閑話、その悪意は静かに芽吹く
「それで? これが報告書じゃと?」
「その通りでございます」
その国は、今この大陸で一番の勢いがある国だった。
アルトゥーリアでも、ニュービストでもない。
国としては異例の早さで発展してきた。その成果は、国土の急激な拡張によって証明されている。
和のテイストを盛り込んだ城内……釘を一本も使わない組み木細工の建築用法が採用されたその建物は、見る者を魅了する職人芸の極地。
防衛面においても、周囲に空堀と高い塀、そして大砲を常備しているため、これを落とすのは容易ではないだろう。
何より、そこは天然の要害に建てられてる。背後には高く聳える崖があるため、敵は嫌が応にでも正面から戦わなければならなくなるのだ。
自然と調和したその国土は、ニュービストの聖木のような荘厳さはないものの、見るもの心を癒やす緑に恵まれた土地だ。
そこは、グランエンドと呼ばれる国。
数十年前までは、その自然と共に生きるような静かな国……とでも呼べばよかったのだろうか? ともかく、国土を広げようとするような野心はなかったし、国民も穏やかな人が多い国。
しかし、数代前の国主と呼ばれる王が、突如として方針転換を行った。急激な土地の開発、改革、技術開発、行政の整備……。
その急激な国の動きに抗った者もいたし、危機感を持った者も少なからずいた。
しかし、今では一人として生きていない。グランエンドで伝えられる「血の改革」によって、ほとんどが粛正されたからだ。
そして数代に渡って、国主に選ばれた王は国土の開発を推し進め、周辺諸国と戦争を繰り返して勝利を重ね、とうとう巨大な国土を手に入れた。
今では国としての歴史の浅さとはアンバランスなほど、国は富んでいる。他の国も、グランエンドとは深く関わろうとしないほどの不気味さが存在していた。
その城……この大陸では珍しい、靴を脱いで屋内に入るという作法で、黒壇で作られた床に座っている三人の男がいた。
一人は冷や汗を掻きながら報告している、諜報組織の長だ。この男は、調べた結果を国主に報告しているのだが、国主を幼少の頃より知っている。
しかし、国主として選ばれてからの変貌を目の当たりにし、その不気味さと恐ろしさを知るが故に震えている。国主の気まぐれ一つで、自分の首が刎ねられるかもしれないのだから。
もう一人の男は、盲人だった。この国独特の衣装……袴と胴着を着た、反りのない剣……片刃の刀を肩に掛けている。
紫に近い黒髪を後ろに流し、座る姿も凜としてる。背筋も伸びており、胴着の裾から覗く二の腕は極限まで鍛えられ絞られていた。
目を閉じるその顔は、姿と同様に凜とした佇まいをした美形の男だ。面長でスラリとしてる。
その男が、目を閉じているにも関わらず諜報組織の長の方を向いている。矛盾しているが、一挙手一投足を見逃すまいとする様子だ。
残りの一人の男は、他二人に比べて小柄な男だ。
鳶色の髪を伸ばし、整える気もないようでぼさぼさ。しかし、その顔は幼い顔立ちながらも威圧感があり、事実眉間に皺が寄ったままだ。
この男もこの国の衣装に身を包んでいるが、あくまで機能美を追求したもので、装飾的な美しさは一切無い。動きやすく、過ごしやすい服を選んでいる。
「それで? アランクルよぅ。スーニティが乗っ取られたってぇのは本当けぇ?」
「は、はい……」
「あそこにゃレンハを送りこんでたはずだよのぅ。何でそこらの傭兵団が奪っとんじゃ」
「それが……レンハ様の工作は失敗に終わり……」
「そうかい」
小柄な男は報告書を投げ出すと、足を崩してアランクルという諜報組織の長を睨む。
「それで? レンハの始末は?」
「それが……ニュービストの美食姫が匿ったらしく、行き先がわかりませぬ……」
「そうかいそうかい」
「も、申し訳ありませぬ! ギィブ様!」
アランクルは土下座をして許しを請うた。
ギィブ・グランエンド。
小柄な男こそが、この国の国主、トップだ。
「……頭下げりゃあ何でも許される思うとるのけ?」
アランクルの肩が恐怖で震える。
「レンハを探して始末せぇ。あいつぁ用済みじゃ。仕事一つできん子供なんぞいらん」
「で、です」
「がぁ? なんじゃと?」
ギィブの声に、アランクルはさらに床にこすりつけるように頭を下げた。
「な、んでも、ありません! すぐに探し出して始末します!」
「おうおう、はよ行けぇ。失敗はもう許さんぞぃ?」
「はい!」
アランクルはすぐに立ち上がり、転がるように部屋から出て行った。
ギィブは盲人の男に視線を向けると、快活に笑う。
「クハハハハ! いやぁ、儂もなかなか堂に入っておったかの?」
「ええ。声の質は『御館様』のそれに酷似しておりまする」
