングレイブさんもだいぶ、エクレスさんたちに配慮してたんですね。


「……事情はわかりました。そういうことでしたなら、(わたくし)どもの懸念の一つは晴れました」

「それなら」


 エクレスさんが身を乗り出して笑顔を浮かべましたが、村長さんは難しい顔のまま腕を組んで答えました。


「それでも、恭順の意を示すのは、難しいです」


 その言葉に、僕たちは固まりました。

 窓の外を見ると、村人の人たちも頷いてますし……。


「それは、どうしてか聞いてもいいかい?」

「それはですね」


 と、村長さんが答えようとしたところ、誰かが乱暴に扉を開けて部屋の中に入ってきました。

 そこには健康的に小麦色に肌を焼いた、青年が立っていました。


「じいちゃん! エクレス様が来てるって聞いて来たぞ!」

「マンセムか」


 村長さんは疲れた顔をして言いました。

 マンセムと呼ばれた青年は、ずかずかと中に入ってきました。

 村長さんの隣に立ったマンセムさんは僕たちを睨んでいます。


「どういう事情で来たのか知らねえが、エクレス様が無事で良かった。 こいつらは? 護衛?」

「違うぞ、マンセム。誤解を解いておくが、こちらの方々がガングレイブ領主の仲間だ」

「なんだと!」

「エクレス様はご自分で領主の座を明け渡したとのこと。だから儂らが抱いていた懸念はない」

「それでも、あいつに従うのはごめんだぞ!」


 マンセムさんは悔しそうな顔をして拳を握りしめました。


「あいつは! ガングレイブは俺たちを無視したんだ! 領内一の糸と布を生産する俺たちを差し置いて結婚式をあげたからな!」

「……あ!!」


 マンセムさんの言葉に何か心当たりがあったのか、エクレスさんが口に手を当てて声を漏らしました。

 どうやらエクレスさんには事情が全てわかったようです。僕たちはさっぱりわかんないけど。リルさんもクウガさんも何の話かと目をまん丸にしています。

 ちょっと、聞いてみましょうか。


「失礼ですが、それはどういう意味か聞いてもよろしいですか?」

「簡単だよ! 領主の一族の方々が結婚式を挙げるときは、俺たちが丹精込めて作った婚礼衣装を送るのが通例だったんだ! 糸と布作りに命を懸ける俺たちが、領主様のために作る一世一代の晴れ衣装! それを無視してガングレイブは結婚式を終わらせた!」


 あ、ちょっと事情がわかってきたぞ。


「えっと、つまり領主の結婚式にはシュカーハ村特産の一番の布と糸で作った婚礼衣装を送るのが普通だった、と」

「そうだ! ……俺たちは所詮糸と布作りしか能の無い職人バカの集まりだ」


 マンセムさんはさらに悔しそうに俯いて続けました。


「普通だったら畑を耕して、糸と布作りは二の次になる。当たり前だよな、自分たちの食い扶持を稼げても自給自足ができなきゃ話しにならねえからな。

 でもエクレス様は違った。俺たちの職人仕事を保護して、仕事に集中できる環境を作ってくださった。そのおかげで、ここ数年の糸と布の質は段違いに上がった。商人の耳にも入り、取引ができるようになった。前よりもこの村は格段に豊かになったんだ。

 それだけじゃない。今までは糸作りを馬鹿にして出て行く若者も多かったけど、仕事に誇りと自信ができてからはそれも減った。むしろ俺たちに技術を教えて欲しいと他の村からも人が来るほどだ。エクレス様には感謝してもしたりねえ。足を向けて寝られねえほどだ」