「そうかい。クアラ・ヒエンよぅ、儂も御館様のようになれるかのう」
「無理でございます。かの御仁は王の中の王にございますれば」
「そうじゃな! 御館様になろうなどと、無茶にも程があろうな!」
ギィブはさらに笑い、膝まで叩いていた。
クアラは溜め息を吐いて、肩に掛けた刀で床を軽く叩く。
「それで? あの国にはどのようになさるおつもりで?」
「いずれ『三鬼一魔』の将を差し向ける。今はまだじゃ。もっと肥え太らせてからの」
「……愚弟もお使いなさるので? あれは御館様がお作りに成られた魔人。簡単に制御できる者ではありませぬ」
「リュウファがのぅ」
ギィブは笑うのを止めて、天井を見上げた。
「あの者『たち』は、今どこに居るかの?」
「かの戦場にて。いつも通り神剣『禄烏』を振るってることでしょう」
「そうかい……。クアラよ。お主の弟もその一人となったわけじゃが」
「それは何度も答えておりまする。弟はリュウファに『選ばれた』ことを喜んでおりました。いずれ自我が消え去ろうと、それも天命と受け入れるでしょう」
「『魔鬼』と『武鬼』と『王鬼』は?」
「王鬼は国に帰る途上に。他の二人は別の戦線にまだおりまする」
「そうか」
ギィブは立ち上がると、服の裾を叩く。磨かれ掃除された床なのでホコリなどないのだが、これはもはや癖だ。
「儂は御館様に報告する。クアラよ。お主は待っておれ」
「御意に」
ギィブは立ち上がると、自分の背後の壁に向かって歩き出した。
この部屋は評定の間と呼ばれ、普通の部屋のそれよりも大きく作られている。ここで政務や謁見を行うためだ。
ギィブが座っていたのは、その一番上座の部分だ。他よりも一段高く作られている。
その背後の壁にギィブが手を当てると、スゥと壁が消えた。
まるで幻が消えるかのような現象だが、二人とも驚かない。その先には木造の廊下が続いていた。
ギィブはその階段を降りて行く。階段の壁には魔工ランプが備え付けられており、明るさは確保されていた。
そして、ギィブは最下層まで降りる。
そこは座敷牢だった。降り立った先には評定の間のような謁見できる広さが確保され、その先に牢屋が据えられていた。
しかし、他の部屋や評定の間よりも遙かに豪奢に作られたその場所は、快適に過ごせるようにあらゆる技術が盛り込まれている。
ギィブは座敷牢の前に座り、頭を下げた。
「御館様。ご報告があります」
「ん?」
座敷牢の奥には、一人の男がいた。
壮年の男性で、白髪。それでいて姿勢も良く、厳かな雰囲気をしていた。
その男は本を読んでいた。というより、座敷牢の中にはおびただしい程の数の本と紙が散らばっている。
正座をして本を読む男は、本から視線を外すことなく答える。
「なんだ。スーニティの平定は終わったか?」
「いえ。邪魔が入り失敗したようです」
瞬間、銃声が鳴り響く。
ギィブの眼前に、弾丸で穿たれた跡ができていた。座敷牢の中の男が、視線を外さずに手元の『銃』で撃ったのだ。
ギィブの背中に、一筋の冷や汗が流れる。
「聞き間違いか? 俺の命令が聞けなかったと?」
「いえ、ガングレイブ傭兵団の横槍によって失敗しました。対策を講じております」
「そうか……わかった。しかし、すぐには奪うな。肥え太らせても、まだ早い」
「と言いますと?」
「いるのだろう? 『流離い人』が」
その言葉に、ギィブは顔を上げて驚いた顔をした。
「すでに知っておられましたか?」
「前からガングレイブ傭兵団について、報告は受けていただろう。俺はすぐにわかったよ。俺と同じく、時の流れに嫌われ拒まれた流離い人がいるとな」
「……その通りです。あそこには、必ずいます。あの発展や栄達は普通ではありませんから」
「その通りだ。肥え太らせて奪っても意味が無い。砂上の楼閣だ。流離い人の支え合ってこその発展だからな。奪ったところで、実入りはない」
男はここで初めて、ギィブの方へ顔を向けた。
ギィブは思わず視線を逸らす。何時だって御館様の目は、自分の全てを見透かすかのような錯覚に陥るからだ。
国主に選ばれ、父にここへ連れられたとき。
あの時から、ギィブは変わった。変わらざるを得なかった。
グランエンドの全ての発展のもとであり、自分たちの『祖先』が、ここまで恐ろしい存在だとは思ってなかったから。
それに対応するため、正面から向き合うために、ギィブは強くなった。回りから豹変と呼ばれるまでに。
だが、それでも御館様の目を見ることは、ついぞ叶わなかったが。
「その流離い人をここに連れて来い」
「は!」
「俺はそいつに興味がある。もしかしたら、ソウジロウ……沖田総司と同じように俺と同じ世界から来たかもしれないからな」
「わかりました」
ギィブは再び頭を下げて言った。
「御館様、織田信長様」