 そこでマンセムさんは涙を零し始めました。


「それが、エクレス様が領主の座を引きずり落ろされたと知らせが来た。商人伝いでな。そして簒奪者のガングレイブが結婚式を挙げると聞いた。

 俺たちは迷ったよ。簒奪者でも今の領主はガングレイブだ。結婚式とくれば婚礼衣装の依頼が来るのは間違いないと。無視するべきだという意見も多かった。俺だってそうだ。

 でも、それしか能の無い俺たちだ……それはできないとはね除けてしまったら、どうなるかわからねえ。だから俺たちは断腸の思いで依頼が来れば受けると決めたんだ」


 マンセムさんは顔を上げて、涙まみれの顔のまま机を殴りつけました。

 そして先ほどよりも強く、僕たちを睨んできました。視線だけで人が殺せるほどの怒りを滲ませて。


「だが無視された! 俺たちに話が来たのは、それから結婚式が終わってからだ! 俺たちがどんな思いで依頼を待ってたのか知らねえよな! 知らねえから無視して、結婚式を終わらせた! 俺たちの誇りに唾を吐きかけたんだ! お前らなど知らんと言わんばかりにな!」

「それは」

「言い訳なんて聞きたくねえ」


 僕が口を開こうとしたときに、マンセムさんはそれを遮りました。


「だから俺たちはお前らに従えない。そっちが無視するなら、俺たちは俺たちでやらせてもらう!」

「マンセムくん、それは違う、違うんだ。それは全面的にボクが悪い」


 エクレスさんは立ち上がってマンセムさんの殴りつけた拳に手を添えました。


「忘れてたわけじゃないんだ。無視したわけじゃないんだ。ガングレイブは確かに領主になったけど、回りのことまで考えが至ってない。それを補助するために、ボクが進言するべきだったんだ。

 本当にすまない。本当に……ボクの落ち度だ」

「エクレス様のせいじゃない! エクレス様のせいじゃないんだ……! それでも、俺たちは悔しいんだ……!」


 涙を流すマンセムさんと、それを慰めるエクレスさん。

 回りでも同じ考えだったようで外にいる人たちも苦々しい顔をしていたりとか、村長さんも俯いて眉をしかめています。

 確かに、自分たちの仕事の誇りを汚されちゃたまったもんじゃない。僕は料理人という立場でしか感じられませんが、確かにガングレイブさんが肝心の結婚式で料理を作るなと僕に言ってきたら、裏切られた気持ちになるだろうし悔しい。

 この人たちはそれ以上に悔しくて悲しくて、どうしようもなかったに違いありません。

 だからこそ、涙するほどの人もいるのだから。


「僕、ちょっと外に出ますね」


 僕は場の空気にいたたまれずに、部屋から出ようとしました。


「ワイもや。おらん方がええやろ」

「リルも」


 クウガさんとリルさんも一緒に着いてきました。

 三人で村長さんの家を出て、フラフラと歩いて、そして誰も居ない広場で思わず僕は崩れ落ちるように座っていました。

 地面の熱さと空の青さが、今はどこか遠くに感じる。

 クウガさんとリルさんも同じ気持ちだったそうで、僕たちは向かい合うように座りました。


「……ワイは知らんかったわ」


 クウガさんは鞘を腰から抜き、地面に置きました。


「これが国を持つってことなんやな」

「うん」


 リルさんは頷きました。


「遠くの知らない人の気持ちまで考えないといけない。リルは、全然考えが及ばなかった。ガングレイブはこれから、こんなにもたくさんの柵と戦うんだって」

「僕もですよ。僕はガングレイブさんを支えてるつもりでいましたが、肝心なところで何もできてませんでしたね」


 僕たちは互いに心情を吐露するように、吐き出すように続けました。


「もしかしたら、他の村でも似たような感じじゃないんか? 前の村は……まあ解決したと思ってええけど」

「あり得ますね。僕たちが知らずに無視したことで、というかそれが原因で反意をもたれてると思った方が」

「ガングレイブにすぐに知らせた方がいい」

「同感です。手紙をしたためて、調査結果という名目で届けた方がいいです」


 他の村でもきっと同じはずです。前の領主時代に貢献してきた人たちが、何かの形で無視されてキレてると。


「リルさん、手紙をお願いします」

「わかった。シュリは?」

「僕はクウガさんと一緒にあそこに戻ろうと思います」

「は? 何をするつもりや?」

「少なくとも、それに原因があるなら話すことがあります」


 僕は村長さんの家の方に再び足を向けました。


「そして、やらないといけないこともありますから」

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― 新着の感想 ―
[一言] ガングレイブなんも悪くない エクレスを始めとするその地に根ざした人たちの落ち度じゃん
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